
持病持ちイラスト作家のへんてこな経歴と画力と体力以外で戦っている話
こんにちは!Awaです!Awa*ふわもこ堂の水彩屋さんと名乗ったり、
Awa-画材マニアのお絵描き教室と名乗ったりしていますが、とりあえずAwaです!
名前を試行錯誤している理由などはまた今度。
作家名って本当はとても重要なものだと考えているので、しっくりくるまで右往左往していると思います。
持病持ち体力無しの私はイラスト作家として通販でのお取引が2000件を超え、そこそこ安定して年間売り上げ3桁万円をキープできています。(体調によりできない年もありましたが)
そんな私のちょっと暗い昔話と、困難な状況から立ち直った考え方をよければ読んでやってください。
経歴は長いので面倒な方は読み飛ばしてね!
私のへんてこな経歴
ー昔から絵が下手だった上に、絵を教わったこともない
へんてこな経歴とタイトルに書きましたが、私は美大も芸大もイラスト系専門学校も出ていません!
小学生の時にふんわりイラストレーターになりたいな、と思っていたくらいで、
絵はそれはもう下手だったんです。
親曰く「この子、絵ばっかり描いているのにあまりにも下手で心配」と言われるくらいひどかったし、
賞なんて一度も取ったことがありません。
とにかく観察力がなかったんです。
ハムスターはいつも二足歩行、やかんを見ながら描くテストでは注ぎ口などの位置関係はバラバラ。
そんな私もさすがに気が付きました、私がイラストレーターになるなんて無謀すぎる!!
絵の才能ないんだ!!と。
ー絵をあきらめて勉強した日々
将来を考えた私はいい大学を出て研究者になって、高給取りになるぞ!と思いました。
両親の離婚や再婚、離婚の繰り返しで一時期お金に困る生活をしていたので、
年の離れた弟と妹が学費に困らないくらい稼いで、父親の代わりにかっこよく学費を出してあげるお姉ちゃんになるんだ!と意気込んでいました。
その結果私は勉強を頑張り、予備校に通わなくても国立大を狙えるという噂だった高校(0~9限まで授業があって、課題もてんこもり!)に特待生として進学しました。
授業料免除がとてもとても魅力的だったからです。
今思うと超ブラック高校。教室には病んでいる子が続出。日常的に誰かのすすり泣く声すら聞こえる。睡眠時間を削って課題と小テストのための暗記に追われていました。
そんな中でも絵を描く時間は私にとって癒しでした。
(ちなみに今は問題になるからそんなに厳しくできないって元担任の先生が言っていました)
ー国立大学に合格!でも・・・
そして大学、無事国立理系に合格しました。しかも経済状況と成績の条件を満たしていたので授業料は免除。本当に本当にありがたかったです。母にはほとんど金銭的に頼らずに済みました。
大学名は有料部分に書いておきますね、自由が大好きな私にぴったりの誇れる大学とだけ書いておきます。(Xなどでたびたび書いていますが)
大学では化学専攻でした。そして塾講師をやったり、合唱サークルにのめりこんだりもしながら4回生の研究室配属で、ブラックで有名な研究室を選びました。
正直高校の時を思えば耐えられると思ったし、大好きな分野だったからです。
なんとか一年乗り切り大学を卒業し、同大学の大学院に進学、したのですが・・・
ある日突然動けなくなったんです。
父が病気で半身不随となったり、ひどい手湿疹による実験不可の現実、さらに書くのもはばかられる色々な不幸の重なりと、頑張りすぎる性格(もはや頑張り至上主義)が災いしました。
ーわたしは鬱になりました。
それでも頑張って頑張って毎日研究室に行こうと動かない体と戦ってしまい、半年かけてやっと院をあきらめる決意をしました。
余談だけとみんな鬱や適応障害かもしれないと思ったらすぐに病院の予約を取ってね、
病院はすぐに予約取れないところが大半なので。
でも厚生年金に入っていない学生さんなどは慎重にね、障害厚生年金のもらえる条件には初診日が重要だから。
私は研究者にも、高給取りどころか、まともに働くことすらできなくなりました。
長い闘病生活の中で、ふと、昔は絵が好きだったことを思い出しました。
ー趣味で再開した絵と透明水彩との出会い
最初は三十分描いただけで吐き気に襲われましたが、とてもとても楽しい時間でした。
また絵を描きたい、と思った瞬間でした。
そして透明水彩と出会い、私がずっと探していた画材はこれだ!!と運命を感じたのが2016年4月。
でもとても仕事にできる絵なんて描けませんでした。なんせ下手だったので。
そんな中転機が訪れました。友人の結婚式でいただいたお花を描いてみたんです。
しっかり実物を見て描いた薔薇の絵は今見ても結構うまいと思えるぐらいの出来だったんです。
実物を見ることで初めてちゃんと観察することを覚えたんだと思います。
私、花を描くのが向いているんだ!
そこからは今まで描いていたキャラクターよりも花の絵に力を入れました。
途中、空の絵も向いていることに気が付きました。
ー気が付いたら始めていた作家活動
そのうち自分の絵でグッズをつくってみたくなり、スマホケースやレターセット、シールなどを作ってminneで販売を始めてみました。
そしたらなんと、お迎えが来たんです!
とてもとてもうれしい経験でした。
ぽつぽつとお迎えが来て、だんだんグッズを増やした私はギャラリーさんでのレンタルボックスへの出展をしたいと思い、勇気をもって出展しました。
ここが私のイラスト作家としての始まり、2019年1月でした。
このときお世話になったのが大阪の創作空間カフェアトリエさん。
のちに個展もさせていただいた大好きなカフェギャラリーさんです。
その後はイベントに向けてグッズを増やしたり、たくさん絵を描いていきました。
今では企業様の案件を受けたり、通販で仕事と呼べるくらいの額を稼いだり、
NHKカルチャーでの水彩画講師の仕事を受けたり、オンラインレッスンを始めたり、
色々な活動をしています。
本題:
いよいよ本題です。前置きがながくてすみません。
私が絵を学んだこともなければ、理系の大学を出ただけで体力もない持病持ちといういかに困難な状況から絵を仕事にしていったかをお伝えしたかったんです。
ーまずは徹底的に自分を分析しました。
・多くの人が描いているキャラクターイラストでは勝負できないレベル
・あまり若い層で描く人が少ない(偏見だったらすみません)花や空なら一般人から見てそこそこ上手いと思ってもらえる程度の絵が描ける
・高校までの数学が得意、つまり利益やお金の計算が得意
・また多少ビジネスの感覚に優れている(本など読んでいたし、前職ではネットショップ運営をしており、いかに売り上げを伸ばすかを考えていた)
・何年も塾講師の経験がある。わからない人の気持ちを汲むのが得意で、また論理だてて系統立ててまとめることも得意。つまり教えたり、情報をまとめたりする適性がある
・考えることが得意で、アイデアを出すことが得意。グッズのアイデアなどに活かせる
・話すことが好きでライブなども大好き。ライブやスペースなどをすることで見てくださる方に親近感を持っていただくことが可能なのではないか?
・画材が大好き、とにかく大好き。画材を顔料から語れるのは長所かも
・以前ゲーム実況動画を作っていたことがあり、動画編集の経験ある
・なぜかライブなどで話しているといい人、明るい、楽しそうなど性格についてもコメントをいただく。(自分で書くのは恥ずかしいですが、好意的に受け取られやすい性格をしている)ので、人間らしさや素の自分を出していった方がいいのかも
・文章を書くのが好き、昔々小説を書いていました。
などなどなど・・・
画力や絵に関する長所が一つくらいで、後は画力以外の長所なんです!
ある程度(私くらい)のレベルまでなら、最低限の画力があれば十分売れる作家になることはできると思っています。
最低限の画力とは、絵を描かない人がみて、絵がうまいな、だなと感じるラインです。
この画力は多くの人が持っているのではないでしょうか??
ー必要なのは・・・
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