きむ

あなた と つながる 言葉 身体をつかって 生きること 小さな エッセイ

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あなた と つながる 言葉 身体をつかって 生きること 小さな エッセイ

最近の記事

    • 本当に求めているもの、とは

      • 不変の「自分」なんてものはない

        東洋哲学の本を読んだ。 表現を含め、とても面白く、 読みやすかった〜 この世は、フィクション。 不変の自分、なんてものはない。 「自分探し」のようなことを、ずっとしてきた私にとって、心の重荷が軽くなるような考え方だ。 何より、何百年、何千年前から、 人間は同じようなことに悩み、考えてきたのに、 そこから脱出できていないこと。 (ご先祖さまの智恵、もっと引き継がれてもいいよね…) 結局、やりたくてやっている、 ということなんだろう。 話は戻るが、 自分の見る、感じる

        • コツコツ努力の結晶が、光る

          好きなアーティスト、というか マエストロ、というのだろうか。 ピアニストの アンドラーシュ・シフ氏のことを考えていた。 どうして好きなんだろう? 奏でる音が心地よい 羽根のような軽い音のつらなり さらさら流れる小川のような音 トゲがない 力みがない 軽々と弾いているように見える 自然体である 聴いている方も身体がゆるむ すごいマエストロなのに オーラがやわらかく、親しみやすい。 そのように感じる。 だけど、この境地にたどり着くまで 地味な練習、様々なステージ とてつも

          本質で生きるって、愛。

          やりたいことは、やるしかない。 やりたくないことは、やめる。 の、続き。 やりたいことを、やるために、 出会う試練は、のりこえる必要がある。 こわくても、やる、しかない。 こわいことを「やりたくない」認定するのは 違うのさ。 そんなことを考えていたら、 本質で生きることって 自分にも、周りにも、愛でしかないな って思った。 じぶんがやりたいことに対して 我慢すること、遠慮すること 後ろめたい気持ちでいること それは、どこかで歪みをつれてくる だから、 純粋に、感謝

          本質で生きるって、愛。

          喜んで生きること

          わたしが今、やることといったら 丁寧に、丁寧に、 身口意を一致させていくこと。 やりたいことは、やるしかない。 やりたくないことは、やらないしかない。 何かをしながら、 次のことを考えるのではなく、 今、今、今に集中。 それしかない。 なんとシンプルなのか。 それが、なんと難しく感じることか。 わたしという人間を生きることに 手を抜かない。 やりたいことをやりきって 喜び、震えて生きる。 腹をくくった、令和6年4月1日。

          喜んで生きること

          ひとやすみ

          分からないことだらけなのに 自分の力でなんとかしようとするのは ひとりでできるもん! って 頑張っている子どもみたいで はずかしいなぁ。 だけど、そんな自分って、かわいい。 人間らしくて、かわいい。 って、思っていい、らしい。 「飛べないときは、休めばいいよ しかたないよ、飛べないんだからさ」 って、コジコジが言ってた。

          ひとやすみ

          ゾワゾワの正体

          わたしは音楽がオタク的に好きだ。 「音楽のどこが、オタク的に好きなの?」と聞かれて 「あの、ゾワゾワ〜っとくるところが好き」と 答えたことがある。 ゾワゾワの最上級は、自然に流れてくる涙。 先日、辻井伸行さんのピアノ、ラ・カンパネラ(リスト)をYouTubeで観て、聴いて、自然と涙が流れた。 動画でこうなんだから、LIVEで聴けばものすごかったはずだ。 このゾワゾワは、一般的には「鳥肌が立った」「感動した」「感涙」などと表現するのかもしれない。 じゃあ、なぜ、感動す

          ゾワゾワの正体

          リ・スタート

          わたしの中身、たましい、こころ それに 外側、カラダ、細胞さんたち 生きているって、すごいこと。 それだけで、すごいのに、 毎日、誰かや、何かのために、 頑張ってくれてありがとう。 痛いところや、かゆいところや、 疲れちゃってる内臓さんたち もっと早くに、気づいてあげられなくて ごめんね。ゆるしてね。 全部全部、愛しています。

          リ・スタート

          身体とお家〜お引越しで気づいたこと

          この6月末、家族4人でお引っ越しすることになり、準備を進めている。 お片付けを進めて、自分の持ち物は厳選してきたはずだった。 が、、、 実際、強制的に「全出し」して、段ボールに詰めてみると、 思ったよりも、モノがあることがわかる。 毎日使うモノ、季節モノ、たまに使うモノ、、 とにかく、モノ、モノ、モノ。 片付けていると思っても、こんなにたくさんのモノを、私は、私の家族は、背負っていた。 引っ越し準備を進めるうち、私は、花粉症と、虫刺されから、頻発するなぞの小さな湿疹

          身体とお家〜お引越しで気づいたこと

          ある女の子が産まれた日

          その日は出産予定日の半月以上前のこと。 パパは自家用車の車検のために、一泊で地元に帰っていたので、 ママ(と、お腹の女の子)は、お兄ちゃんと、ベッドで寝ていました。 なんとなく違和感でママは目がさめて、、 「破水」したようです。 パパはいない。 お兄ちゃんは寝てる。 ママは、病院に行かないといけない。 おじいちゃんも、おばあちゃんも、遠くにいる。 さあ、どうする。 ママは声も足も震えながら、病院に電話しました。 「破水したみたいです。夫は偶然いなくて、帰りを待ったらあ

          ある女の子が産まれた日

          すべて受け取らなくても、いい

          たまに、からだの左半分が神経過敏みたいにヒリヒリするときがあって、 つい先日も、こめかみあたりから始まり、首の下、鎖骨あたりまで広がった。 身体もなんだか疲れていたので、 ある方にヒーリングをお願いすることにした。 そのときいただいたメッセージに、必要な気づきがたくさんあって、 中でも、じぶんが取り入れている情報を、取捨選択する必要がある(してもいい)と、あらためて感じたの。 元々素直なたちで、 外から情報が入ってくれば、それを色々キャッチしてきた。 意識的なときもある

          すべて受け取らなくても、いい

          放てば手に満てり

          私たち一人ひとりにとって何が大切なのか。 それを見つめるタイミングのようだ。 いま、身の回りに起こっている問題(に見えること)は すべて、その「大切なもの」を見極めるための、メッセージのように感じる。 大切なものを見極めるためには、 いらないもの、余計なものを先に手放すことが必要だ。 私の場合は、3月にお産を控え、実家の母に頼ろうと思っていたけれど、 父が体調を崩し、続いて母が手首を骨折した。 そんな中、母は、「あなたのお産はなんとか間に合いそう。手伝う気でいる」と言

          放てば手に満てり

          サーブ打てない病〜緊張はしちゃいけない?

          小学校5年生から高校まで バドミントン部に所属していました。 真面目に練習して、走り込みもして、 高校3年時はキャプテンでしたが、 「万年ベスト8」的な実力でした。笑 しばらくブランクがあって、 社会人になってからバドミントンを再開。 社会人の大会にも出るようになって、 シングルスの時に毎回発症したのが、 「サーブ打てない病」でした。 練習の時には打てるのに、 試合になると、感覚がおかしくなってサーブのコントロールがまったく効かなくなる。 サーブ以外は大丈夫なのに

          サーブ打てない病〜緊張はしちゃいけない?

          「逃げたい」と思わなくなったのは

          「逃げたい」でも「逃げちゃダメだ」 「もう休みたい」でも「がんばらなきゃ」 「1人になりたい」でも「出かけられない」 それを、繰り返してた私。 最近は、「逃げたい」「休みたい」「1人になりたい」と、感じる頻度がすごく減っている。 それはなぜか? 逃げたい、休みたい、と思っていたその対象が、そもそも、「愛しいもの、おもしろいもの」に変わったからなのだった。 たとえば、子育て。 24時間休みがない。 と、思っていたが、そうなのだろうか。 休みがない、大変だ、 そういうふ

          「逃げたい」と思わなくなったのは

          私と祖母のこと

          私の祖母は、大正生まれ(大正最後の世代) 私が育った街とは少し離れているけれど、毎年夏休みと、冬休みには、家族で祖父と祖母のところに遊びに行っていた。 ご縁があり、私はその、祖父と祖母のいる街に就職して引っ越してきた。 いまは夫と、息子と、お腹の中に新しい命も、一緒にいる。 祖父は亡くなってしまったけれど、祖母にとって、ひ孫(わたしの息子)との時間は、言い過ぎではなく生き甲斐になっていると思う。 祖母は、祖父が亡くなってから、90歳を過ぎてもずっと一人暮らしをしてい

          私と祖母のこと