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失う不安と本音の葛藤、「人質思考」を手放そう

はじめに

みなさんにはこんな経験はありませんか?

あんまり気が進まない飲み会やパーティが予定される。
人間関係が疎遠になるのを心配したり、
「こんな機会はめったにない」チャンスかもしれないと、
参加を断ろうと思ってはいたのに、
後ろ髪を引かれる思いで結局参加してしまう…。

私にもあります。
最近開かれた中学・高校の同窓会がそうでした。

「旧交がまた温まり、つながりが広がるかもしれない」と
思いながらも、
今までのもつれた人間関係があり、
本心では取り繕うことに重たさを感じていました。
それでも、
「人間関係はあったほうがいい。旧友は彼らしかいない」という
考えが付きまとい、葛藤を抱えていました。

私はこのような葛藤を「人質思考」と名付けています。

人質思考とは

「人質思考」とは、
本心では望んでいないのに、
「何か手放してはいけないものがあるのではないか」と不安に駆られ、
やりたくもないことを無理に迫られる思考や葛藤のこと
です。

ここで「人質」にされているのは、
「失えば取り戻せない」と不安を煽られる価値観です。
まるで人質に取られたように手放せず、
その結果、葛藤が生まれ、
望まないことをやらざるを得なくなるのです。

例えば、以下のように自身へのダメージや喪失、貴重な機会を逃すことに対する不安や葛藤が付きまといます。

「常識ではこうしたほうがいい」
 ー「常識が大切、守らなければ自分が非常識」
「これはチャンスである」
 ー「逃したら、2度と手に入らず、人生が好転しない」
「人間関係のためには会合に参加したほうがいい」
 ー「行動しなければ人間関係失ってしまうかもしれない」

一時は常識と自分の違和感を天秤にかけることになるのですが、
常識を優先してしまうことはよくあります。
それによって、我慢と思考停止を引き起こします。

違和感は、自分は乗り気ではないという事実を含み、
仮にチャンスであったとしても、望む方性とは違うことを示しています。
人間関係が疎遠になる不安から参加してしまう会合は、
やはり不安からの動機になるため、健全な関係を温めにくくなります。

「人質思考」は大きな苦しみを生みます。
しかしながら、この思考に従って行動を起こしても、
思っていたほど成果は出ず、自分の価値観は守られません。
そして、一旦人質思考に従えば、次も従わなければと思うようになります。

人質思考によって生まれた葛藤があるとき、
行動する前に一歩立ち止まることが大切です。
人質思考は自分の価値観について、重要なことを教えてくれています。

一般常識や周囲の意見、自分の思い込みから、
「守らなければならない」と思っている価値観は
とても貴重で重要そうに思えるけれど、
「自分にとっては重要だと思っていない」と薄々気づき始めているのです。

私のケース

私の場合、「昔を知る旧友は大切だ」という思い込みがありました。
これから新しい人間関係を築いたとしても、それは旧交ではありません。
旧友はその意味で貴重であり、維持していくべきものだと思っていたのです。

しかし、実際の交流は年賀はがきで、当たり障りのない一言を添えるだけのことが多くありました。共通の話題はすでになくなっていったのです。もちろん同窓会になれば、昔話と近況について話が盛り上がるでしょう。
ただ、薄々思っていました。
仮に年1回会って酒を形式的に飲んで、どれほど関係が再び深いものになるのだろう。

青春をしていた昔は必死に「友達」の関係性を求めていたけれど、
大人になった今は「友達」をそれほど求めていない。
旧友だからと、表面的に「友達づら」することに、
どれほどの意味があるのだろうと。
もちろん、これは若干辛辣なとらえ方ではあります。
ただ、「旧友は大切だ」という文字通りの価値観を、
大きくとらえすぎていて、
それが本音の行動を妨げていたわけです。

人質思考の解決は難しくない

人質思考の解決パターンは実はかなり決まっています。
気づくとあっけなく葛藤が解消されます。

これについて説明します。

人質思考で葛藤のもとになる二つの価値観は、
「社会的・常識的に大切とされるもの」と「自分の本音」です。

先ほど説明したように、
「人質」とは「失うと取り戻せないと不安をあおる価値観」のことです。
自分の本音通り行動すると、社会的・常識的に大切なものを失うかもと
感じることが「人質思考」です。

ここでじっくり考えたいことは…
この不安はその大きさのまま現実化するのでしょうか?

「取り戻せない不安と将来のイメージ」と、
「実際に取り戻せなくなって感じること」には、
とても大きなギャップがあります。
これに気づくと、不安を受け入れる覚悟が生まれます。

「自分の本音」を優先した場合、
「人質」に取られていた「取り戻せないこと」が
実際に起こるかもしれません。
けれど、人間は想像以上に事実を受け入れることができます

そのことは、葛藤で浪費していたエネルギーを取り戻し、
自己理解が深まるきっかけとなるでしょう。

「社会的に大切とされるもの」を覚悟と共に最終的に優先した場合、
脅迫的に不安に従うときとは違い、別のことが発生します。
こちらでも「自分の本音」を織り交ぜはじめ、妥協点を探り始めます。

妥協点を細かく決めていくことが大事

人質思考に対処した自分は、この妥協点を探ることにしました。

結論から言うと、
過去、冠婚葬祭やパーティで強いストレスを感じ、
体調を何度も崩していた自分には、
同窓会の出席はリスクが高いと判断しました。

もし、もう少し体調が整うのなら、
皆に軽い挨拶はしつつも「全員にいい顔しよう」と思う必要がないとも考えました。
心が再び温かくなりそうなら遅くまで参加し、
そうでなければ一次会や体調不良を理由に早々に切り上げてしまう
という戦略もあったでしょう。

また、「縁」という言葉があるように、
同窓会以外のつながりでやり取りが始まることはあります。
その時、比較的オープンな態度でいれば、風が入り、望むつながりは得られることもあるでしょう。

そのような戦略を考えたうえでの、
同窓会欠席は後悔のあるものではありませんでした。

単に、「人間関係はあったほうがいい。旧友は彼らしかいない」と
思って無理に参加するよりも、現状の判断に材料を冷静に扱えたことで、
心は晴れやかになっています。

おわりに

人質思考は苦しいものですが、解決のパターンははっきりしており、
自己理解と現実的な解決策を得られる絶好の機会となります。
「こっちかあっち」か、「白か黒か」の思考から抜け出し、
柔らかさを得ることができるしょう。
みなさんにも人質思考にとらわれる瞬間があったら、
このnoteがその解決のきっかけになれば幸いです。

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Avo
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