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苦しい中でも、こころの余裕を作り出す幸せの境地があるかもしれない

辛さの中でこころの余裕が生まれる時

こんにちは、Avoです。

時々手に余る持病に四苦八苦しながら、ふと思うことがあります。

「病気はつらい。
しかし、その苦痛がすべてだと捉えてしまうのは、どうなのだろうか。
心の中外をつなぐ扉をほんの少し開けることで、
そこから入ってくる風を取り入れることができ、
こころの余裕が生まれはじめるのではないか」

ということです。

ユーモアの必要性

苦しい中でこころの余裕を得るには、
具体的にどうすれば得られるのでしょうか。
まず、「ユーモア」を切り口に考えてみたいと思います。

第2次大戦中、悪名高きアウシュビッツ収容所に送られるなど、
過酷な収容所での体験を持つ、心理学者V・Eフランクルは
以下の名言を残しています。

深刻なときほど笑いが必要だ。ユーモアの題材を捜し出せ。

V・Eフランクル

苦しさを笑いに昇華させる過程において、
「生きてどうなる?」といった、諦めに近い問いを払い除け、
「かすかな生きるエネルギー」を生み出していくことができます。

ユーモアは「笑いの視点」を見いだすことが必要です。
それは360°カメラのように、
「現状を俯瞰する心のスペース」を作り出すことです。

極限状況でも人を思いやる重要性

また、フランクルは、
名著『夜と霧』にて収容所での体験を記しています。
その中で、極限状況でも他者を思いやる人達について述べられています。

この行為は、精神論や美徳として捉えられるものなのでしょうか?
私は、そうではないと思います。
「心と行動を特定の方向に仕向けるなにか」があると思うのです。

病気の困難を再現可能な技術を使って改善する

例えば、治療経過の良い、
うつ病の患者さんへのトレーニングとして、
「アサーション」というものがあります。

「主張しすぎて相手を傷つける」、
「主張せずに自分の中に溜め込む」。
この両面のコミュニケーションの齟齬を回避し、
バランスの良い意思伝達を目指しています。

患者さんがこれを学ぶことによって、
病気によるコミュニケーションの困難をある程度軽減し、
さらには良い方向へと発展させることができます。

これは「再現可能な技術」であることが大きなポイントです。
精神論や美徳とは距離をおきながら、
病気で苦しくても、技術的に「相手と自分の両方を尊重する余地」を
生み出せるのです。

”This is water”から学ぶ「自由」とは

話が少し変わりますが、
アメリカの作家デヴィッド・フォスター・ウォレスが、
大学で行った有名なスピーチ「This is water」があります。

彼は躁うつ病を患っており、このスピーチを行った後、
しばらくして自殺したことに、
「彼の想いはどこにあったのか」想いを巡らさざるを得ません。

(有志による全訳文の載せられたサイトはこちら)

一つ、ぼくが「自動的に正しいと信じてきたこと」の例を挙げましょう。それは、ぼくの周りにあるものは、「『ぼく』は最もリアルで、鮮明で、大切な、宇宙の絶対的中心に存在する」という信念を支えるためにあるということ。我々は普段、こんな風に自分たちのことを考えません。社会的に嫌悪される在り方だからです。でも悲しいかな、我々のほとんどは、実際のところこうです。言わば我々のデフォルト設定で、生まれた時からそう信じるようにプログラムされています。
(略)
研ぎすました意識を持ち、自分が考えるべき対象を選び、自分の経験から意識的に意味を抽出できるようになること。これができないと人生はツラいものがあります。
(略)
これから先の人生は違います。面倒くさい、無意味に思えることが、これからいくつも生活の中に生まれます。でも、大事なのはその事実ではない。大事なのは、こういった日々のつまらない、苛立ちを覚える場面でこそ、先に述べた「考える対象を選択すること」が重要になるのです。
(略)
その中でも特に大事な自由が、まわりに注意を払い、意識的にものを見つめ、自制心を持つことで得られる自由。誰にも見えないところで、毎日毎日、自分以外の人々のことを思い、彼らのために犠牲をはらい生きる自由。
それこそが本当の自由です。
それこそが本当に教育を受けるということです。それこそが自分の頭で考えるということです。無意識、デフォルト設定で、小競り合い、モノやカネを持っている持っていないに執着する無限ループの対極にある生き方です。

これは水です。 | quipped (ktamura.com)


このスピーチでは、教育の意義として述べられている「自由」があります。
私は、これが今までの例と共通する「こころに作り出された余白」
指しているのではないかと思います。

自由とこころの余白に関するまとめ

この「自由とこころの余白」の共通する特徴は、
以下の3点にまとめることができます。

  • 行動の主導権と選択肢は常に(日常でも極限状況でも)存在すること

  • 行動の起点は、他者も含めた自分の周囲に注意を払い、思いやること

  • 以上の2点は自ら気付く必要があり、体得していくもの

この「こころの余白の作り方」は、
漠然としたイメージではなく、
むしろとても言語化されている部類の概念だと思います。
そして、このソリッドさは、
幸せというものにきちんとした輪郭を与えてくれそうです。

単に「幸せになれればいいな」と思うのでは無く。
日常生活の波に一喜一憂する条件反射的な行動では無く。
「こころの余白」を作るために、
先程の3点に気づき、考え、選択し、行動する。
それだけをただ繰り返すことによって、
感じ、見える、得られるものは「退屈(boring)」とは対極のものになる

そう私は思います。

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Avo
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