ずっと気遣っていた、杉浦くんのこと

読んで、痛くなるコラムだった。

『もう気遣いなんていらない――杉浦稔大投手とファンの関係性が変わった理由』
文春野球コラム ペナントレース2021
斉藤 こずゑ

杉浦稔大のことを、私はちゃんと送り出していない。

杉浦くんは、スワローズの選手だった。入団直後に右肘を痛め、長くリハビリ生活が続いた。
2015年の優勝間近に、一軍復帰で存在感を示し、選手会の優勝祝賀会の写真に収まっている杉浦くんに、「優勝を分かち合うところまできてよかった」と、少しほっとしたことを思い出す。

それでも、神宮で杉浦くんを見ることはほとんどなかった。2016年は、キャリアハイの3勝。即戦力として期待される大卒ルーキーの3年目としては、きっと物足りない成績なのだろう。
しかし、杉浦くんは、怪我をしていたのだ。仕方ない。これから上がっていけばいい。そんな矢先に、背番号が「18」から「58」に変わった。空けた背番号は、新たなルーキーが背負った。杉浦くんは、怪我をして苦しんでいただけなのに。

ほんの少し前の、優勝の熱気がうそのように、連敗街道を突き進んだ2017年7月、杉浦くんはトレードでいなくなった。
せっかくいいピッチャーを獲ったのに、せっかくウチのユニフォームに袖を通してくれたのに、せっかく、大学時代に慣れ親しんだ神宮に残ってくれたのに。

変えた背番号のまま北海道に送り出した杉浦くんと、暗いトンネルから出られなかったヤクルトがリンクする。私が暗闇の中でぼーっとしている間に、杉浦くんはいなくなってしまった。

私がファイターズファンになったのは、この暗闇の中、ザッピングで出会ったGAORA中継の画面に、栗山英樹の姿を目撃したことがきっかけだ。「ヤクルトの選手、いるな」。しかしそこには当然、杉浦くんの姿はなかった。

そのままファイターズファンになって、ファイターズをしっかり見るようになった2018年。私は、投げている杉浦くんをGAORAで見た。
勝利のお立ち台で話す杉浦くん。こんな声だったっけ。杉浦くんらしい、朴訥としたスピーチだった。札幌ドームの温かい拍手。北海道出身の杉浦くんを、北海道の大地とともに迎えてくれているのが伝わってきた。

札幌遠征にも行った。ファイターズの、かっこいいアシンメトリーのユニフォームで投げる杉浦くんの写真も撮った。
アリゾナキャンプでは、2018年オフのトレードで移籍した秋吉亮、谷内亮太の近くにいる杉浦くんの姿があった。

杉浦くんは、こうして世話を焼く人もない場所に、移籍していったのか。
ヤクルトファンに、しっかり見送られることなく、移籍していったのか。

こず姉の言葉を借りれば、ヤクルトファンの私こそ、杉浦くんに気遣っていた。気遣い続けたまま、今は遠くから見守るしかなくなってしまった。

いや、いいのだ。私はファイターズファンなのだから。
いや、違う。ヤクルトのユニフォームに袖を通していたあのとき、気遣いし続けたまま、杉浦くんのスワローズは終わってしまった。

2021年、ファイターズでビジュアルデビューした杉浦くん。もう、ファイターズに欠かせない、北海道に欠かせない人になった。

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ずっと心に引っかかっていた。今は、コラムの最後の一文が、心臓をちくちく突き刺してくる。

「いい時にしか寄り添わない関係に本物の信頼は生まれない。」

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