土地が育てる野球 浦添が育てたスワローズ
私がヤクルトファンになった昭和の時代、ヤクルトはアメリカ・アリゾナ州ユマでキャンプを張っていた。
ユマは、1月でも20℃を超える、日照時間の長い土地だ。温暖な気候、いや、ときには猛暑の中、体温を上げ筋肉を柔らかくしてトレーニングをするにはうってつけの土地だった。
「ユマキャンプ」と聞くだけで、私はワクワクしていた。キャンプ特集のテレビ特番が楽しみだった。
ちょうど、若手が台頭してきた時代。長嶋一茂の入団で、取材陣がぐっと増えた。カメラが狙う一茂の横で、常に面白いことをする池山隆寛と広沢克己。通称「イケトラコンビ」とギャオス内藤が、9000km離れた私をいつも笑わせていた。
楽しそうだな。実際は、キャンプでどれだけしごかれていたことか。でも、そんな場面も笑顔の若い選手たちしか、私の目には入ってこなかった。
湾岸戦争の影響で渡航を自粛した1991年をはさむものの、ユマキャンプは、ヤクルトスワローズ初優勝の1978年から1999年までの22年間続いた。
2000年から、ヤクルトスワローズの春季キャンプが浦添で行われるようになった。今年で22回目を迎える。気づけばユマキャンプと同じ年月だけ、浦添はヤクルトの選手たちを見つめてきたということになる。
浦添が「素通り」のまちだったなんて、今は考えられない。ヤクルトが来て、街が活気づいた。そして、浦添の人たちは春季キャンプでやってくるヤクルトスワローズを支え続けた。そんな絆で結ばれた関係だった。
浦添には、「東京ヤクルトスワローズ浦添協力会」という任意団体が存在する。浦添キャンプの運営に携わる協力会の皆様は、緊急事態宣言で無観客となった今年も、いつ観客が来てもいいように準備をしてくださっていた。
浦添市役所では、ヤクルトが勝った翌日、職員がヤクルトのユニフォームを着て執務にあたる。
遠い浦添の地で胸元に光る「Tokyo」の文字。総合受付の壁面にはヤクルトのスコア。1勝でも多く、勝ちたい!
そして、6年前、オールドファンの度肝を抜いた、「ヤー坊」と「スーちゃん」の生存確認!
驚いたのは、「“ニセ”つば九郎」という表現と、浦添市役所の若い職員が「ヤー坊」と「スーちゃん」を知らずに、「なんちゃってつば九郎」として交通安全運動に従事させていたということだ。
キャンプは、ずっと無観客となってしまった。今年はブルーシール牧港本店の新入団選手訪問と、てだこレディの「あーん」という恒例行事もない。
たくさんの人が緊急事態宣言区から沖縄に流入し、感染症を蔓延させることで沖縄の医療が逼迫することがあってはならない。浦添の献身に報いなければならないのは、ヤクルトファンも同じだ。
浦添という土地が育てたスワローズが、浦添の力となるように。
ともに闘おう。最後まで、希望を捨てず、受け入れのために動いてくださって、ありがとうございました。またいつか、伺います。