たかなっしーがやってきて
令和2年2月22日土曜日。ANA BALL PARK 浦添。2020オープン戦、対広島東洋カープ戦。
先発の高梨裕稔が3回1失点でルーキー、ドラフト2位の吉田大喜にバトンタッチ。吉田大喜は2回無失点の好投を見せる。
しかし、続くドラフト3位の杉山晃基が6回、1イニングで4失点、点差を1点にまで縮められた。回跨ぎの7回も、フォアボールと自らのエラーで満塁のランナーを背負ったところでタイムリーツーベースをあび、中尾輝と交代する。
1回0/3、6失点。同期同学年、吉田大喜のナイスピッチ後だけに、不甲斐ない結果に悔しかったと思う。
まだキャリアは始まったばかり。こんな日だって当然ある。プロの舞台を知るいいきっかけになった。広がるネガティブな思いを抑えるように、頑張れコールを心の中で唱える。頑張れ。明日がある。頑張って。そうエールを送りながら、私はマウンドを降りた杉山を追って、そのまま写真を撮り続ける。
ベンチにいる杉山のとなりには、アイシングをした高梨裕稔がいる。
試合はすすむ。でもすぎちゃんのことが気になる。よくスポーツ選手は「気持ちを切り替えて頑張ります」と言うが、打たれて降板したピッチャーがベンチに居続け、どう気持ちを切り替えるというのか。強靭な肉体に宿る強固な精神力があれば可能なことなのか?凡人の私には想像がつかない。
すぎちゃん、大丈夫?気になって、ファインダー越しにすぎちゃんを探す。泣いてはいないようだ。横にはまだ、たかなっしーがいる。結局この日の写真は最後まで、すぎちゃんとたかなっしーが一緒に写っていた。
杞憂だった。このチームには、打ち込まれたピッチャーの居場所をベンチにつくってやるお兄さんがいる。私が気を揉まなくとも、すぎちゃんは、このチームは、大丈夫。高梨裕稔という人がいれば、このルーキーはずっと投げられる。
試合は負けて、高津新チームの初勝利はおあずけだった。でも、この日はいい日だった。
この日からの、沖縄春季キャンプのオープン戦3連戦が、今のところ2020年の私の野球観戦歴、すべてだ。
たかなっしーがやってきて、1年はあっという間に過ぎてしまった。
本音を言うと、2019年シーズンのヤクルト球団初勝利をもたらした“救世主”のたかなっしーと、優勝のビールかけでヤクルト50周年の節目を祝いたかった。
それでも、たかなっしーは2019年、ヤクルト球団創立50周年のエンブレムを右腕につけ戦ってくれた。ヤクルト球団の歴史に名を刻んだ高梨裕稔とともに、ヤクルトの歴史は今日も続いている。
私はファンとして、高梨裕稔とともに、前を向いて歩いていきたい。
もう、たかなっしーが居ない東京ヤクルトスワローズは、在り得ない。
追記:本日2020年6月5日は、高梨裕稔さんの29歳のお誕生日です。プロ野球開幕まであと14日、背番号14のメモリアルデーに寄せて。おめでとうございます。20代結びの一年が、素晴らしい年になりますように。