いつからだろう、珍プレーを笑えなくなったのは

2020.12.13 sun. 20:00~『プロ野球珍プレー好プレー大賞2020』

放映開始から40年だそうだ。ヤクルトおばさんは、昭和の女子小学生だった。

真剣勝負の合間に偶然起こった、計算外の“珍しい”プレーに、ファニーサウンドとみのもんたさんの軽快なナレーションを重ねることで、珍しいプレーは“面白おかしい”プレーと変換される。足される笑い声につられずっと笑っていた。
オフショットや野球以外のシーンでの素顔を垣間見る貴重な機会でもあり、野球好き少女の、年末の楽しみ。楽しいバラエティ番組だった。

2020と銘打っているものの、伝説の珍プレー名シーンも所所に挟まれる。懐かしい。が、こどものころと違って、笑いの感情が出てこない。

いつからだろう、珍プレーを笑えなくなったのは。

以前、NHK『チコちゃんに叱られる』で、『歳を取ると涙もろくなるのはなぜ?』という疑問に答える放送回があった。たまたま視聴していたのだが、“前頭葉の衰えによる感情の抑制力の低下”がその理由、ということだったと思う。

加齢に伴い、脳の機能は低下する。キレる老人などはその最たる例だ。だから、泣くという感情を抑えきれず、涙もろくなるという現象が生じるということだった。頷ける話だ。

ただ、一方で共感力は加齢とともに増加する。人生経験を積み、物事を見るときに自己投影する。

たとえば、硬球が股間に当たり、選手が悶絶するシーン。「ご婦人方には分からない痛み」だ。おばさんでも、ご婦人である以上、経験からくる共感はできない。

それでも、こどものころに経験のなかった、
・硬球を触ったことがある(=どれほど硬いか知っている)
・ピッチャーの投げる球を球場で見ている(=どれだけ速いか知っている)
・大の大人があそこまで痛がるほどの痛みを想像する(=よほどの痛みなのだろう)

ということを、大人になってできるようになってしまった。だから勝手に心配し、経験したことのない真実の痛みに共感する。もんどり打つ選手を心配こそすれ、笑い飛ばすことなどできないのだ。

こども時代、私は親と茶の間で見ていた。両親が、当時まだ30代前半の人生経験で、ここまで共感できていたかどうか分からない。しかし、たしかに、親が私と一緒に笑い転げていた記憶はない。

この番組は、子ども向け番組だったのだろうか。

そして、笑えない、というより楽しめない理由に、ネットによる情報社会という背景があると感じている。

プレー以外の選手、たとえば、試合中のベンチやキャンプの様子。インターネットなどなかった昭和の時代は、貴重な裏情報だった。普段の野球中継では映らない選手の素顔を知ることができ、いつもワクワクしていた。

しかし、令和の現代、その情報は個人で収集できるものがたくさんある。そして、その情報はSNSを通じて個人で発信できる。決して特別なここだけの話ではない映像や画像があふれているのだ。

どうせ笑えないだろう。もしかしたら、不快な思いをするかも知れない。
そう思いながら、やはり見てしまった。

やっぱり無理だった。私が珍プレーを笑えないのは、加齢による脳機能の衰退と共感力の増大。あくまで個人的な理由だ。

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