誕生日じゃなくなった今日、3月15日
本日、令和6年3月15日は天赦日です。
年に数日の、天が万物の罪を赦(ゆる)す日に私がすることは、髪を切ることです。
最上の吉日に、リフレッシュとリスタートをするこの自分なりの儀式を、いつも楽しんでいます。
昨年なかなか時間を取れず、年の後半の天赦日を使えませんでした。
半年ぶりの美容院で、もうそろそろ大丈夫だろうと予約時にお願いしたのが「ヘアドネーション」、髪の毛の寄付です。
病気などで髪を失ったかたのため、人毛のウイッグをつくる団体に自身の髪を初めて寄付したのは、6年前です。
以前から興味はありましたが、伸びきった髪を見て重い腰が上がりました。
検索した美容院とは、それ以降のお付き合いになりました。
「いつもと同じで」で話が通じるのも、楽で贅沢なことです。
長さは30センチ以上必要です。それも、ウイッグになるころには半分の15センチになります。
私は3年に1回の頻度で、肩上までばっさり切ってもらいます。
それまでは、ひたすら長い髪とのお付き合いが続きます。
伸ばしている間も、天赦日には白髪染めに通っています。
寄付にカラー使用の有無は問いません。
ですが、ダメージヘアを避けるため、ドライヤー時のヘアミルクとヘアオイルは欠かさないようになりました。
それでも、毛先はきしみます。
今日、3月15日は、父の誕生日でした。
しかし、父は歳をとっていません。
昨年、亡くなったからです。
父は、雪国の山の麓の村で育ちました。
就職で関東に来て以降、40年以上故郷を離れていました。
定年退職で、その地元高速のインター2箇所ほど離れた県庁所在地に終の住処を構え、暮らしていました。
天気がいいと、2階の部屋の窓からその故郷の山がよく見えます。
私がたまたま泊まっていたある日の朝、澄んだ空気の先に見える風景を見て
「あー今日は山がきれいに見える」
と嬉しそうに呟きました。
山の風景をそんな風に語る父に初めて触れ、私は驚きました。
思い入れのある故郷の山を眺めながら余生を過ごし、今はその山にある墓で眠っています。
納骨の日は、吹雪舞う荒天でした。
その週で雪が吹き荒んだのは、この日だけです。
父の何かしらの意思表示のように感じましたが、何を伝えたかったのかは分かりません。
ただ、「山がきれいに見える」と喜んでいた父が、その山に還ること、その山の自然に晒されながら送り出せたことに、私は満足しています。
天赦日と父の誕生日が重なった今日、思い立ってヘアドネーションをしてきました。
誕生日を祝う行動ではありません。
ただ、誕生日じゃなくなった今日は、ちょっとした記念日になりました。
4束の長い髪の毛は、これから郵送します。
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