『詰むや、詰まざるや』ヤクルトナイト に行ってきました
『詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)発売記念
1992、1993年西武とヤクルトの激闘を、今こそ振り返ろう!
PART2 ヤクルトナイト @Shibuya LOFT9
仕事を早退し、渋谷まで来ました。途中、神宮外苑を通過し、いつもどおり右折して神宮に向かいそうになりました。
長谷川晶一先生のMCで進むトークライブ。ゲストはヤクルト黄金期の沢村賞ピッチャー・川崎憲次郎さん。
インスタライブのときにもしみじみ思いましたが、あの黄金期の選手がしゃべっている姿を、しかもこんなに近い距離で見ることができるなんて、時代ですね。
こんな日が来るなんて。生きれいれば、なんかあります。笑
大きな声では言えませんが、実はまだ、『詰むや、詰まざるや』、読み終わっていません。
背表紙の厚さは、目測3cm。たしかにプレッシャーのかかる量です。
しかし、発売からこの日まで、20日間ありました。平日日中は仕事ですが、さすがに読み終えていてもおかしくないでしょう。
いやこれが、まったく前に進まないのです!何度も同じ個所を読んでしまって、そのうち、寝落ち。毎日がその繰り返しです。
その時、その場にいなければ分からない、選手の思いと、野球の頭脳。
黄金期のヤクルトは、明るく楽しい雰囲気で、ファンを楽しませてくれました。いつも笑顔の芸達者な若者に、女性人気も上がりました。
しかし、こと野球に関しては、非常に真面目に、ストイックに取り組んでいました。
練習中も楽しい雰囲気です。歯を見せるなんて、世代が違えば叱られるでしょう。それでも、しっかり考えて練習するということをしているのが、ファンにも伝わってきていました。
野球に対する考え方は、選手それぞれにあります。常勝軍団だった西武ナインには、それがありました。
「野球が上手い」。プロ野球選手なら当たり前のことですが、考えて、それどおりの結果を出すことは、一筋縄ではいきません。こんな素人が見ても、完全なるプロ集団でした。
そして、世代交代で若返りを図っていたヤクルトの若い選手たち。たしかに経験値では西武ナインに後れを取っていたかも知れませんが、新たな指揮官、野村克也に必死に食らいついて野球を“勉強”し、それを実践していました。オールドファンは、その姿をしっかり見ています。
ただのエンターテイナー集団出身ではないことを知っていて、黄金期の選手が指揮を執る令和のヤクルトに沸くのです。
そして、「キツネとタヌキの化かし合い」と言われた、名将同士の戦略と策略。“かます”野村克也に、“かわす”森祇晶。痛快!当時感じていた空気の答え合わせをしているようで、楽しい!
……なんてことを思いながら、同じページを読んでいると、そりゃ20日で50ページしか進まんわ。呆
川崎憲次郎さんは、
「このイベントをやってること自体「なんで?」って思う。だって、四半世紀前のことでしょ?余程インパクトがあったということでしょ?」
とおっしゃっていました。
私は、この92-93日本シリーズが、今まで見た日本シリーズの中で、いわゆる“ベストバウト”だと思ってきました。
それは今も変わりませんが、そう思うのは私がヤクルトファンだからだと思うと、あまり大きな声では言えませんでした。
でも、振り返るたびに、日本シリーズは、考える野球を極めた両チームのプロ集団の姿があらわになって、緻密かつ大胆な野球を見せつけられた14日間だったと、感動がどんどん膨らむのです。
それが、四半世紀も経った今でも、こうして人が集まり、本を手にする人がたくさんいる理由です。
西武ナインは、プロ集団でした。そして、若返りの燕軍団もまた、野村克也に食らいついて考える野球をしていたプロ集団でした。
だから、この日本シリーズは歴史に残る“ベストバウト”だと、やはりそう思うのです。
当時を知らない人も、西武ファンでもヤクルトファンでもない人でも、この歴史小説はおすすめします。
川崎憲次郎さん。長谷川晶一先生。読了していない私が参加して申し訳ありませんでした。
本の読み方、教えてください。笑
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