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呟きから辿る天の川は、小川淳司へつながっていた

7月7日

去年の七夕の願い事。

小川淳司を胴上げできますように
#七夕の願い事 #swallows

忘れもしない。これは私の悲願で、悲鳴だった。

2019年。私はどうしても優勝したかった。前回の優勝は、ヤクルト本社80周年。その14年前の優勝は、21世紀初の日本一。
ヤクルトは地味な球団かも知れないが、そういう要所要所で決める球団だった。だから、ヤクルト球団50周年のメモリアルイヤーである今年は、絶対に優勝できる。そう確信を持ってシーズンを迎えた。

いや、そんなことより、私は小川淳司をどうしても優勝監督にしたい理由があった。

5月31日

首をすげ替えたところで何が残る。勝てば中身は誰でもいいのか。人への思い入れなく勝利だけほしいのか?私はこのメンバーで優勝したい。2014年に涙ながらに去っていった闘将が帰ってきてくれた。小川淳司を胴上げするチャンスができてうれしい。胴上げしたい。#swallows

小川淳司第一次政権の最終戦。退任が決まっていた小川淳司は、あいさつの最後で声を詰まらせる。小川監督が、そんな風に感情をあらわにするところを見たことがなかった私は、いたたまれない気持ちでいっぱいだった。こんなに苦しい思いをして、ずっとチームを率いていたんだ。お力になれることなど、何もしていなかった。申し訳なくて、顔を上げられなかった。
2010年、シーズン途中から監督代行として、引き継いだ当初の最下位から4位までチーム成績を引き上げ、「メークミルミル」という言葉が生まれた。
翌年の2011年も好調だったが、シーズン終盤、優勝まであと一歩のところで力尽きた。手の届きそうだった優勝とCS突破を逃した悔しさで、今でも胸がざわつく。
この悔しさを、まさか晴らせるときがくるなんて。小川監督復帰に、私はこのときの小川淳司を思い出し、メークリベンジだと意気込んだ。
1年目の2018年は、躍進の2位。いける。今度こそ、いける。小川淳司を胴上げする。そんなところでの、5月の大敗だった。

6月28日

私も諦めたくない。監督がここまで思いを込めた球団を大切にしたい。なんとか勝たせたい。土まみれ泥まみれになって、勝ちを取りにいきたい。応燕するよ。背中を押します。全員で頑張ろう。頑張って、小川淳司を胴上げしよう。#swallows

「私も諦めたくない」と同意したのは、小川監督のインタビュー記事だ。

小川監督は、戦い続けている。ともに闘うファンが、弱気になっていては足手まといだ。さあ、応燕だ。

7月25日

小川監督は本当に苦しいんだろうなぁ。私も苦しくなる。何とか、何とか小川淳司の笑顔を見たい。小川淳司を胴上げしたい。絶対に諦めたくない!今日も試合あるよ。岐阜・長良川。行ったことないなぁ。さぁ、頑張れ頑張れ!ともに闘おう。#swallows

小川監督の苦しみは、ファンに十分伝わっていた。私はどうしても諦めたくなくて、自分に言い聞かせるように、「小川淳司を胴上げしたい」と呟き続けた。

8月30日

小川淳司監督 お誕生日おめでとうございます
私は、小川SDがまたユニフォームを着て神宮に戻ってきてくれて、本当にうれしかったんです。今度こそ、小川淳司を胴上げしたい。この一心で応燕しています。だから、まだまだ現場にいてくれなきゃ困りますよ!頼みます。私は絶対に諦めない。#swallows

……この、「私は絶対に諦めない」は、優勝に対しての思いではない。小川監督をもう1年。来年もう一度、小川淳司を胴上げするチャンスを私に与えてほしい。その一心だった。

9月29日

心優しき闘将が、神宮を去りました。重責から身を引かれ、穏やかな表情になられたと、ほっとしています。2年間、楽しい野球をありがとうございました。
…本当は私、悔しさが消えないんです。どうしても、小川淳司を胴上げしたかった。小川監督。
R1.9.28 sat.
S 2×ー1 G
明治神宮野球場
#swallows

10月13日

私は、地味で静かなヤクルトの選手が好きだった。それでも戦う背番号35が好きだった。そんなことを思い出す50周年メモリアルイヤーでした。やっぱり、胴上げできなかったことが悔しい。今も泣いてます。この人がウチの監督だったこと、絶対に忘れない。誇りです。#小川淳司 #swallows #文春野球

千葉県唯一の、夏の甲子園優勝校・市立習志野高校のエース。私はこどもの頃、父にこのことを聞かされ、本当に驚いた。なぜそれを言わないの?自慢しないの?なんで今ピッチャーじゃないの?派手な経歴に似つかわしくない、小川淳司は、静かな選手だった。
思えば昔のヤクルトの選手は、全員「地味で静か」だったと思う。そんなウチの選手が、絶対的正義の讀賣巨人軍を相手に、真面目に野球をしていた。そんな大人たちを見て、私は育った。それでよかったと、そう思っている。

2月9日

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年が明け、浦添で見た小川淳司GMは、相変わらずイケおじだった。責任ある立場は変わらないが、闘将の顔は少し、穏やかになっていた。

呟きから辿る天の川は、小川淳司へつながっていた。呟いても呟いても、尽きることのない悔しさ。今はまだ、涙がにじむ。この人に、「ファンの皆さん、おめでとうございます」と言ってほしかった。

……そんな、叶わぬ夢を短冊に託しても、織姫に呆れられるだけだ。

さあ、明日は何を願おう。

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