M-1グランプリに見る「準備」と「見せ方」

面白かった!毎年面白いが、今年も例に漏れず面白かった。

M-1グランプリ最大の思い出は、2005年、ブラックマヨネーズの優勝だ。

東京吉本のライブには足を運んでいたが、大阪吉本の芸人を見ることはほぼなかった。そのうち、大阪から一組ゲストを呼ぶようになった。
ある日のゲストが、ブラマヨだった。

ブラマヨの漫才は、面白かった。しかし、小杉竜一の「ヘイヘイオーライ」や、吉田敬の「ずぼり!」という持ちギャグを知らなかった私と多くの東京吉本ファンには、あまりウケなかった。そして小杉の、いかにもTHE・茶髪という髪色と、JAPANと書かれたスカジャンに、「大阪では流行ってるのかな?」と首をひねっているうちにネタは終わってしまった。

当時、CSで「ヨシモトファンダンゴTV」という吉本興業の専門チャンネルがあった。「BASEよしもと」という若手が集まったライブの中継録画で、再びブラマヨを発見した。
「この間のコンビだ」
よくよく漫才を見る。面白い。吉田の畳みかけるボケと、小杉のはっきりした大声のツッコミが爽快。テンポがいい。そして、最後の「どうもありがとうございました」が、何故だか誠実に思えた。未だに何故か分からないのだが、ずっとネタに見入って、最後まで余白なく笑い、到達した「ありがとうございました」は、満足度MAXのエンディングだった。

私はお笑い好きの友人・T子にブラマヨをプレゼンし、以降ふたりで毎月1回行われる大阪のライブに足繁く通った。会場は、なんば・BASEよしもとを閉めたあとにできた、うめだ花月だった。今はもうない。いつもライブは日曜夜。翌日の月曜日は有給休暇を取り、空路で向かうことも毎月のルーティーンになった。
京都出身のふたりは、お母さん同士も仲良し。息子のライブに連れ立って来場していた。

当然、M-1前とM-1後は存在する。チケットは、発売初日に取ればA列はほぼ確定だったが、発売開始時間に入ってもH列だった。取れただけ、ましだった。

ブラマヨの優勝が決まった直後、T子と電話で話した。
「どうする?」
「どうしよう」
「でも、すごいよね」
「うん、やっちまったね」

どうするも何も、私らには関係のない話だ。そうしている間に、幼なじみや同級生から「おめでとう」メールが入る。私は何もしていないのに、だ。

私は友人に、ブラマヨのことを話していた。しかし、当時の知名度はほぼない。私が興奮して話して聞かせたブラマヨと、M-1のブラマヨが同一であることを認識してくれていることが、奇跡のように思えた。大体、よく覚えてたな。持つべきものは、友だ。

M-1後の、後方の席で見たブラマヨライブで、M-1の裏話をたくさん聞いた。その中で、ブラマヨのあのネタは、一度どこかのイベントで披露したきり、M-1まで封印してきたネタだということ知った。
ボケの吉田の「でもなー」から始まるマイナス思考の愚痴に、代案を出し続ける小杉が徐々にキレていき、吉田もヒートアップしていく。小杉の声がだんだんと大きくなって、掛け合いの速度がどんどん速くなる。

5秒に1回笑える掛け合い漫才は、ブラックマヨネーズの真骨頂。しかし、M-1の、“吉田の妄想”漫才ネタを、彼らはぶっつけ本番でやってのけたのだ。たしかに、毎月の単独ライブに通う私たちでも、初見だった。
「これでいく」と決め、温め続けたふたりの根気にも驚くが、そこまでしっかり「準備」して臨まないと通用しない。M-1はそういう舞台なのだと思い知った。

そして、もう一つ。ネタの「見せ方」だ。本番、決勝と、2本のネタの構成は同じだった。しかし会場は、一度同じ構成のネタを見ているにもかかわらず、大ウケ。笑いに笑いを重ねる畳みかけに焦点が絞られていた分、分かっていても笑える構成が完成されていた。
客前で試すことなく、そこまでできるなんて。勇気と信念を感じる。
カメラに抜かれた審査委員長の「これ、決まりやな」という表情がすべてを物語っていた。

私は、メールをくれた友人に「ありがとう。すごいでしょ?」と、大いに自慢した。

M-1グランプリ2020の優勝コンビ、マヂラルラブリーには、その「準備」と「見せ方」、両者が揃っていたと思う。
3年前、M-1の舞台で酷評されたことをバネに「準備」し、理不尽な野田のボケに村上がヒートアップしてつっこむ。ネタの「見せ方」は2本とも同じでも、ずっと笑いが続く構成は、見ている側に笑いの記憶を残した。

おめでとう!今この瞬間から、しばらく睡眠時間はないぞ。

私もそんな、「準備」と「見せ方」を意識して事に臨みたい。きっと、野球コラムも同じだ。そう思って、書き記す。

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一応、残しておこう。本日の名言。

『お笑いは今まで何もいいことなかった奴の復讐劇』byウエストランド

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