野球にまつわる話の『範囲』とは
私は、野球コラムを書く勉強をしています。野球を文字に変換する作業は、とても楽しいです。
ただし、私は野球のことは分かりません。自分でしたこともなければ、ユニフォームの着方も知りません。
「あの配球がどうの」「このバッターはこの球が得意」「ここが勝負どき、走れ!」なんて、本当に分からないのです。分からないことは、書けません。
野球を見て、感じたことを文字にするまでの間には、私の「人生観」というフィルターを通します。
こう思った、こうあるべき、こうあってほしい……選手の一挙手一投足に込める思いは、私の人生の中で築いた価値観でもあります。
その価値観を分かってもらわなければ、なぜ野球選手に対してそう思うのか、理解してもらえないということです。
共感は得られなくても、「この人は、こう思うんだな」と分かってもらうために、順序立てて、丁寧に、言葉を尽くさなければなりません。
年末年始、2000字の野球コラムの課題として挑戦したのは、過去の自分の話でした。
私はてっきり、野球コラムだと思って取り組んでいました。しかし、どうやらそれは「エッセイ」という分野に入るようです。
野球にまつわる、私の体験です。でも、「野球にまつわっているのだから野球コラム」ということではないということが判明しました。驚きました。
野球コラムを勉強するにあたり、まず「コラムとは?」を調べました。
コラム=根拠+主観
エッセイ=主観
いろいろな文献を検索し、ざっとこんな風に線引きをしています。
その、過去の自分の話は、野球選手のとある行動=「根拠」によって、自分の身に起こったこと=「主観」を語った「コラム」だと思って疑いませんでした。
しかし、言われてみればその「根拠」は、野球にまつわるものではありません。野球コラムとは、「野球をしている野球選手」「野球場にいる野球選手」が「根拠」とならなければ成立しないものだということを知りました。
日々勉強です。
もう少し成長したら、その、私が「野球コラム」だと思いこんでいた「エッセイ」を読んでもらえる機会を作りたいという欲も沸いてきました。
書くことが、楽しいです。