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箱根駅伝を見ながら思う、「頑張れ」という言葉の意味

正月3が日は駅伝。これは、1月1日から3日まで、ずっと家にいていい大義名分だ。今年も、仲間の思いが込められた襷を胸に必死に走るアスリートを安全な場所から眺めつつ、暇つぶしのデータ放送に勤しみ2日が過ぎた。元日のニューイヤー駅伝では、ヤクルト陸上競技部の7位という好成績になぜかスワローズファンが沸くという現象が起こった。ヤクルトのユニフォームを着た選手は、全員ウチの選手なのだ。

箱根駅伝を見ていると、逆転やブレーキ、繰り上げスタートのようなドラマ性の高い展開のときには、ついテレビの前で声が出てしまう。いなかの猫たちが私の叫び声にどどっとリビングから逃げ出すのも、正月の風物詩だ。さほど劇的な場面ではない、ただ選手が何位を走っているかを報告するだけの中継でも、走っている選手が映れば「頑張れ」とぶつぶつ呟いている。中継所で襷を受け取った笑顔も、徐々に苦しい形相に変わっていく。あと半分、もう少し、1キロを切ったよ、さぁ、頑張れ。頑張れ頑張れ。

「頑張れ」が応援の言葉ではないと刷り込まれたのは、タモリの発言だった。日曜10時からの“笑っていいとも!増刊号”。暇な昭和の小学生にとって、大人の文化と笑いに触れる楽しい時間だった。たしか、テレフォンショッキングのコーナーだった。

「頑張ってくださいって言われてさ、オレは頑張ってないのかよ」

ゲストの芸能人もうなずいていたと思う。ファンから向けられた励ましの言葉。だが、当時テレビっ子だった私にとって、タモリという絶対的カリスマの発言は正義だった。それ以降私は、「頑張れ」という言葉を発することに後ろめたさを感じ、ゴスペラーズの新譜握手会でも「頑張ってください」の一言を飲み込み、「いつも聞いてます」と声掛けに“配慮”した。

2019年5月28日神宮広島戦。チームは12連敗目を喫した。私は3塁側内野席から、4回1死満塁で降板する原樹理を連写していた。3塁側のカメラ女子の課題は、自軍のベンチを撮ること。マウンドから引き上げる樹理を追い、ベンチに着いた後もそのまま撮り続けた。

樹理は、ベンチ裏に下がらず、そのままベンチに居続けた。時折声を出し、手を叩き、交代した久保拓眞を鼓舞していた。私はハラハラしていた。どんな心境なんだろう。連敗続きで、どうにかしてチームの勝ちが欲しい時に、自分が打ち込まれて点差を5点にまで広げてしまった。全ての人に顔向けできない、所在のない状況ではないのか?アイシングはしなくていいの?

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私は、泣きべそをかきながらもそこにいる原樹理という若者を尊敬した。強いと思った。自分のプライドなど関係ない。チームが勝つために、チームメイトのためにそこにいて応燕する。ここでそういう行動を取れる野球選手が、ウチのチームにはいる。いつしか私は、「頑張れ」と呟きながら、樹理を撮り続けていた。樹理は結局、4回表終了後の円陣に参加してから、ベンチ裏に引き上げていった。

樹理が頑張っていないから、「頑張れ」と言ったのでは決してない。樹理は頑張っていた。頑張る樹理に、つい「頑張れ」と声をかけていた。発破をかけて奮起を促すなんて、とんでもない。頑張る樹理を、頑張るヤクルトを、頑張る小川監督を、ただ私は応燕しただけなのだ。

ウチは、本当に弱かった。だけど、頑張っていた。頑張る姿を私に見せてくれていた。そして私はその姿を見届け、涙にかすむファインダーをのぞきながらカメラを構え続けた。そんな2019シーズンだった。

明日は箱根駅伝復路。私は、エアコンを効かせすぎてガラガラになった声で、いつもどおり呟くだろう。「頑張れ」と。

2020プロ野球開幕まであと16日じゅり22


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