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モヤモヤとは、詰み残した宿題のようなもの

3連休、野球コラムの宿題にとうとう手を付けられなかった。

この3連休でなんとかしなければ、次の土日はイベントで予定が埋まっている。

そうだ。その“次の土日”のイベントが、緊急事態宣言を受けて中止となり、私は「ラッキー」と思ってしまった。

生きながらえたという安心感が、緊張感を阻害したのだ。

それだけではない。今回の宿題は、テーマを自由に表現する書き方とは違う。どう表現して、どう成果を出すか。どう書いても駄目なような気がして、年末年始の休みにもまったく筆が進まなかった。いらぬプレッシャーに、毎日泣いていた。

苦しい。小賢しい言葉ばかりが並んで、自分の文章が嫌になる。

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「ずっとモヤモヤしているんです」

正月明け早々、出張した先で後輩が言った言葉だ。コロナ禍により、職場は人が減り、一気に忙しくなった。年度初めは新体制が整い、少し仕事が楽になったと思っていたから余計に、心の余裕がなくなった。

積み残した宿題が常に頭の中にあって、すっきりしないのだ。

「○○さんがそうなら、私こそ何もできてないよ」

謙遜でなく、事実なのだ。いつでも仕事が片付かない状態が続いていて、心が休まるときがない。
自分の時間も、野球コラムに手を出せなかった。提出までこぎつける自信がないから、すっきりした清々しい自分を想像できない。
春季キャンプの見学ができるかどうかも不透明だ。1か月先を予想できない。
不織布マスクの摩擦でアレルギー反応が出た。顔が赤く腫れあがり、ファンデーションも塗れない。

一事が万事、積み残した宿題のようなモヤモヤを抱え、日々生きているようだ。

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好きな野球に向き合えない。

多分、いろいろ考えてしまうからだろう。宿題だって、出さないことに罪悪感を感じない人は、そもそも“積み残し”にはならない。

評価されたい。前作を越えなければならない。悔しさを、晴らしたい。

邪な気持ちが、素直さを奪っているのだと思う。だけど、そんな気持ちを振り切る勇気が出ない。

こんな時は、どうするんだったっけ?そうだ、原点に戻るんだった。

野球選手の行動に背筋が伸びた。賢明に野球をする選手たちが誇りだった。負けて唇をかみしめる選手の強さに救われてきた。

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辿っていけばそこには、若松勉がいて、八重樫幸雄がいる。頑張らないといけない。締め切りまで、あと6日。

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