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親や先生が言う「勉強しなさい」を英訳しなさい

はい、授業始めます。今日は英語の助動詞について学びますよ〜。まずは助動詞は肯定文では動詞の前におく!そしてそれぞれに意味があるから注意しようね〜
mustは「〜しなければならない」shouldは「〜すべき」という意味を持つよ〜
じゃあ問題に>>>

こんな知識詰め込み型のクソみたいな授業を一発かましたところで本題に行こう。

つくづく親や先生たちが子どもに言う「勉強しなさい」ってなんて都合の良い言葉だと思う。
というのも彼らは、その言葉を発する時、具体的なタスクを述べてないからだ。口をひらけば「宿題は終わったの?」「勉強しろ」だのただただ抽象的に、盲目的に子どもたちに伝える。
「英単語の不規則動詞を覚えなさい!」や「数学の連立方程式の加減法の練習をしなさい!」とか教科の単元名を挙げて言う人たちは皆無であろう。
結局、面倒くさいからと言う理由で「勉強しなさい」という万能な刀を振りかざし親や先生は今日も子どもたちに立ち向かう。
子どもたち、特に中学生には逆効果となりますます勉強のモチベーションが失われる。これを悪循環と呼ばずしてなんと呼ぶのか。

そしてここで考えたい。この時に使われている「勉強しなさい!」を英訳すると?

命令文を習ったことのある皆様なら迷わず、Do  your study!もしくは Study!と答えるであろう(後者のStudy!はStay!みたいな感じで犬に命令しているようで適していないと使役されるかもしれないが)

しかしながら親が、先生が言う「勉強しなさい」は本当に命令文なのだろうか。
そもそもなぜ勉強しろと言うのか。学校のため?進学のため?就職のため?色々あると思うが、結局は勉強できることに越したことはないと言う親の心理がそうさせているのである。
成績が良ければ塾の費用も必要ない上、保護者懇談会で先生たちから嫌な内容を聞かされずに済む。
先生たちは必死にこの子でも受かる安全圏の高校を探したり、保護者懇談会で長々と話をせずに済む。
結局大人の都合が集約され、子どもたちへの「勉強しなさい」という言葉に繋がっているのである。
助動詞で行ったらmustの(〜しなければならない)の義務ではない。shouldの(〜すべき)という義務でもないはずだ。
ただのお願いである。
子どもたちに対する。勉強してくれないと面倒くさいから、良い成績を取ってくれない(そもそも良い成績とは何かという話であるが…)とあなたの将来が心配になってしまい、夜も眠れないんだから!と。

よって、これを踏まえて「勉強しなさい!」を改めて英訳するならCan you study to avoid trouble?である。
あくまでもお願いベースであるのだ。なぜ勉強するのか、勉強の何が面白いのかを教えないまま、そして子どもたちが知らないまま勉強することが、結果として彼らが抽象的な言葉で「勉強勉強勉強」と、まるで某通信教材のC Mでの「天○天○天○!」のように唱え続けることへとつながるのだ。
結局大人の都合が、思惑が見え見えだから俄然勉強へのやる気は失われる。
子どもたちもアホではないはずだ。
大人の言葉の裏に見え隠れするものくらい理解している。

ここまでずっと大人に対しての批判しか書いていないように思えてくるが、決して勉強すること自体を否定しているのではない。
「学ぶこと」は楽しいことであり、人間の欲求の一つである。
それを放棄してしまうのはいささか勿体無いと考えている。
しかしながら親や先生の「勉強しなさい」という言葉に説得力がないと思うのだ。
家庭において両親も勉強する習慣があるという家庭は子どもが「勉強」や「成績」で悩むことは少ないのではないかと思う。
あくまでも推測の域に過ぎないが、子どもが両親が勉強する、何かを学ぶという姿を見て育つと自然と「imitate」するのではないか。
やれ「俺が中学生高校生の時はもっと勉強していた」「平均点は超えろ」「勉強は大事だ」だの自らの過去の武勇伝だけを振り回し、子どもに「勉強」を強いても効果はない。なぜか? 両親のその姿を実際に見ていないのだから。
休日はダラダラし、ずーっとテレビの前にいる両親には説得力がないのである。
当然、両親は平日、働いているのだから休日は休むべきであり当然の権利である。
でも子どもたちだって平日は朝から学校に行き、部活に行き、塾に行き、同じくらい忙しいのだ。同じような境遇である。


結局学ぶことを「習慣」として持つ家庭には「勉強しなさい」という言葉が無縁である場合が多い。
当然ながら私自身は「習慣」を持たない家庭であった。
よっていまだに家で勉強する習慣を持つことができていない。
でも今はもっと中学生、高校生の時に勉強していればよかったと後悔することがある。今でこそ学ぶことは好きだがもっと早く気づいていればと思う。
あの時謎に尖って反発して勉強しないことをかっこいいと思っていた自分自身を殴りたいとも思う。
彼らが言っていた「勉強しなさい」という言葉は間違ってはいなかった。
でも、言葉の伝え方は結構大事なんだなって一方的に思った昼下がりである。





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