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アビスパ優勝が私にもたらしたもの
11月4日 決勝
11月4日、ルヴァンカップ決勝、アビスパ福岡対浦和レッズ。
リーグ戦後半戦の快進撃と初の決勝進出の勢いそのままに乗り込んでくるアビスパ福岡に対するは3度のACL制覇の経験を持つ、言わずと知れた強豪浦和レッズ。
準決勝セカンドレグで逆転し、横浜Fマリノスを敗退に追い込んだ勢いそのままに手慣れの決勝の舞台で迎え撃つ
結果はもう皆さん既にご存知であろう。2023年ルヴァンカップは、アビスパ福岡の初優勝で華やかに幕を閉じた。
今回の記事の概要
これを祝して、今までのクラブの歴史を書こうとでも思ったが10000字以上の大論文になる可能性が否めないのでここは泣く泣く諦めることとした。しかし、かつては、J1昇格、降格が5年周期のエレベータクラブと揶揄されたクラブが、創立26年目にして初優勝した喜びは一サポーターとして何にも変え難い。まさに嬉しさで宙を舞うほどのものである。この気持ちを表現するには文章しかないと思い私は約2ヶ月ぶりに執筆の重い腰をあげた。
今回はアビスパ福岡の優勝を祝し、決勝当日の国立開催の試合の様子と初優勝の瞬間について可能な限り簡潔にまとめていきたい。そして最終章では今後のアビスパ福岡についてもまとめておくので9000字ほどの3本の期末レポートに値する文字数ではあるが、是非読了していただきたいと思う。
アビスパ福岡の優勝が話題となる要因
今回のアビスパ福岡の優勝はなぜここまで盛り上がっているのか。
まずはここからおさらいしておこう。
私はアビスパ福岡の優勝がここまで盛り上がっている要因として
①人気も実力も低迷していた時期の長かったチームの創立26年目の初優勝であること
②J1クラブの中でも資金力、選手層では下位層に位置するアビスパ福岡が順当にJ1クラブを下してルヴァンカップ王者となったこと
③福岡の圧倒的NO,1プロスポーツチームの福岡ソフトバンクホークスが不甲斐ない成績でシーズンを終えていたこと
の三つの要因が挙げられる。
低迷期を乗り越えた悲願の優勝
①に関しては、福岡にいる人なら身をもって実感しているのではないか。
アビスパ福岡は人気、実力ともに常勝軍団のプロ野球チームであるソフトバンクホークスの後塵を拝している。福岡のスポーツニュースはほとんどがホークス関連。
たとえアビスパが週末の試合で快勝を収めたとしても、月曜日の在福情報番組のスポーツコーナーは、ソフトバンク関連の話題から必ずスタートするのだ。このように在福メディアにおいてソフトバンクホークスは常に視聴者の関心を集めるドル箱コンテンツであり、各局がホークス第一主義となっていることは否めないのだ。
また、Jリーグは発足してまだ30年ほどである。戦前からリーグ戦が行われていたプロ野球とは知名度や注目度ともに雲泥の差があることは明らかである。
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ヤンドンヒョン。
資金力、選手層で不利に立たされていても
②では、低迷期におけるアビスパ福岡に起きた出来事として2013年に発覚した経営危機問題によるチーム存続の問題を持つ人も多いのではないか。運転資金の不足によりチームは存続の危機に立たされたものの「ふくや」などをはじめとする地元企業、アビスパ福岡のサポーター、Jリーグクラブのサポーター、アパマングループなど多くの人々の支えもあって新生アビスパとしてクラブ再建に乗り出したことは記憶に新しい。
参考文献【福岡】存続の危機に直面した2013年の経営危機が、理念実現へと邁進させる転機に,中倉一志
現在は運営資金不足に陥るようなことはないものの、コロナ禍による入場者収入減などが影を落とし、2023年現在、クラブは約3億3000万円の債務超過を抱えており、昨季決算も4季連続の赤字となっている。
他のJリーグクラブと比較してもアビスパ福岡は、資金面で不利な状況に置かれている。
公益社団法人日本プロサッカーリーグ経営基盤本部クラブライセンス事務局が公表した2022年度のクラブ経営情報開示資料によると、売上高では浦和レッズが81億2700万円でJ全体の1位であるのに対し、アビスパ福岡は28億2900万円。これは、J1リーグ全体の16位の値であり、昨年J2リーグを戦った横浜FCの28億6100万円をわずかに下回っている。
このように売上が大きく影響する資金力では、他のJ1クラブにはアビスパ福岡は太刀打ちすることはできない。
チーム人件費で比較しても同様のことが言える。
ルヴァンカップ決勝で火花を散らした浦和レッズの2022年度の人件費は28億5300万円。
これは、同じく2022年度のアブスパ福岡のチーム人件費、16億7700万円のおよそ1.8倍ほどの値となっている。
確かに、サッカーは団体競技であるため人件費に比例して成績が必ずしも向上するわけではない。
だが、アビスパ福岡は資金面で他のJ1クラブと比較しても大きなハンデを背負っていることは否めないのだ。
そんなチームがルヴァンカップ決勝においてACL王者である強豪浦和レッズを破って優勝したジャイキリ物語に感動を覚える人も多いのではないか。
特に地元福岡の人たちは、、、・
福岡の常勝軍団の存在
③は、外的要因である。今季福岡ソフトバンクホークスはレギュラーシーズンで3位に終わった。
迎えたクライマックスシリーズでもファーストステージにロッテに敗れ終戦したことが大きく影響しているだろう。
競技は異なるが、約3年ぶりに“優勝”の二文字が福岡の頭文字に帰ってきたことは、福岡在住の多くの人々の興味、関心を惹いたと言えるだろう。
今まで、テレビのスポーツコーナーの一部分でしか取り上げられることのなかった地元のプロサッカーチーム、アビスパ福岡が知らぬ間に優勝していた、という“意外性”も同じく彼らの興味関心を惹いたと考えられる。
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以下の三点がアビスパ福岡の優勝がこれほど福岡で盛り上がっている主な理由である。
前置きが長くなったが決勝の話をしよう。
国立にて
朝9時、千駄ヶ谷
11月4日朝9時、私は国立競技場の最寄駅であるJR千駄ヶ谷駅に降り立った。
改札を出ると、圧倒された。
このときキックオフ約4時間前である。
だが、駅前のロータリーは赤のユニフォームのサポーターでごった返していた。ざっと8割ほどが赤き血のサポーターであろうか。
赤色のユニフォームの中からかろうじて10人ほどの紺色の仲間を発見することができたものの、駅に降り立った途端に“アウェーの洗礼”を受けた。
私は、これから始まる歴史への挑戦に隠しきれない不安を見せながら森と木のスタジアムへと足を向けた。
朝9時30分 Hゲート前
アビスパ福岡側のHゲートに到着すると全ての不安はものの見事に消え去った。
数えきれないほどの紺色のサポーターでHゲート前には終わりの見えない列ができていた。
周りの人たちがアビスパサポーターってこんなにいたの!?と驚くのも無理はない。明らかに通常のホーム、アウェイのゴール裏の人数を上回る人の数が開門時間前にすでに集まっていたのだから。
彼らが歌うLOVE SONGは国立の朝の小鳥の囀りの代わりとなっていた。アビスパ福岡を愛するものたちの集まりは私たちが到着した後も続々と列を伸ばしていった。
そして到着から約30分後、朝8時から待機列、グッズ列に並んでくれていた友人達のおかけで私たちは無事、聖地国立へと入場を果たした。
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国立、12時。
初めての国立は、馴染みのある景色だった。テレビ中継で幾度となくみた聖地国立の舞台。数えきれないほどの席数と見事なほどに整えられた芝のピッチ。
だが、今回は国立に来たことで感傷に浸っている場合ではない。我々の目指す場所は、王者の座。私は、暫しの感傷ののちこれからの運命の決戦に備え一路、国立競技場外のローソンへと向かった。(想定外の暑さによる水分調達である)
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ローソンでの水分調達を済ませると、あっという間に試合開始1時間前となっていた。GK陣の登場である。同時にチャントも歌われ始めた。「飛ばないやつはサガン鳥栖〜」。
聖地国立の地で鳴り響かせたのは、アビスパ福岡というクラブ、まちを象徴するチャントだからであろう。「俺たちは、福岡」ということを証明する踏み絵のようなものだと私は認識している。
フィールドプレーヤーの練習中もチャントは鳴り響いており、まるで決勝への気持ちの高鳴りを表現しているようだった。
フィールドプレーヤーの練習後はベススタではお馴染み、ノブリュウさんのチーム紹介アナウンスの時間である。
アビスパのホームゲームではお馴染みの光景であるが、同様の光景を“東京”で拝めていることで、私はアビスパが本当に決勝に来たのだと改めて実感させられた。
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歴史を変える90分の始まり。
驚きの前半
時刻は13時5分、キックオフである。
アビスパ福岡の予想フォーメーションは3−4−2−1。0−4と大敗を喫した前週のJ1リーグ横浜Fマリノス戦から、3人の選手を入れ替え、中盤の要、背番号6前寛之はアビスパ福岡で初のシャドーの位置に入った。
対する浦和の予想フォーメーションは4−2−3−1。先週アビスパ福岡が大敗を喫した横浜Fマリノスを準決勝で見事下し決勝へと駒を進めた。自慢の大応援団を背に、2019年以来のルヴァントロフィーを目指す。
試合は、アビスパ戦前の予想に反し敵人内でアビスパがボールを支配していく。
ゲームは驚くほど早く動き出した。
前半の5分、紺野選手の折り返しに反応したのは、前寛之選手。この瞬間スタジアムは圧倒的な歓声に包まれた。
そして、先制点を境にアビスパ福岡ゴール裏の歌声もさらにボリュームも上げていく。
前半は終始アビスパ福岡のペースで試合が動く中
迎えた前半アディショナルタイム。
紺野選手の折り返しに反応したのは、宮選手。大きなリードとなる二点目を奪い前半を有利な状態のままで終え、ハーフタイムへと突入した。
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勝負の後半、流れが変わる
後半、防戦一方となったのはアビスパ福岡。浦和レッズの猛攻に対してまさに“全員守備”の姿勢で凌いでいく。そして迎えた後半10分、再びゲームが動きだす。右サイドでドリブル突破を見せた湯澤選手は、後ろから抜け出したドウグラス・グローリ選手へとパスを供給する。これが繋がり、グローリーは普段見せない一対一でのペナルティエリア内への侵入を試みた。すると対応した浦和レッズのホイブラーテン選手が堪らずグローリ選手を倒してしまった?のか。審判はPKを宣告した。グローリのアクションがあからさまだったのでPKの判定に疑問を持つ観客も多かったが。VARの結果、判定は変わらず。アビスパ福岡のP Kである。
そして、PKの位置にはアビスパの絶対的エースの山岸祐也選手。決める先には
大声援のサポーターが待っている。審判の笛が鳴った。山岸選手が左端に狙い澄まして蹴ったボールは無常にもGK西川選手の手の中に。誰もが三点目を確信していたのでダメージは大きかった。そして、その1分後、今度は浦和の選手がペナルティエリア内で倒され、またも主審がVARのシグナルを示す。幸いなことに確認の上PK無しであることが宣告されたが明らかに浦和に流れがきていることは明白であった。そして後半の22分、ロングボールを収めた浦和の明本選手が、左足を振り抜き、アビスパゴール裏に突き刺す。これでスコアは2−1。一点差となり残り23分がとても長く感じてきた。
だが、ここで踏ん張れるのが今のアビスパ。ラインを高く設定した浦和レッズ相手に、一歩も引かず、球際でも激しい戦いを繰り広げる。
山岸のPKシーン
アディショナルタイムに
そして迎えたアディショナルタイム。国立競技場の巨大スクリーンには8分の掲示が出た。
8分!!周りにいる誰もがつぶやいた。8分は長すぎる…という枕詞をつけて。
この8分はまさに1秒が相当に長く感じてしまう時間だった。一つのプレーが終わるたびに時計を確認していた。
浦和もACL王者の意地を見せようとアビスパが守るゴールに猛攻を仕掛ける。
浦和が向かうゴールの反対から応援している側でも恐怖を感じるほどの浦和レッズの攻撃に対し、アビスパ福岡はDFラインを中心としたゴール前での必死の守りで一点を死守する。ひとたびボールがアビスパの陣地を抜ければ、サポーターの歓声と拍手も一段と大きくなる。前線では、ウェリントン選手がボールを保持するGKに対して勢いのあるプレスで相手に脅威を与えている。
後半の51分、浦和のホセカンテ選手がペナルティエリア外から右足を振り抜いた。だが、このシュートはポストを叩き、甲高い音が国立に響いた。
このポストを叩く音は、恐怖のあまり一生覚えているであろう。
そしてコーナーフラッグ付近では、元鹿島の金森選手と小田選手のボール保持いわゆるプロの“鹿島る”で着実に時間を稼いでいく。
ペナルティエリア内から奈良選手がボールを掻き出す。
それと同時に甲高いホイッスル音とともに、歓喜の歓声が国立競技場の空にこだました。
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初優勝の喜び
歓喜の瞬間
アビスパ福岡初優勝の瞬間である。
待ち望んでいた優勝が現実のものとなった時、紺色のサポーターの中には涙を流し喜びを分かち合う人も大勢いた。優勝の瞬間は、喜びの声で何も聞こえなかった。それは国立だけでなく、福岡の地でも同じだろう。
私も涙こそ出なかったものの、憧れだった夢の舞台での最高の結果に何も言葉が出てこなかった。
そして喜びの声が周りから鳴り止まない中、私は別のことを思い出していた。
小学3年生の時、初めて観に行ったアビスパ福岡の試合で浦和レッズに逆転負けを喫したこと、J2時代の2000人ほどの観客の中でなす術もなく負けていたあの時代が記憶の中に鮮明に蘇ってきたのである。
あの時のアビスパ
観に行ってもゴールが見られたらと思っていた時代。J1昇格を果たしたもののぶっちぎりの最下位で、1年での降格を余儀なくされた。
その翌年、博多のプリンス金森選手は鹿島アントラーズに移籍した。一番好きだったウェリントン選手、サイドを果敢に駆け上がっていた亀川選手は2017年のJ1昇格プレーオフ決勝で名古屋に敗れた後、それぞれ神戸、柏へと移籍した。
その後は2018年の7位でJ1プレーオフ進出を逃し、2019年は一年を通して降格圏付近を彷徨い最終的にはJ2の16位で終了し、その時にはアビスパに行こうと誰かを誘っても「弱いんでしょ」「勝ったの見たことない」とネガティブな反応ばかりだった。
その頃には周りの人のほとんどがアビスパに見向きもしなくなってしまった。同じ福岡市を本拠地とするソフトバンクホークスは日本シリーズ3連覇と黄金期を謳歌していた。
隣の鳥栖のチームは、イニエスタやダビド・ビジャ擁するヴィッセル神戸相手にフェルナンド・トーレスの引退試合を開催し日本のみならず世界から注目を集めていた。ダービーの犬猿の中である両チームの対照的な状況にはもはや嫉妬心さえも抱かなくなった。
アビスパはアビスパで隣は隣。“よそはよそ。うちはうち”と言わんばかりに、
ないものねだりをやめ、アビスパが置かれている現実を受け入れていた。
そしてギラヴァンツ北九州はJ3で優勝し小倉駅近くの新スタジアムは、新しいものを好む傾向のある福岡の人々の心を掴みつつあった。観客数も低迷し、当時高校生だった私は、ばら撒かれていたタダ券で試合観戦をする日々だった。
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愛を失ったサポーターとして
2020年は長谷部アビスパ1年目で、開幕戦の福岡ダービーに見事勝利したものの、その直後に新型コロナウイルスによりリーグ戦は中断。
6月の再開後も無観客試合や五千人の入場制限、声出し禁止など強い制限がかけられた。この年はJ2で12連勝を達成しJ1昇格を果たすなど話題に富んだシーズンではあったが、コロナ禍初年度が深い影を落とした。
そしてこの頃には私は受験生だったこともありアビスパからも心の距離が少しずつ離れていってしまった。
2021年はJ1リーグで初の1桁順位である8位と結果を残し、翌年もしぶとくJ1残留とカップ戦4強を達成したが、現状のアビスパ福岡に対して満足している自分に対してどこかやるせなさを抱えていた。
福岡を離れて2年ほど経ったこともあり、ファンクラブも解約した。
毎週末楽しみにしていたDAZNでのアビスパ福岡の試合観戦や関西付近のアウェイ参戦からも足が遠のきつつあった。
今J1であげる一勝よりも、9年前のJ2での1勝の方が私は喜んでいたと思う。
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最終的には行くことに
このように、私のアビスパに対する熱意は日に日に薄れていっていた。
初の決勝である今回も国立に行くことを一度は迷った。11月4日は秋の3連休の真っ只中。飛行機代もいつになく高騰していた。大学の研究にも就職活動にも時間を取られて余裕は正直ない。昔なら即決で予約のボタンを押していたのに、いつしかアビスパに損得勘定を持ち込んでいる自分がいた。結局、私は東京に行くことを決意した。最後は私のうちに秘めていたアビスパ愛がアシストしてくれたのかもしれない
自分にとっての因縁の相手
アビスパ福岡を応援して早10年以上が経った。勝った試合よりも負けた試合の方がもちろん多い。
時は2023年、奇しくも初の決勝の舞台の相手は、私の初観戦で鮮やかな逆転勝利を見せてくれた赤き血のイレブンである。
あの時の自分と10年前の自分
我がアビスパ福岡はJリーグの決勝の舞台において強豪浦和レッズに対し、堂々たる戦いで勝利をもぎ取った。私が小学生の頃の弱いアビスパはもういない。私の後ろにはあの時の2000人を遥かに上回る1万人ほどのサポーターが東京に集結していた。ゴールが決まればみんなで喜び、ボールの行方に一喜一憂する。選手の良いプレーには拍手し、相手のファールには思わず不満を露わにする。11月4日の国立競技場にいた私は、10年前の私そのものだった。あの時は、決勝の舞台じゃなくても福岡のスタジアムで同じ行動をしていた。あの日、国立にいつものようにアビスパの試合を達観していた私はもういなくなっていた。
国立という特別な舞台が想像以上に自分を高ぶらせてくれたのかもしれない。だが、決勝の舞台がかつての純粋にアビスパ福岡を応援していた私を思い出してくれた。
「アビスパ福岡の現在のチーム状況とこれから」という題で中学時代、修了レポートを書いたほど好きだったアビスパ福岡。
「好き」という言葉ではまとめられないものがある。
自分が好きになったアビスパは、「浦和レッズに負ける弱いアビスパ」だった。
時が経ち、強いアビスパも好きになった。
それは、選手、コーチのみならず、クラブにかかわるすべての人たちが”強いアビスパ”を見せようと全力を尽くしてくれたからに他ならない。
カップを掲げる城後といつもの光景
国立競技場で城後がシャーレーを掲げた。城後KING寿。彼なくしてアビスパ福岡の歴史は語れない。王座には、J2時代も共に戦った亀川選手もウェリントン選手も金森選手もいた。隣にはコーチになった杉山選手もいる。王者となったアビスパがここにはいた。
いつも通り1本締めを行い、そして最後は「博多へ帰ろう」が歌われた。
国立から博多へ帰ろう
アビスパ福岡という存在。
何度も見たはずの光景なのに胸が熱くなった。そして私は、アビスパ福岡が自分の福岡に対する思いを繋ぎ止めるものだったのだと知った。大学で福岡を出て京都に住み始めて3年目。それでも福岡に対する気持ちを繋ぎ止めていたものは紛れもなくアビスパ福岡だったのだ。聞き慣れた方言が飛び交うゴール裏は地元そのものである。
初優勝の夜
スタジアムを出た後もお祭り騒ぎは続いた。歌舞伎町でアビスパファンとすれ違えば、必ずお互いハイタッチをして喜びを分かち合い、健闘を讃えあった。私含めアビスパ福岡のユニフォームを着ている人を新宿の至る所で見かけた。
今後も優勝するに違いないが、”初優勝”は一度しか経験することのできない初めての経験である。浮かれているのか東京の街とは思えないほどアビスパ福岡のユニフォーム姿の人々を驚くほど多く見かけた。
全アビスパファンにとって初優勝の夜は一生忘れられないものとなった。
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突き進む長谷部アビスパと私。
そしてこれからもアビスパ福岡の戦いは続く。チームは福岡に凱旋すると日曜日は空港でのお出迎え、月曜日は祝勝会と福岡の街は歓迎ムード一色であったと聞く。そんな中でも迎えた11月11日土曜日、アウェイのガンバ大阪戦。山岸選手が2年連続の2桁得点となるゴールを決め、後半アディショナルタイムには復帰直後のルキアン選手が見事なヘッドを決めて逆転での勝利となった。
残念なことに私は見に行くことができなかったが、後悔はしていない。人生において大事な時期に立たされている今の自分にとってアビスパは最優先事項ではないからだ。
でも、ルヴァンカップ決勝は自分がアビスパサポーターであるということを再び強く自覚させてくれたのだ。優勝という結果に満足しているが、まだ道半ば。
長谷部アビスパは、来たる来年のリーグ制覇とカップ戦、天皇杯の3冠に照準を合わせ、すべての試合で我々を楽しませてくれるだろう。
私はこれからもアビスパ福岡サポーターの一人である。
では、最後に皆さんでご一緒に
〜飛ばないヤツは〜
〜サガン鳥栖〜
〜久留米は〜
〜福岡〜
すいません。気を取り直して、いつも通り一本締めで終わりましょう。
ご一緒に
〜よーお〜
〜👏👏〜
〜もーつ〜
〜👏👏〜
〜祝うて3度〜
〜👏👏👏〜
ありがとうございました。