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「感謝」と「赦し」が人生を変える
1.最も人生を変える思考
瞑想をしていると、自分の心の中の静けさにアクセスできるようになってくる。
日常生活の中でも、何か起きた時に反応的ではなく、1秒でも自分の感情を客観視できるだけで、感情に飲み込まれることを防げて、アンガーマネージメントには必須のスキルと言える。
自分の感情の客観視から一歩進んで、意識的に思考する時、私自身の人生を最も変えた思考は「感謝」と「赦し」だった。
孤独と困窮と怒りと悲しみ、自分の無力さから、希死念慮に取りつかれていた時、いろんな本や戦争を経験した人との出会いの中で、私より大変な状況にある人たちが前向きでいられるのはなぜ?何が私と違うのか?ということを知りたくて、必死に本を読んでたどりついた答え。
「感謝」と「赦し」を起きている時間は常に繰り返すよう気を付けていたら2,3週間で心の闇から解放され、数か月で周りの人や環境をも変わっていった。
過去の私のように病んでなくても、状況的にどうしたって全く感謝の気持ちを持てない時や、怒りに飲み込まれて、“赦し”なんて微塵も考えたくない時もある。
でも、実は、そういう時ほど「感謝」と「赦し」が大事になる。
ふとしたそんな状況は何度も経験してきたので、意識的に思考をそちらに向けるよう気を付けると、効果があることは自分で実感している。
2.感謝
「感謝」の気持ちがどうしても持てない時、明らかに自分より大変な状況の人や壮絶な経験をしても今をまっすぐに、腐ることなく朗らかに生きている人のことを考える。
実際会ったことのある人だけでなく、有名な誰かでもいいし、本にされている人でもいい。
オンライン英会話をしていると、いろんな国の人と話して生活についてもリアルに知ることができるけど、日本のように毎日のようにお風呂につかれるような国はほとんどない。
日本に生まれただけでも相当恵まれていることに沢山気づかされる。
治療や手術で一時的に食事制限があると、食べ物という口から味として感じる幸せがどれだけ日常を豊かにしてくれているかにも気づく。
マインドセットについての記事でも書いたけど、恵まれていることにも慣れてしまってなんとも思わなくなっているだけで、一度感謝モードになると、次々に感謝するものに気づかされる。
人生に「感謝」が大事という理由は、感謝によって「不満モード」から抜け出せるから。
人は不平不満でいっぱいだったり不機嫌になりながら、同時に感謝することはできない。
「不満モード」で見る世界と「感謝モード」で見る世界は違う。
そして、「不満モードで世界を見ている私」と「感謝モードで世界を見ている私」から受ける周りの自分に対する印象も変わる。
昔から「自分が変わると相手も変わる」という言葉は使われているが、本当にこれは真実で、特に「感謝」の影響力は大きいと言える。
心からの感謝がなかなか難しいときは、遊び感覚で「感謝テロごっこ」をするといい。
目に入るあらゆるものに感謝していく。
快適なトイレにありがとう!いつでも書けるボールペンにありがとう!冷蔵庫に食べ物があることにありがとう!蛇口から水がいつでもでてくれることにありがとう!きれいな水にありがとう!青い空にありがとう!というような調子で。
不満を探す回路から、感謝を探す回路に方向転換する効果がある。
1.赦し
「赦し」は難しい。
世の中の映画やドラマやアニメ等コンテンツを見ていると、復讐劇はとても多い。
怒りのパワーで敵を倒すヒーローもいる。
実際見ていると面白く感じるのは、人には“やり返す”ということに一種の快感を感じる場合もあるから。
心理学の研究で、「態度の悪い人と協力的な人の様子を被験者に見てもらい(実際は態度の悪い人も協力的な人も演技なのだが被験者は演技ということは知らない)、その後その二人が電気ショックを与えられるところを被験者に見てもらう。すると、協力的な人が電気ショックを受けている時、被験者は脳の痛みを感じる部分が刺激され、一様に同情の反応を見せたが、態度の悪い人が電気ショックを受けている時、その反応が少し減った上、男性の被験者では脳の報酬系が刺激されていた。
つまり「ざまみろ」という快感があったといえる。
世の中でも、“許せない”という言葉に罪悪感を感じる人はそういないかもしれない。
でも、「赦し」が人生を変えるほどに大事な理由の一つは「自分自身をその感情から解放するため」。
“許せない気持ち”や“怒り”は自分の心を蝕む。長期間心が蝕まれれば、体も病む。
この負の感情で被害を被るのは自分自身だということ。
私は、暴言やいじめや明らかに悪意のある言動について、ひたすら我慢するべきではないと思う。(聖人であれば、我慢ではなく、気に留めない、ということが可能かもしれないが。)
言いたいことは言い返す、でいい。
むしろ、言いたいことを言い返せないでいるからこそ、心の中でずっと消化されない怒りを抱えてしまうのかもしれない。
人の価値観はまさに千差万別の環境や遺伝子、性格からきているし、その上ストレスの影響や成長過程で脳によってはアンバランスな発達をしているかもしれない。
共通認識であるはずの常識が通じない相手も社会には沢山いる。
失礼なことを言われたら、自分の気持ちや考えをぶつけてコミュニケーションをとるしか分かり合う術はない。
もしくは、距離をとり、しかるべきところに相談すること。
決して自分を犠牲にしてはいけない。
それでも、「赦し」は必要。
相手が敵対的な態度をとらなくなった時、過去の言動は水に流して、フラットに関係を積み上げる。
会うこともなくなってある程度の年月がたったなら、過去のことを思い出して怒ることはしないで、心の中で「赦す」。
再会した時に、過去のことを思い出してわざわざ嫌な気持ちにならないように、しっかり「赦し」て、自分をそのこと、人から解放させよう。
そして、まず第一に“自分自身を赦す”こと。
人はふと過去を思い出しては自分を責めてしまう。
自分のだめなところ、弱いところ、ずるいところ、やらなかったこと、やったことを思い出しては自分が嫌いになる。
でも私たちは物質的な肉体以上の存在であり、限られた、振り返ればあっという間に終わってしまうような人生の中で、過去の自分を責めているのは時間の無駄。
まずは「自分を赦す」ことから、本当の人生が始まる。
という私でも、ふっとした時に、過去の失敗を思い出し責めてしまうけど、気づいたら止めるだけでもずいぶん違う。
自分を赦せるようになると人も赦せるようになってくる。
見える世界がきっととてもやさしく温かい場所になってくる。