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占いと預言のジオメトリー Ⅴ.フラウィウス・ヨセフス

 この世界には謀らずも預言者になった者、英雄となった者が存在する。大半は野望を持った山師や奇蹟贋作者が不幸な運命を辿るだけだが、狡知と洞察力を極限まで深めた者は預言者と等価の働きをする時が稀にある。
 ユダヤ人のフラウィウス・ヨセフス、僕の知る限りその稀有な存在が紀元1世紀を生きた彼である。

 彼は預言や奇蹟の力など持たない。英雄になる事を望んだわけでもない。
 ただただ、生存競争を生き残ろうと足掻いて、同胞からの誹りも受けた。
 そして彼が選ばれた――――

 果たしてこのヨセフスと言う男を信頼出来るのだろうか?
 俺たち40人はエルサレムからヨタパタに派遣され、
 ローマ軍から町を護ろうとしたが、その願いはかなわなかった。
 俺たちはバビロン捕囚(紀元前六世紀)の様に、敵の捕虜となる事を拒み、自決する事を決めた。
 そこで順番を公平に決めよう、と提案したのがパリサイ派の司祭のヨセフスだった。

 全員で円形に並び、隊長から順番に3番目に位置したものを、他の者の手で介錯して貰う。
 最後に2人が残るから、その二人はお互いに刺し合って死ぬ、と言うものだ。
 ヨセフスは隊長から16番目に、俺は31番目に並んだ。

 そして最後に俺とヨセフスの2人が残った。

 俺が剣を構えると、ヨセフスは自分の剣を置いて腰を下ろしこう言った。
 まあ君も座りたまえ、隊長や皆が意思が堅くて言い出せなかったんだが、私は死にたくはないんだ。
 最初にそう声を掛けられたのは覚えてるが、それ以降の会話はあまり思い出せない、
 何でも自分が使者としてローマに行き、皇帝ネロや奥方に拝謁した話とか、
 これからのローマは荒れる、こんな戦争よりローマ側でユダヤ人の地位を上げた方が面白いぞ、と
 俺にはあまり理解出来ない話を続けていたが、
 結局俺はこのヨセフスという男に言い包められてしまったのだ。
 俺たちは二人でローマ軍に投降した。

 ローマ軍の総司令官ウェスパシアヌスの前に引き出されても、ヨセフスは饒舌だった。
 ウェスパシアヌス公、貴方は司令官の器に納まらずにいずれローマ皇帝となる!
 最初のこの一言が司令官の興味を引いたらしい。
 ヨハネスは軍司令からローマを支配する事になったカエサルやアウグストゥスを語る、
 現皇帝ネロの失政と、ネロ亡き後の権力闘争を語る、
 俺も理解していなかったが、司令官やその幕僚も殆ど何も理解してなかったに違いない、
 ローマ人たちにはヨセフスが道化か何かに映ってたのだろう。

 しかしヨセフスは一言で司令官と幕僚達の心を掴んだ、
 暫く帰還せず、シリア属領に滞在し、総督と親交を結び、東方や南方と交易をし、自らの軍閥を育てておきなさい、きっと遠くない将来役に立ちますよ。
 ヨセフスに対する視線が真剣なものに変わり、俺や大部分の幕僚がテントから締め出され、
 ヨセフスと司令官の話し合いが始まった。

 翌朝、敗残兵の俺とヨセフスに下されたのは斬首や奴隷身分でもなく、
 ウェスパシアヌスの参謀補佐に加わることだった。

 ヨセフスと、エルサレム総督でありウェスパシアヌスの息子であるティトゥスは
 伝令の報告を待っていた。
 今のエルサレムにはユダヤ兵とユダヤ人が多数立て籠もっていたが、
 ローマ軍は城壁を乗り越える攻城塔、門を破壊する破戒槌を備えていた。
 ユダヤ人であるヨセフスや俺は何度もユダヤ軍に和平交渉の伝令を走らせたが、
 全て防ぎ矢によって追い返されるばかりであった。
 ティトゥス司令官も、エルサレム神殿や街の温存と市民の命を救う事に同意した。
 そして司令官直々の正式な使者を立てて、
 ユダヤ軍への条件交渉の返事を待っていたのである。

 俺とヨセフスがローマ軍に投降して4年で何もかも変わってしまっていた。
 二年前に皇帝ネロは自殺し、その後継者争いにローマは混乱の坩堝にあったが、
 シリアで力を溜めて、シリア総督の後押しも受けたウェスパシアヌス司令官がローマ統一に乗り出していた。
 一方、ユダヤの叛乱は治まらず、
 ウェスパシアヌスは息子のティトゥスをエルサレム総督として背後を襲われない様に制圧軍を与えた。
 そしてヨセフスはティトゥスの軍師となっていた。

 4年前にヨセフスの言い放った言葉はほぼ全てが実現していた、
 おそらくウェスパシアヌスがこのまま新たなローマ皇帝となるのだろう。
 そして投降前に俺に対して言い放ったように、
 叛乱制圧の中でヨセフスは投降するユダヤ勢力を取り込み、
 可能な限りローマ市民や自由民として扱われるように取り計らっていた。

 しかしエルサレムに立て籠もってるユダヤ軍はヨセフスの言葉に、首を縦に振らなかった。
 実はエルサレム内のユダヤ軍の中でも分裂が起こっており、
 ローマの申し出、あるいはローマに使えるヨセフスの申し出を受け入れるのは屈辱だと、
 互いに牽制しあってるのだった。

―――遠くから兵士の騒ぎ声が聞こえる そして司令官とヨセフスのテントに伝令が駆け込んできた

―――大変です!小競り合いをしていた部隊が町に火を!火を放ちました!―――

 ヨセフスはこの記録を全て後世に残した。幼い頃から慣れ親しんだ街が、神殿が、同胞が灰になった悲しみも
 彼は皇帝の親族の証しとして”フラウィウス”の名を新たに与えられ、その後ユダヤ族の記録を残すのに生涯を費やした。
 彼は自らを預言者とも英雄とも思わず世を去った、彼はこう言ったのだ

 私の全ては、ただ歴史の一部に属してます。と

拓也◆mOrYeBoQbw(初出2015.02.05)

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