壱岐を訪ねる二泊三日・小さな島に150を超える神社を持つ島:⑭海の中に鎮座する小島神社・その満潮時
壱岐旅行記の⑨で既にふれた小島神社。
最初の訪問は午後の干潮に合わせ潮が最も引いていく頃に合わせた。
最も潮が最も引く時間よりも幾分早く到着したが潮位をあれ程心配していたにも拘わらず呆気ない程対岸から渡ることに何も問題なく、靴を濡らす場所さえ無く小島神社へ渡った。
最初の訪問 15:39 、この時はまだ潮は引いていく途中で完全な干潮ではなかった。約2時間後の 17:77 2回目の訪問時は僅かな時間ながら干潮から満潮へと既に移行したことが視覚で分かるほど参道はその姿を変えていた。
壱岐の北に在った男嶽神社から芦辺方面に戻り、11:58 3回目の訪問。
海の中に在る鳥居は全国に幾つも存在はする。長崎県では対馬にも在る。
決して特段に驚く風景ではないかもしれないが、もし、小島神社最初の訪問が満潮時であったとした時、私は全く干潮時に参道が出現するその姿を思い描くことは出来なかったかもしれない。
ダムをはじめ人は巨大な建造物を造ってきている。それでも、短時間で海辺の風景を日々定期的に変化維持する装置を巨額を投じても造られそうにない。
潮の満ち引きと分かったような顔で説明しても、人工的に再生できそうにない自然の仕組みに陳腐な表現ではあるが畏怖の念を感じる。
観光案内では壱岐のモンサンミッシェルという表現を幾つも見かけたが、実際の小島神社はモンサンミッシェルと形容することで寧ろ唯一の存在感を奪われるようにみえる。モンサンミッシェル形容では小島神社の小さな佇まいも静けさも伝わらない。モンサンミッシェルの形容など借りず、日本の神社を表現するカタカナを用いない厳かな言葉が欲しい。
一日の時間の中でも、天候、季節、そうしたファクターや条件で様々な顔を見せるだろう小島神社の訪問は僅か3回であっても十分に心に残った。
壱岐の島が東西南北20kmもないコンパクトな面積であったことや渋滞がない道路のお陰で小島神社を3回訪問し変化する様子を見ることが叶う。
壱岐旅行の目的を十分に果たす。
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