徒花 ADABANA
監督:甲斐さやか
製作国:日本
製作年・上映時間:2024年 94分
キャスト:井浦新、三浦透子、斉藤由貴、永瀬正敏、水原希子
「裕福な家庭で育った新次(井浦新)は、妻との間に一人娘も生まれ、周りから見れば誰もが望むような理想的な家族を築いていた。しかし、死の危険も伴うような病気にむしばまれ、とある病院で療養している。
手術を前にした新次には、臨床心理士のまほろ(水原希子)が心理状態を常にケアしていた。しかし毎日眠れず、食欲も湧かず、不安に苛まれている新次。まほろから「普段、ためこんでいたことを話すと、手術に良い結果をもたらす」と言われ、過去の記憶を辿る。
記憶がよみがえったことで、さらに不安がぬぐえなくなった新次は、まほろに「それ」という存在に会わせてほしいと懇願する。「それ」とは、病気の人間に提供される、く同じ見た目の“もう一人の自分(それ)”であった……。「それ」を持つのは、一部の恵まれた上層階級の人間だけ。選ばれない人間たちには、「それ」を持つことすら許されなかった。
新次は、「それ」と対面し、自分とまったく同じ姿をしながらも、今の自分とは異なる内面を持ち、また純粋で知的な「それ」に関心を持ちのめりこんでいく……。」*公式ホームページより
クローンに対する認識がある程度一般化されているという前提の作品なのか、近未来の一作品なのかその制作側の立ち位置で鑑賞後の感想は大いに分かれるだろう。
実際、この作品では冒頭でテキストによるとても短いシステムの説明がされただけで、手術を待つ病院の姿にも触れることなく断片映像が時折挟まれるに留まる。
近未来ではと振るのであれば、2022年倍賞千恵子主演作「PLAN 75」のようにどのように描かれようと自由度がある。一方、人に対するクローンが主軸となった場合は現状に解が無い仮定形の中では鑑賞後作品について語りながらも人の病気治療にクローンを利用するというそのひっかりに引き戻されそうになる。
普通に考えても難病を告知されると人は命というものをそれまで正面から考えてこなかった分、生命の命から離れて哲学的な命の命題についても悩む展開はあることだろう。まして、この作品では単なる延命ではなくそこに自身にそっくりなクローンが介在することで彼の悩みは一層深くなる。
欧米のロボットが日本ほどには人型を追求しない理由に「不気味の谷(Uncanny Valley)」があるそうだ。もし新次が対面するそれが自分の分身のような姿でなければ悩んだろうか。勿論、それでは作品自体が成立しない話なのだが。
このそれと対面するシーン撮影はそれだけと新次だけという別撮りをせずに井浦氏は交互に二役を演じ分けられたそう。その演じ分けでは表層的な差異を演じるのではなく、それぞれがどのような過程や環境で育ったのかを想像したと語っていらした。
実際に現実世界では様々なストレスを経験しながら成長するが、細胞から培養されたそれの環境は作品で観るような、結果としてピュアな世界で時間を経過したのだろう。ここも作品では描かれない為に想像するしかない。
同じ細胞から生まれながらも後天的環境で変化が生じることはクローンの世界だけではない筈。
新次は瞬きの癖までも同じクローンに自己を投影していくあまりに混乱に陥る。クローンを自身の生命体との関係に於いて損なわれる所がない(クローンとして生き続けると仮定すると)生命体と誤認識してしまうとそこには人類を助ける筈のシステムの筈がどちらの生を選択するのかという苦しさしか生まれない。そもそもクローンの生の定義もされず新次に悩ませることも無理があるようにみえる。
映像も美しく、一篇の詩と見るならばありなのだがどうしても矛盾の方が多く見えてしまった。
終始、カズオイシグロの「わたしを離さないで」が私の中にあった所為かもしれない。
それと対面したからこその苦悩がこの作品とはいえ、クローンに対しての認識が全く見えない。
そもそも精神の安定を維持するための臨床心理士は全く役に立っていない。
★☆ *井浦氏の二役演じ分けの星