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壱岐を訪ねる二泊三日・小さな島に150を超える神社を持つ島:⑤鏡岳神社

 壱岐に限らず宗教関係の建物は建てられたその場所にも意味があることが多い。
 例えばヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂が聖ペトロ殉教に因んだと言われているように、長崎の浦上天主堂が禁教令時代に踏絵が行われた庄屋屋敷が在った場所を買い取りその償いとして教会を建立したように、敢えて択ばれた場所として歴史の一部を負う。
 初瀬の岩脈を見学した後、そこからすぐの距離にある鏡岳神社へ向かった。*前回書いた鬼の足跡は順番としては鏡岳神社の次に訪れた

鏡岳神社

 壱岐の中でおそらく一番階段がある神社だが、正面からの写真ではこの先に320段が控えていることは分からない。
 この旅行時、私は体調を崩していた為320段を登ることを当初諦めていたのだが友人の配慮でゆっくり本殿まで登ることが叶う。

路番号:壱岐島四十二社巡り 山の路(42)
鎮座置:壱岐市郷ノ浦町初山東触1587-1
御祭神:正哉吾勝勝速日天忍穂耳命・伊弉諾命・伊弉册命
例祭日:
新10月19日 例祭 神幸・大神楽
新11月28日 神迎祭 大神楽

段差がある階段

謂れ:
 壱岐の柳田という村に彦兵衛という信心深い農夫が住んでいた。
 日頃から彦山大権現(豊前:現大分)を信じ、夫婦で時折豊前まで参っていたらしい。60歳になり夫婦が彦山に参った日、夢の中でお告げがあった。
 「自分は彦山権現である。お前らは私を信じ何回も参ってくれた。私もその間お前らを守ってきた。しかし、お前らももう年だ、はるばる海を渡ってくるのも大変だろう。
 初瀬の岩脈の崖途中に生えている松の枝に、私と同体の鏡をかけておく。
 その鏡を取り、神殿を建て鏡を奉納せよ。そこに参れば、彦山に参拝するのと同じとしよう。
 これからは、いつでも参りたい時にそこに参るように。」
 彦兵衛夫婦は夢から覚めて不思議な思いをしながら初瀬の岩脈の断崖に行ってみた。お告げ通りに断崖途中にある松の枝に鏡が1つ、煌々と輝いてかかっていた。その鏡を取り、鏡岳に神殿を建てそこに奉納した。
 以来、この神社を鏡岳権現と呼ぶようになった。

一の鳥居からでは全貌が見えない

 手摺も無く、段差がかなりある石段は不調の身には辛かった。念の為、トレッキングポールを持参したお陰でどうにか全ての段を上った。
 これだけの数の段があると「振り返らず上ると願いが叶う」といつの間にか言われるのも分かる。300数段も上ったにも拘わらず、残念ながら眺望は殆ど望めない。

ここにも象
色鮮やかな本殿

 320段の石段、この情報が事前ではマイナスでもあり同時に興味も惹かれ訪ねることにした。上った先には小さな本殿だけがひっそりと在った。

ギョクシンカ

 調べてみると、此処は神社の他にも 海に接する丘陵地の照葉樹林の原型をよく残している ということで長崎県の天然記念物に指定されていた。
 南の地方で見られるギョクシンカ分布は此処が北限とのこと。
 つい、320段のキツサに息を切らせながら上ってしまうが、訪問予定の方はゆっくりと周囲の植物にも目を向けて楽しまれてください。
 
 

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