壱岐を訪ねる二泊三日・小さな島に150を超える神社を持つ島:⑫新城神社(樋詰城跡)
新城古戦場訪問後、次の目的地へ移動し始めて本当に車走らせすぐの所に新城神社が在った。
壱岐訪問リストにはあがってはなかったが、その神社に呼び寄せられるように私たちは車を近くに駐車し立ち寄った。
路番号:壱岐島四十二社巡り 里の路(32)
鎮座置:壱岐市勝本町新城東触441
御祭神:平の景隆朝臣 外4柱
例祭日:新10月15日 例祭 小神楽
壱岐守護代の平景隆本陣だった樋詰城(ひのつめじょう)跡に1886(明治19)年造営された歴史がさほど古くはない神社。
上記の写真でも分かるように参道もなく道路からすぐの境内ではあったのだが、其処にはこれまでと異なる空気があった。
神社造営前が城跡とは知らずに当初は訪れている為、他の神社と空気が違うことは分かる程度ながら思いの外長居してしまう。
文永の役の激戦地だった古戦場跡を訪れた後だったこともあり、その近くに造営された新城神社に平景隆朝臣の墓をはじめとして戦死者が弔われていることに納得する。只、明治以前はどこで戦死者は供養されていたのか気になる。
城主は、元軍から総攻撃を受けた際に娘の姫御前を家来宗三郎をつけて大宰府へ元軍の壱岐襲来を伝えるように命じた。その後、娘を巻き添えにすることなく樋詰城内で一族郎党とともに自害して果てたそう。
その場所に今は弔いの神社が立つ。