ふとん乾燥機で寝ながら温泉に漬かる

今まさに、布団乾燥機で温泉気分を味わいながらこの記事を書いている。
あたたかい流体が背中を巡り、身体を芯から温めていく感覚は風呂とはまた違う、それこそ源泉から流れ出る湯を浴びる温泉こそ言い表すにふさわしいと思う。



2023年6月14日現在、私は4日前に発症したコロナによって寝込んでいる。なんと3年前の同じ6月にも、そうであると判定はされなかったが、コロナとしか思えない病にかかり、完治にそれこそ3年弱かかった。病み上がりの追い討ちというわけか。

前回は発汗する度に汗を拭き、衣類を取り替え、湿気を排除して闘病していた。これは結果的に病原菌の駆除に必要な「高い体温」を下げることになっていたのか症状が落ち着くまで1年はかかった。笑えない話だ。

ところで、ミツバチが巣を守るためにとる行動を知っているだろうか。彼らは他のハチよりも死に至る温度が比較的高い、つまり高温にある程度耐えることができる。巣を襲う多種のハチが現れた時ミツバチは集団で襲いかかり、自ら体温を上げに上げ、死の瀬戸際まで高めて他種のハチを殺すというものだ。
私もテレビで見たくらいの知識しかないが。

これを今回のコロナに応用してみようと思った。言うなればミツバチ戦法だ。煮沸消毒とも言うし、やはり体温は高い方が殺菌には良いのだろう。

ただ、2つ問題がある。
ひとつは脳の温度だ。43度の限界と言わずとも、やはり38度くらいの熱でも意識がはっきりしなくなってくる。まあ、これは氷やシートでいくらでも方法はある。

もうひとつは汗だ。
体温が上がりすぎれば発汗し体温を下げようとする、当然のことだ。ただ今回は下げようとする機能を無視して温め続けようと考えると、汗が衣類や寝具に染み込み、気化熱で下がるのは避けられない。下手をすれば逆に体温を急激に下げることにもつながり、かなりリスキーだ。


幸いなことに今回の熱は上がる一方で、汗を連日かき続けた。布団の中は当然ぐしょぐしょになり、宇宙服を着ながらサウナに入ったような感覚だった。
この不思議な気分に乗ってしまい、体調が悪いのを忘れてお気に入りの宇宙探索SF映画、インターステラーをまた見てしまったほどだ。
映画のおかげで身体の苦痛、寝られない苦痛もなんとか和らいで過ごせた。それほど酷い環境だった。とても人におすすめできる治療法ではない。

それでも体温は上がり続けた。発症時には37度台だった体温も最高時には39.7度を記録。3年前の時は40度以上が普通だったので、まだやれるとムチを打って上がる体温と格闘し続けた。自他共に貧弱な体と言われる自分の体であるが、学生の頃に取り組んでいた長時間のマラソン・水泳には人並み程度の自信はある。精神力で高熱と戦った。


3日目、はじめて寝汗が寒いと感じた。体温もそこそこ下がっていたのでミツバチ戦法をとりやめ、一般的な療法に切り替えた。汗をかいたら取り替える。簡単な話だ。

タオルや服は山ほどあるし、最悪速乾性の下着は自然乾燥でも十分再利用はできるほどにすぐ乾いてくれるのが救いだった。
だが。
布団だけはどうしようもない。寝床は一つしかないのが一般的だ。食事中にでも乾いてくれればいいものの、自然乾燥では限界がある。


幸か不幸か、先日初めて布団乾燥機を注文していた。先週に買い物のポイント有効期間が切れるとのことで、靴乾燥機が欲しいと思っていたので代用が効く布団乾燥機を選んでいたのだ。マガジンの温めにも使えそうだし。発症の翌日に届いていたのにそれどころではなくすっかり忘れていた。

実際使ってみると、思った以上に素早く乾く。
宇宙服のサウナ状態では難しいだろうが、通常の寝汗であれば30分もあれば十分だろう。食事する前にスイッチを入れ、戻る頃にはドライで温まった布団が迎えてくれた。こたつのような安堵感すら覚える。


今日、汗もかいていないのに寒気がする症状が現れた。
体温を上げたいのにふとんをしっかりかぶったり顔を埋めたりしても全く上がる気配がない。打つ術はないかと考え、布団乾燥機を直で当てることを思いついた。
絶対に正しい使用方法ではないが、闘病生活はサバイバルも同然。やらない選択肢はない。

この機種は5分の短時間で切れるタイマーがついている。この時間にセットし、温風を自分が入っている寝床に送った。
先程こたつと言い表したが、まさにこたつそのものだった。布団内の温度はみるみるうちに上昇し暖かいといえるものになった。

しかし肝心の体温が上がってこない。そこでホースを布団の中でつかみ、背中を覆う下着を広げて、肩甲骨めがけて温風を送り込んだ。



天国だった。
温かな流体が背中を巡る感覚。本当に温泉にいるような感覚を覚えたどころか風景がフラッシュバックしたような気もする。
布団の気持ちよさと風呂の気持ちよさ、どちらも温かいことには変わらないがやはり質が違う。同じように、溜めた湯の風呂と源泉から流れ続ける温泉も質が違うというものだ。

ほぼ全ての都道府県に足を運ばされた身にとって、宿泊施設の風呂は味わわねば、と思うようになった。水質や水温はもちろん、脱衣所から洗い場、湯船や風景まで記憶してから帰るようにしている。
もちろん温泉ではなく風呂の宿泊施設も同然あるが、視覚情報も旅には重要な要素だ。温泉かどうかだけが決め手ではない。

そう、温泉かどうかだけは決め手ではない。
布団の中で温風を当てた背中からは「今温泉にいる」という信号が発せられている。何十回と温泉に行ったこの体がいうのだ、少なくとも自分の理性は温泉の感覚を思い出していた。

そうこうしているうちに、だいぶ体温も上がってきた。大体1分ほどで血は全身を一周するらしい。あまり温風を当て続けるのも毒だろうと思ったところでタイマーが切れた。スイッチを入れてすぐは冷風が出るので3〜4分の旅気分を味わえた。ありがとう5分タイマー。やけどから守ってくれて。

その後寝汗をかいたので同じように背中に当ててみたが、温泉風景が脳裏に浮かぶことはなかった。でもそれでいい。これには温泉に近い何があることを知っている。乾燥という元々の役割も果たしてくれるし何の問題もない。
これを知っていることが自分にとって幸せのスパイスになるということ。十分だ。




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