『目を大きく閉じて』 ―from『ウマ娘 プリティーダービー』―8.黄金のとき、絶頂のひと
私の鏡の女アウリファーベルは、今もなおトレセン学園にいる。しかし、今は私こそが実体として生きている。〈チーム・アヴァロン〉の部室にもこいつはついて来るが、私こそが正真正銘の「金色の暴君」オルフェーヴルだ。
我がトレーナー、明智紫苑はいつもの調子で軽口を叩く。我が姉ドリームジャーニーは、そんな彼女を温かく見守る。
カシンとヒナの並走を眺めながら、私は思う。今年の有馬記念で、私はトゥインクルシリーズを引退する。その後トレセン学園の大学部進学と共にドリームトロフィーリーグに移籍するか、それとも別の大学に進学しようか?
私は母の絵の才能をほんのわずかだけ受け継いだ。あのライスシャワーが見せてくれた色鉛筆のセットに触発され、私は再び絵を描きたくなった。しかし、今さら美大を目指すのは無謀だろう。ドリームトロフィーリーグで活動しながら、独学で絵を描いていこうか? しかし、ドリームトロフィーリーグで活動を続けつつ趣味として絵を描く姉には、私は到底及ばない。
亢龍悔いあり。
昇り詰めた龍には後悔がある。もうそれ以上、昇る事は出来ず、あとはただ落ちていくだけ。
ある難病患者の男の子のためにも、私は勝たなければならない。それが私のけじめだ。鏡の女アウリファーベル、私の邪魔をするなよ。
私は紫苑と共に、府中市内の総合病院を出た。男の子の母親からもらったお守りを首に下げて、レースに出る。
「紫苑、ありがとう。私はきっと勝ってみせる」
「うん」
私は紫苑と手をつなぐ。
《これだ! これだ! 目に焼き付けよう、これがオルフェーヴルだ~!》
「勝ったよ」
私はあの男の子に、そして紫苑に感謝した。しかし、あの忌まわしき鏡の女アウリファーベルは、いまだに私のそばにいる。
二着のウインバリアシオンや三着のゴールドシップは私をほめたたえてくれる。もちろん、多くの観客たちもだ。私は引退式で、全ての観客たちや関係者たちへの感謝の言葉を述べた。
そう、私のトゥインクルシリーズはこれで終わった。
《オルフェ、目を大きく閉じて》
年が明けて、私は紫苑と共に温泉旅行に行った。去年の正月の福引で当てた温泉旅行券の期限が近づいていたし、何よりも私の有終の美を祝うためだ。私と紫苑は姉を誘ったが、姉は「予定があるから」と断った。
旅館に着いた私たちは客室に荷物を置き、旅館の外を散策する。
「なぁ、紫苑」
「なぁに、オルフェ」
「私はトゥインクルシリーズ時代、『暴君』キャラを演じていた。悪役レスラーのようにね。あれは本当はつらかった。弱気な子供が無理して強がって、傷ついて。我ながら情けなかった」
「あなたは情け深いけど、情けなくはないよ」
「ぷっ! ハハハハー!」
私は真底から笑った。優しいトリックスターに振り回される暴君。
「あれは有名なお蕎麦屋さんだよ。オルフェ、お昼ご飯はあの店で良い?」
「いいとも」
私たちは旅館に戻り、夕食を摂る。大衆演劇を鑑賞し、客室に戻る。私は一緒に風呂に入ろうと言ったが、紫苑はタブレット端末を起動させながら「後で入るから」と言った。仕方ないので、私は一人で大浴場に行った。
「ふぅ…」
私は顔と頭と身体を洗い、髪を頭のてっぺんでまとめて、広々とした湯船に浸かる。いい湯だな。紫苑、早く来てくれたら良いのに。
紫苑は某大学の法学部出身だった。私は彼女に「なぜあなたは法曹界に行かなかったのか?」と訊いたが、彼女は「あなたが尊敬している先輩のレースを観たから、弁護士になろうか、ウマ娘トレーナーになろうか迷って…サイコロで決めたの」と答えた。私は彼女がサイコロでそのような事を決めたのに呆れたが、その気まぐれのおかげで、私たちはパートナー同士に…同志になれたのだ。
他の客が入ってきた。
「紫苑?」
「残念だったね、オルフェ」
我が鏡の女、忌まわしきアウリファーベル。金色に輝く裸体が近づいてくる。奴はまたしても私たちを追ってきた。彼女は頭も身体も洗わず、髪を束ねずにいきなり湯船に入ってきた。他に客はいない。
「貴様、汚いぞ。先に頭と身体を洗え」
「私は幻影だから、実体のあるあなたとは違ってその必要はないの」
「そんな亡霊の貴様は、そもそも何が目的だ? お前の存在意義は何なんだ?」
アウリファーベルは苦笑いしつつ答える。
「私はもう一人のあなた。それ以上でもそれ以下でもないよ」
「姿形通りに私の分身か。お前は私になりたいのか? 取って代わりたいのか? 私の代わりに三冠ウマ娘になりたかったのか? それとも…紫苑がほしいのか?」
「私は何もほしくない。ただあなたのそばにいたいだけ。あなたが紫苑と共に生きていきたいようにね」
「私にとってはお前はただの邪魔者だ。失せろ! 今すぐだ!」
「ならば、あなたの方から出ていけば良いんじゃないの? その方が手っ取り早いよ」
「貴様は! 私の敵だ! 悪魔め!」
私はアウリファーベルに殴りかかった。しかし、奴は私のパンチやキックを次々とかわし、湯船の湯は派手に飛び散る。私は両手でアウリファーベルの首を絞め、握りつぶした。
「消えろ、悪霊め!」
熱い。いや、寒い。私の視界は白く染まり、赤く染まり、黒く染まった。
「オル、気分はどうだい?」
「お姉ちゃん?」
我が姉ドリームジャーニーがいた。私は旅館の客室ではなく、病院の一室にいた。姉だけでなく、両親もいた。私は病室のベッドに横たわる。
「お姉ちゃん、紫苑はどうしたの?」
「紫苑? 誰の事?」
「え…?」
まただ。私の明智紫苑は、また私の世界から消えた。私の視界はまた白く染まり、赤く染まり、黒く染まった。
私たち姉妹はトレセン学園の寮を出て、東京の某区のマンションで暮らしていた。姉はあるグラフィックデザイン会社に就職し、私は某大学の法学部に入学していた。
私が三冠ウマ娘になり、有馬記念で有終の美を飾ったのは間違いないらしい。今までの私は壮大な夢を見ていたのだ。だけど…。
《オルフェ、目を大きく閉じて》
あの声、明智紫苑のささやきは私の耳から離れていない。私はまだ夢の中にいるのだろうか?
私は大学の構内にいる。ここにいる私は「金色の暴君」オルフェーヴルではなく、法律上の人間名を名乗り、一介の学生として慎ましく学んでいる。しかし、私はかつての三冠ウマ娘として、それなりに他の学生たちやその他関係者たちに注目されていた。
「オルフェーヴルさん…、いや、明智紫苑さんですか?」
「はい。そうですけど、何かご用ですか?」
「これ、落としませんでしたか?」
私のバッグにつけていたぬいぐるみを拾ってくれた女子学生がいた。私はその顔を見て驚愕した。
私の、紫苑。
私と同じ法学部の学生、彼女の名前は司馬佐智子といった。彼女は北海道の小樽出身で、父親は寿司職人だという。私たちは、夢の中での「私たち」よりもすんなりと意気投合した。
あの夢以来、私の鏡の女アウリファーベルは姿を現さない。おかげで私は、精神的に安定している。ストレス性の喉の違和感も、今はない。
「オル、温泉旅行に行きたい?」
「行けるものなら行きたいけど、どうしたの、サッチ?」
私が自分の家族以外で唯一、「オル」という愛称で呼ぶのを許す相手、司馬佐智子。彼女の愛称は「サッチ」だが、彼女もまた、この愛称は基本的に身内にしか許していないという。
「昨日、福引で温泉旅行券を当てたのだけど、彼氏が用事があるから行けないって。だから、彼氏の代わりにだなんて申し訳ないけど、一緒に行ってほしいのだけど…ダメかな?」
サッチには社会人の彼氏がいるというが、その人は忙しいらしい。私は当てウマ扱いされたような悔しさがあるけど、サッチの誘いに応じた。
「良いよ」
【Dalbello - Yippie】
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