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私は「貴婦人」の侍女ではない ―from『ウマ娘 プリティーダービー』―

「後は貴殿が、受け入れるのみ。ジェンティルドンナのために、よりよき道を」
「分かりました。この場で彼女との契約を解除します」
 私は満面の笑みで応えた。これで、ようやっと解放されるんだ。
 こうして私は、ジェンティルドンナとの契約を解除した。私は秋川理事長に、トレーナーバッジと共に辞表を提出し、トレセン学園を去った。
 今の私は札幌市内に住み、介護士資格を得るために勉強している。そう、あんな傲慢極まりない上級国民どもとは二度と関わりたくない。私はかつての関係者たちと絶縁した。
 私はジェンティルの顔を直視せず、何も言わずに、あの場を去った。どうせ彼女は私を単なる侍女としか思っていなかったのだ。あの女だけではない。金色の暴君オルフェーヴルとも、その姉ドリームジャーニーとも、二度と関わりたくない。私の名前「シオン」と同じ愛称のウインバリアシオンも、ジェンティルをライバル視するヴィルシーナもそうだ。
 私は家庭教師の仕事をしながら、介護士資格を得るための勉強をしている。あいつら腐れエリートどもと二度と関わらずに済むために、私は新たに仕事を得るのだ。当然、あいつらの電話番号やLANEアカウントもブロックしているし、様々なSNSサイトのアカウントやアプリも削除した。

 私の現在の教え子たちは、ウマ娘ではなく普通の女の子たちだ。おかげで、トレセン学園での嫌な記憶を思い出さずに済む。当然、テレビでウマ娘レースを観るのもやめた。私はサツエキに行き、大通に行き、狸小路に向かう。

「元気なようだな、紫苑?」
「ゴルシ?」
 ゴールドシップ、通称ゴルシ。かつてのトレセン学園で、私が唯一好感を抱いていたウマ娘だ。なぜなら、彼女はあの腐れ上級国民どもとは違って、一般人ヒトミミに対する差別意識など一切持たないからだ。
「あなた、なぜ札幌に来てるの? もう年末なのに」
「単なる旅行だよ。せっかくだから、北海道で年を越そうと思ってな」
「そうか。他に誰かいるの? ジャスタウェイは?」
「あいつは親父さんやおふくろさんらと一緒にハワイに行ってるんだ。だから、アタシ一人でここに来たんだ」
「そう」
 私はゴルシの電話番号やLANEアカウントはあえてブロックしていない。なぜなら、私は彼女に対して恨み事など何もないからだ。
「札幌に来てからラーメン食べた? 狸小路なら何軒かあるけど、奢るよ」
「良いのか? ありがたいぜ」
 私たちはラーメン屋の扉を開ける。
「ゴルシ、泊まるホテルは決まってるの? すでにどこかに泊まってる?」
「いや、さっき千歳から札幌に来たばかりだ」
 私は思い切って訊いてみた。
「あなた、私の家に泊まる?」

 私が住むマンションは、中古の2LDK分譲物件だ。私は亡き叔母からこの物件を受け継ぎ、住んでいる。二つある部屋のうち一方は普段は書庫だが、客人のための簡易ベッドも用意している。
「トレーナー時代もそうだったけど、アンタは相変わらず部屋をきれいにしているんだな」
「こういう時のためにね」
 私は夕食として、ジョージア料理のシュクメルリを作っていた。近所のスーパーの食料品売り場にスプラウトニンニクがあったので、皮をむかずに使えるこのニンニクを購入して、料理に使う。あとは、オクラと長芋のサラダと、もやしの味噌汁だ。
「北海道のテレビ局って、面白い番組があるんだな。今時のキー局はさえないのに、ローカルはまだマトモだぜ」
 ゴルシはテレビで道内情報番組を観ている。彼女は今の私が唯一持っているウマ娘グッズである彼女自身のぬいぐるみ〈ぱかプチ〉を抱えている。
「おお、うまそうだな! いただきます!」
 私たちは夕食を摂る。テレビでは天気予報を映している。サツエキ前からの生中継だ。

「貴様、逃げるのか?」
「当然だよ。命あってのモノダネだからね。三十六計逃げるにしかず」
「卑怯者め」
「私は自らが生き延びるためなら、いくらでも卑怯者になるよ。さよなら」
 あの金色の暴君の冷ややかな視線を無視して、私はトレセン学園を去った。私は亡き叔母のマンションの一室を相続したが、叔母はジェンティルの一族が経営する会社の社員だった。彼女は社内でのパワハラによって、自殺に追い込まれたのだ。
 だからこそ、私はジェンティルドンナとの契約解除に応じたのだ。あの一族とは、二度と関わりたくない。

「私は子供の頃、他の一般女子ヒトミミとは仲良くなれなかった。だから、クラスに一人いたウマ娘と仲良くなった」
「そのウマ娘との交友関係がきっかけで、アンタはトレーナーを目指すようになったのか?」
「そう。だけど、しょせん私は鵜の真似をするカラスに過ぎなかったから、ジェンティルとの関係は苦しかった。普通の女ヒトミミがウマ娘に勝てる訳ない。男なら、ウマ娘に新たなウマ娘を産ませる事が出来るけど、ウマ娘にとって普通の女ヒトミミは自分たちより劣る生き物でしかないから、男と関わるほどの利点メリットはないの」
 ゴルシは私の両肩をつかみ、私の眼を見据える。
「紫苑、アタシはアンタが劣っているなんて思わねぇ」
 私はため息をつく。
「ゴルシ、あなたは良い意味で変わり者だよ。普通のウマ娘にとっては普通の女ヒトミミはゴミだよ。でも、私は『貴婦人ジェンティルドンナ』の侍女なんかじゃない。私は普通の女ヒトミミとしての誇りを持って、自分の人生を生きていくよ」
「そうか…」
 ゴルシは寂しげな眼で顔を背け、うつむく。
「ジェンティルのヤツ、アンタの事を心配していたぜ」
「そう。彼女には『もう二度と明智紫苑という一般女子ヒトミミとは関わらないで』と伝えて」
「…分かった。伝えておくよ」
 私はゴルシに言う。
「明日は大晦日だけど、夜に北海道神宮に行かない? どうせ、今時のテレビ特番は昔ほど面白くないのだから」
 ゴルシは笑顔を取り戻し、黙ってうなづく。私たちは明日、近所のスーパーで買い出しを済ませ、筑前煮と年越し蕎麦を作って食べてから、北海道神宮に行く。そして、私たちはそれぞれ祈るのだ。
 来年こそは、今年より良い年でありますように。

【OTYKEN - LEGEND】

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