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絵に描いた美女

 某掲示板に「女が嫌いな二次元女性キャラ」という話題があった。わざわざ二次元の世界にまで「女が嫌いな女」という図式を持ち込むなんて、どんだけ「女が嫌いな女」という図式を好む男がいるんだ!?
 このような話題では、『タッチ』の浅倉南や『ドラえもん』のしずかちゃんのようなヒロインが槍玉に挙げられるが、要するに、男性人気が高い上に、作品内で同性同士の友人関係が描かれないヒロインが好かれないのだ。ただ、聞くところによると、原作のしずかちゃんには同性の親友のエピソードがあるらしい。私は今の声優さんたちのアニメ版『ドラえもん』を観ていないので、昔に比べてどう変わっているかは知らないが、今のアニメ版しずかちゃんには女友達がいるのかな?

 前述の掲示板では少女漫画や乙女ゲームなどのヒロインやライバルや脇役などの名前も挙げられていたが、女性向けフィクションのヒロインが必ずしも同性人気を得るようなタイプとは限らない。むしろ、ヒロイン自身がイケメンキャラクターたちの引き立て役になっている場合も少なくないだろう。男性向けの「ハーレム系」恋愛フィクションの男性主人公が女性キャラクターたちの引き立て役になっているのと同じだ。

 我が最愛の漫画『ファイブスター物語』の作者である永野護氏は、1巻の後書きで「男にとって都合の良い女性キャラクターは避けたい」とコメントしていた。この言葉は一見女性キャラクターの描写を(ファティマスーツのデザインのように)制限しているようだが、実はむしろキャラクターの多種多彩な描写を可能にしている。下手に「都合の良い理想像」を作らない分、かえって多様性が成り立つのだ。もちろん、同じ事は男性キャラクターにも当てはまる。この漫画に出てくる魅力的な男性キャラクターたちは単なる「女にとって都合の良い男」ではない。
 私が宮城谷昌光氏の女性観並びに女性キャラクターを苦手としているのは、永野氏の描く女性キャラクターたちに魅了されているのが一番の原因だ。宮城谷作品のヒロインたちはまさしく「男のための女」だが(特に楽毅の奥さんなんて、楽毅の息子の母親以外の存在意義がない)、FSSヒロインたちはあくまでも「彼女たち自身のための女」なのだ。どれだけ一人の男を一途に愛そうとも、彼女たちはあくまでも彼女たち自身のために存在する。FSSには友人(というか味方)にしたいと思える女性キャラクターは何人かいるが、私が「友人にしたい」と思えた宮城谷ヒロインは『孟嘗君』の白圭の妹くらいのもんだね。
 そういえば、ある作家さん(確か桐野夏生氏だったかな?)がある小説新人賞の選考で、ある応募作品を「女を物語作りの道具にしてはならない」と批判していた。まあ、これは何も女性キャラクターだけに限らない。外国人や障害者や性的マイノリティなどの「非主流派」キャラクターの存在にも言えるだろう。

【Madonna - Like A Virgin (Official Music Video)】
 美女といえば、この人。


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