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虚像

また、新たな街に来た。
私が選んだ訳ではなかった。
単なる出張。

街の名前は知っていたし、行こうと思えばいつでも行ける距離の街。
それでも、ずっと来たことがなかった。
何があるのかも分からないくらい、何も用がない街。


その頃、私は激務に追われていた。
カフェインがあればギリギリ一日中起きていられるくらいの睡眠時間に、起きている間はずっと頭も体もフル回転。
カフェインで眠気は消えても、疲労による思考の低下は戻らないという気づきを身を以って得たことが、唯一の学びだろうか。
家の中でスマホを持っていたらただの脱力で落として画面にヒビを入れ、その後電車に乗って寝落ちして、目的の駅で目が覚めて発車サイン音が鳴り響く中飛び降りて荷物をホームにぶちまけて、今朝作ったスマホのヒビにさらに支線ができた。
そのヒビは、あやとりで作ったほうきのような形をしている。


そうしてたどり着いた街は、奇妙な街だった。
駅前に全てが集約されている。
レストラン、カフェ、スーパー、眼科、内科、ジム、グラウンド、英会話教室、物産展等々。
高く新しいビル群が休日の親子連れや高校生を引き寄せ、穏やかな活気を見せている空間を急ぎ足で歩く私は、部外者だと思わされるようだった。

しかし、駅を一歩はずれると、何もない。
まともにやっているお店もないし、オフィス街という感じもしなければ住宅街の温かみもない。
かと言って荒れている訳ではない。
人がいない。
人の気配がしない。
生活の温度を感じられない。
まるで撮影のために作られたドラマのセットのようだった。

目的地に向けて歩いていると、また、高い建物が遠目に目立つようになる。
鳥肌が立って、引き返したくなった。

それらのビルが、本当に作り物に見えたのだ。
どこかの平地のさらに海に面した夢の国で、遠景に山を添えようと、遠近法を駆使した大きな絵を「建てた」。
しかし、いかなる気象条件や季節、日の角度によっても本物のように見せることはなかなか難しい。
どうしても「浮いて」見えてしまう。

その感じがした。
遠目に見える高いビルが、自分が今から上ろうとする階段が、本当は奥行きのない絵のように薄っぺらく感じる。
背景から浮いている。
明らかにレイヤーが異なる。

怖かった。

いつかの記事で、私の離人は離「世界」だと書いた。
しかし今日は違う。
私は確実のこの世界にいるのに、世界が偽物だ。
こんな経験初めてだった。


その日はそれでも歩き回って、疲れ果てて家に帰ってすぐに寝た。
起きたら世界は「本物」に戻っていたけれど、あれは何だったのだろうか。

私がおかしかった、ということを改めて認識させられるのも嫌だから、きっとあの街にはもう行かない。
あの街はずっと私の心の中で虚像としてあり続ける。

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ひなた
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