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過去を求めて

生まれた時に住んでいたはずの街に、用事で行くことになった。

昔、その街に住んでいた記憶は無い。
私は3歳の時に、現在の実家がある街に引っ越した。

私が数年を過ごした家はその街の外れで、今回の用務先からは電車で30分ほどかかる。
それでも私は、集合時間より早く一人でその街に赴き、昔の家のある方まで足をのばした。

なぜその地を見たかったのか、そこに行って何をしたいのか、自分でも説明ができなかった。

私は第一子で、第二子の生年を考えると、私が「一人っ子」だったのはその街が全てだ。
私と、父と、母で過ごした時間の全てはそこにあり、きっとその時はもっと両親も仲が良くて幸せな暮らしがあったはず。

だからといってその街に行って、縋れるような幸せな過去を思い出せるとも思えない。
そこに行ってどうしたいのか、どれほど理由を挙げてみてもどこか違うようで、行きの電車の中で引き返そうかと幾度も考えた。


最寄駅に降り立ってからというもの、私は覚えてもいない街の写真を母親にひたすら送り続けた。
駅前の小さなロータリー、坂道、公園、スーパー、そして「まだあるのかな」と母が言っていた、私が生まれた数年後まで暮らしていた家。

母は懐かしいと言って、さまざまな思い出話をしてくれた。

「懐かしいなぁって考えてたよ。
 ひなたとの生活が全てだったからね、あの街は。」

母からのメッセージを見たとき、もう過去を探すためにこの街には来ないだろう、と思った。


実際に行ってみて、ようやく分かった。
単純に、母が私のことを無条件で愛してくれていたのだと確認したかった。
幸せな生活があったのだと知りたかったのだ。
それが無ければもう崩壊してしまいそうだった。

人は関係性の中で生きると誰かが主張していた気がするが、それは良い意味でも悪い意味でも本当だと思う。
私は母と、この家族の中で出会ってしまったから色々と上手くいかないことがあり、病気という形で私の人生に影響が残ってしまったことに変わりは無い。
けれど1対1だったら上手くやっていけたし、これからでも良い関係性を持ち直せるのではないかと、直感的にそんな気がした。


癇癪持ちだった私に疲れ果てた母が買い物の途中に休憩したというカフェは、まだそこにあった。
私は何も覚えていないのだけど、母はそのカフェの中で、他のお客さんに温かい言葉をかけられたことを懐かしそうに語ってくれた。
母もまた人間なのだ。

私が今回この街にきたのは、私が自分で選んだ人生の進路にとって大事な、とある研究会のためだった。
その会場は、くしくも幼い頃の私が母に連れられて来たところだという。
もちろん私は全く覚えていなかったけれど、むしろそれでいい。
幼い頃の私がそこへやってきたという事実は母の中で生きて、私の中ではそこは大人の私がやってきた研究会の会場として記憶に刻む。

私と母とは同じ人生を歩んでいるわけではない。
母は母の記憶の中に、私は私の記憶の中に、お互いがちょっと影を残すような、そんな人生の交わり方ができればいい。

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ひなた
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