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「あのカフェに出会って」ショップブランディング、プレゼン向けに書き下ろした物語

とあるショップブランディングの受注獲得に向けたプレゼンテーション資料の一部として書き下ろした物語。依頼元の許可を得て公開いたします。

作 武田宗徳

「何やってんだ!」
 携帯電話を片手に、思わず大きな声を出してしまった。
 地方都市の街中にいた。歩道を行き交う周囲の視線を感じて、私は隠れるように路地裏へ入っていった。

 約束の時間から、二時間も遅れるというのだ。
 東京本社勤務の私は、関西から来る若手の係長と、ここで合流する予定だった。明日のプレゼンに備えて前入りし、二人でじっくり打ち合わせをしたかったのだ。若手係長は、新幹線が事故でしばらく止まっていたと言う。それにしても、二時間はどうも計算と合わない。問いただすと、実は予定していた新幹線に乗れなかった、と白状した。
 幹部候補だという。会社から直接言われた訳ではないが、恐らく私の後釜なのだろう。役員の座はそう簡単に譲らん、という気持ちが、私のどこかにあった。
「明日はぶっつけでいく、好きにやってくれ」と言い放ち、携帯電話を切った。

 どっと疲れが出てきた。昨日も帰宅が遅かったし、今朝も早い時間から自宅を出てきた。今日くらいよかったのに、いつも通り一駅分を徒歩で移動した。
 今年で60になる。疲れの出かたは10年、20年前と違う。まだ、午後の早い時間だというのに、眠気まで襲ってきた。
 座って休める場所はないか…。普段よく利用しているチェーン店系のコーヒーショップが見当たらない。路地を右に左に歩いていると、小さな喫茶店を見つけた。静かに過ごせそうな雰囲気がある。滅多に入ることのないタイプの店だが、とにかく座りたくて扉を開けた。

 案内された席に腰を下ろした。店内は明るいのに、落ち着いた雰囲気がある。客はテーブル席の二人組と、カウンターに一人いるくらいだろうか。耳を澄ますと控えめに音楽がかかっているのがわかった。
 ホットコーヒーを注文する。私は、視線の先にある小窓から外を見た。通りは、クルマも人もあまり通らない路地裏だ。閑静な場所にある。

 カチャ、という音に意識が戻った。どうやら私は少し寝てしまっていたようだ。注文したホットコーヒーが、今テーブルに置かれたのだろう。
   温かいコーヒーを一口すする。熱いくらいだったが、久しぶりに飲む美味しいコーヒーに思わず笑みがこぼれる。最近は缶コーヒーや、安価なペーパーカップコーヒーばかりだった。さらに一口すすり、じっくり味わう。体が温まってきた。

 なんだろう。ついさっきまでの張り詰めていた感情が、今は無くなっている。明日のプレゼンのこと、これからの会社のこと、部下たちのことで、ずっと頭がいっぱいだったのだが……。そういうことを考えないと、気が済まなかったのに……。
 今は、いいか……。
 なんとなくそう思えて、しばらく何も考えず、ぼんやりしていた。
 俺らしくないな、と自嘲したい気持ちだった。何もせず、何も考えず、ただぼんやりしているなんて、何年振りだろう。こんな風に過ごすのは、もしかしたら社会人になって初めてかもしれない。
 控えめに流れているピアノの音と、向こうから微かに聞こえてくる話し声、たまにカチャと音を鳴らすカップとソーサーの音……。
 こうやって過ごすのも、悪くない。
 頬杖をついて小窓の向こうを眺めていた。しばらくしてから、また、目をつむった。

 翌朝、ホテルのロビーに行くと、関西の若手係長はすでにそこにいた。
「おはようございます。部長、昨日は申し訳ありませんでした!」
 反省はしているようだが、気落ちしている様子は見えなかった。
「今日のプレゼンの資料です」
彼はコピー用紙にプリントされた数枚の資料を私に渡そうとした。
「いや、いい。好きにやれと言ったろ」
「……はい。わかりました」

 プレゼン会場で聞く彼の提案は、理解できる部分と理解し難い部分があった。理解し難い部分は、少し常識外れであるような気がした。もし昨日、二人で打ち合わせをしていたら、指摘して直させていただろう。
 だが、クライアントの反応は良かった。長年の感から、これはうまくいきそうな気がした。見ると、プレゼンを聞いているクライアント側は全員、私よりひと回りもふた回りも若そうだ。

 時代は変化している。同じように、求められるものも変化している。感づいてはいたが、ずっと気づかないフリをしていた。
このステージは、もう私の場所ではない。

 プレゼン後、東京の本社へ係長と二人で戻る予定だったが、今回の結果報告は一人でさせようと思い、新幹線の改札で彼を見送った。私は鈍行電車で帰宅する、と言ったら係長は驚いていた。部長らしくない、と。

 走り続けてきた。
 スピードを落とすのが、怖かったのかもしれない。何もかもが止まってしまうかもしれないと思い込んでいた。
 鈍行電車に揺られながら、私はまた眠りに落ちそうになっている。
 スピードを落とすことで見える景色がある。立ち止まることでわかることがある。何もせずにいることで感じることがある。
 そんなことを、あの喫茶店が教えてくれたような気がしていた。新鮮な感動があった。今もまだ、静かに心が震えている。

 あいつが二時間遅刻しなかったら、あの場所へは行かなかったろう。そして、プレゼンも成功しなかったかもしれない……。

 あの店へ、また行かなければならない。借りができてしまった。あの日、コーヒー1杯を無銭飲食してしまったようなのだ。
 昨日の夕方、会計を済ませて外へ出たら、さっきまでカウンターに座っていた客がいた。「二杯分払ったかい?」と言うので「一杯しか飲んでいない」と返すと「あんた寝ていたから……」と彼は続けた。テーブルに置かれたコーヒーが冷めてしまい、淹れたてのモノと取り替えていたというのだ。
あのママ、そんなこと何も……。

 継続雇用を希望していたが、取り下げるかもしれない。そうなると、次に来る夏には定年退職だ。
 夏にまた来ようか……。

 鈍行電車の窓越しに見える、赤く染まった富士山が、過ぎ去っていく。

 次の週末に来ているかもしれない、と一人静かに笑って、また、目をつむった。

 おわり


※ちなみに、本ストーリーを使用したプレゼンの結果ですが、無事にお仕事の受注を獲得したそうです。

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