【不安を希望へ】オーストラリアワーホリ中に人生のどん底を迎えたぼくが復活した考え方
こんにちは。アイエス留学ネットワーク公式アンバサダーの柴田和輝です。
ぼくは保育士でした。 大学を卒業し、2年間公務員として地方の保育園で働きました。
そしてある理由から公務員を辞め、ワーキングホリデービザを使ってオーストラリアで生活を始めました。
そのワーホリ中に、人生のどん底を迎えていた時期があり、その時にしきりに考えていたことがあります。
今回はそれを言語化してまとめようと思います。
2013年、社会人2年目の夏、 当時23歳だったぼくは、地方公務員として働きながら「自分の人生はこの先どうなっていくんだろう」「将来のことが分からなさ過ぎる」と、ひたすら考えていたんです。
そして時は流れ2014年の8月、ぼくは日本から約6,800km離れたオーストラリアの荒野に囲まれたカナナラという小さな田舎街にいました。
当時の全財産は13,000円。
しかし、仕事が見つからず、家族や友だちはもちろん知り合いすら1人もいない小さな街で、数日後に迫る家賃の支払いもできない状態まで追い込まれていました。
その時の食事は1日りんご1個、メントス1本などで凌いでいました。
もちろん日本へ帰る飛行機代すら持っていません。
さらには自分より後から街にやってきた人が次々に仕事が見つかっていく状況で、とても悔しくて、惨めさも感じていました。
その時期に毎日思っていたことは「あちゃー。人生ミスったかこれは、、、」でした。
自分の中では過去最高に極限の状態で、
その時のぼくが考えていたことが、
「自分の人生、この先どうなっていくんだろう」
「将来のことが分からなさ過ぎる」
でした。
そしてこの時、(仕事もお金もなくて時間だけたくさんあったので)今までの人生で一度もやらなかったことをしてみました。
「不安な気持ち」とめちゃくちゃ真剣に向き合ってみたのです。
するとその結果、ある解決策が浮かんできました。
数あるコンテンツの中からこの記事に辿り着いたあなたの役に立つ内容だと思うので、ぜひ最後まで読んでみてください。(よければあなたなりの感想もコメント頂ければ嬉しいです。)
自己紹介
1989年愛知県生まれ。24歳の時に「一生に1回は海外で暮らしてみたい!」と一念発起し公務員保育士を辞めてワーキングホリデーでオーストラリアへ渡る。最初は道も尋ねられないほどの低い英語力だったが現地語学学校やファームジョブを通して英語力を鍛え、ワーホリ2年目にはシドニーのローカル保育園で働くまでに成長。
また渡豪時は資金も十分に無かったが、ローカルカフェやファームでの仕事を通して7ヶ月で3万ドル(当時レートで約280万円)を稼ぎ1年目で黒字ワーホリを達成。
その後、ワーホリ中に出会った看護師の日本人女性と2019年に結婚。世界一周ハネムーンを実現させ、夫婦で35カ国を巡る。2022年に子どもが生まれ、現在は福岡県で暮らしながらワーホリ&留学情報を発信している。
暗闇の中で
未来が分からない、先が見えないことについていろいろ考えていく中で、自分なりにすごくわかりやすい表現が見つかりました。
それは暗闇です。 自分が真っ暗闇にいるという状態を想像するんです。
光もない、音もない、匂いもない、ただの暗闇。 実際に、当時のぼくの心境がまさにそんな感じでした。
誰もが1度は経験あることだと思いますが、自分の部屋で深夜に目が覚めてしまった時に、知っている場所のはずなのに「真っ暗」というだけですごく不安になることがあります。
そんな時、怖いながらに少し勇気を出して体を動かして照明のスイッチの入れると、あっという間に部屋が明るくなり「ふぅ、なんだ知ってる部屋か」とひと安心できたりします。
ぼくが誰も知り合いがいないオーストラリアの小さな街で探していたのも、その「灯り(あかり)」でした。
「未来が分からない」「先が見えない」というのは暗闇と同じです。
でもよくよく考えてみれば、世界中どこを探しても未来がはっきり分かっている人なんて一人もいないはず。
ということは、誰も未来は分からないし、先が見えないという満たされない思いを抱えているということ。
当時のぼくもそうでしたし、きっとこれを読んでいるあなたもそうではないでしょうか。
つまり、みんな、暗闇の中にいるのです。
強いて言えば、ぼくがオーストラリアの小さな街にいた時は、その暗闇がひときわ濃い時期だったと思います。
心の中に、「未来がどうなるか分からなくて不安」という穴がポッカリと空いていました。
思い返せばいつも暗闇の中にいた
お金も仕事もなかったので、2段ベッドが4台押し込めれた8人部屋の自分のベッドに寝転びながら「暗闇」について考えていたら、さらにあることに気がつきました。
この「心の暗闇」、心にポッカリ空いた穴は、ぼくが高校生だった時も、大学生だった時も、いつも空いていたのです。
高校生の時は、「進路どうなるんだろう」「大学に合格できるかな」という満たされない思い。
大学生の時は、「就職先どうしよう」「ちゃんと就職できるだろうか」という満たされない思い。
そのどちらの穴も、大学合格が決まった時、就職先が決まった時にはすっかり埋まったのを覚えています。
なのに、少し時間が経つとまた何か他のことで心に穴が空き、暗闇に迷い込んでしまいます。
いつだって暗闇の中でした。
なんと言えばいいのか、日本にいた頃のぼくは、暗闇の中で手にマッチ箱を持っているのと同じ状態に近かったのかもしれません。
暗闇の中でマッチを1本つけると、自分の周りが少しだけ見えるようになるから安心した気になります。
深夜に起きて部屋の電気にひと安心するのに似た感覚です。
でも、マッチの寿命は短い。
あっという間に消えてしまいます。
そしたらまた暗闇に逆戻り。怖い怖いと思ってまた一生懸命マッチを擦るんだけど、、、また暗闇はやってくる。同じことの繰り返し。
「マッチが消えては擦って消えては擦ってを繰り返す」
そんな人生を、中学生や高校生の頃からずっと生きてきたんだなぁということに、オーストラリアのど田舎で気がつきました。
2つの灯りが必要
「未来がどうなるか分からなくて不安」なことについてさらに考え続けると、そんな暗闇を上手く生き抜く解決策も浮かんできました。
心から苦しい、本当に辛いと感じる体験をすると、人はそこから抜け出す解決策も発見するようです。
ぼくが思いついた解決策は2つあり、そのどちらもがとても重要で、ドン底の時期から10年経とうとしている今現在も大切にしています。
手元の灯り
1つは、手元にランプを持つことです。
LEDほどの明るさがなくてもいいですが、自分の周りに何があるか見えるくらいの明るさがあるランプがあれば、段差があってもつまずくことはないし、穴があっても避けられます。
何か書いたり作ろうと思っても手元はちゃんと見える。そんな明るさでずっと光り続けるランプを持つことです。
マッチのようにすぐに消えてしまう灯りではなく、ずっと照らし続けることができるランプのような灯り。
これは言い換えると、今までの自分の経験から学んだ知恵やスキル、趣味、周りにいる人たちなど、 自分の支えになっている存在が全て、あなたにとっての「手元を照らす灯り」になります。
つまり、自分が持っている自信のことです。
そう考えると、自分はすでにある程度のランプを持っていることに気がつきます。同時に、この先、自分がどんなランプを持ちたいかを考えるきっかけになりました。
遠くに輝く灯り
もう1つは、遠くに輝く灯台のような目印があることです。
360度ぐるっと見回しても、先が全て真っ暗だったら、どっちに進めばいいかわかりません。
砂漠で迷子になるのはどこまで歩いても砂と空しか見えないからです。
でも、砂漠を見渡してみて、遠くの方に(たとえ米粒くらいの大きさでも)オアシスが見えればその方に向かって歩けばいいと分かります。
それと同じで、未来が分からず暗闇を生きているぼくらにも、遠くで光る一点の光が見えれば、どのくらい距離があるかは分からないけれど、ただ真っ暗闇を進み続けるよりは何倍もマシだと思います。
「自分の手元を照らす灯り」と「遠くで目印として輝く灯り」の2つ。
これらを持つことが「先が見えない」暗闇を進んでいくために必要です。
実際に、この2つの「灯り」を意識するようになってからは、日々の「不安」が減り、「安心感」が増えました。
人間が不安や恐れを感じる理由は「できない」「知らない」「見えない」からだと言われています。
受験に受かるか先が「見えない」、入社してすぐは仕事の仕方を「知らない」、1時間のスピーチなんて「できない」、だから不安を感じます。暗闇にいる状態です。
でも「手元の光」と「遠くの光」を意識するようになると、「見えない」が「見える」になり、「知らない」が「分かる」になります。
当然、不安や恐れは減っていきます。
ぼくは今でもこの2つの考え方をとても大切にしています。
穴を何で塞ぐか
そしてこのお話はもう少しだけ続きます。
その後もいろいろと考え続けていく中で、「将来が分からない」という状態は、心という器の底に、大きな穴が空いた状態とも言えることに気がつきました。
穴が空いているから、ダダ漏れなんです、気持ちが。
夜しっかり寝たり、休日にリフレッシュをしてエネルギーを充填しても、穴が空いているからどんどん漏れて減ってしまうのです。
だからたくさん寝てもリフレッシュに出かけても全然満たされた気持ちになれません。
そのポッカリ空いた穴に、何を詰めてふさぐかで、その後の「人生」や「人となり」が大きく変わってしまうんじゃないかと考えるようになったのです。
例えば、「将来が分からない」という穴が心にポッカリ空いている時、 「不安」という気持ちをその穴に詰めて塞ぐこともできるし、「希望」という気持ちを詰めてふさぐこともできます。
「不安」を詰めた人は「未来は悪くなる」と考えた人で、「希望」を詰めた人は「未来は良くなる」と考えた人です。
「不安」で穴を塞いだ人は、現状を維持するために「安定」を求めるようになり、「希望」で塞いだ人は自分を信じて「挑戦」を選ぶようになります。
そして、さらに言うと、不安をもとに「安定」を求めた人は、もし手に入らなかった時には人のせいにしやすくなります。
あの人が悪い、会社が悪い、社会が悪い、時代が悪い、と。
それは他者に依存して自分を安定しようとするから起きることだと思います。
しかし希望をもとに「挑戦」を選んだ場合、失敗しても人のせいにはできません。なぜなら自分で選んだことだから、どこまで行っても責任は自分の側にあります。
何かの本にこう書いてありました。
自分の責任で行動する人が、自由を手に入れることができるということです。
そこまで考えた時に、 「ぼくは自分の意志でオーストラリアに来た」「お金も仕事もなく心細い現状は自分で招いた状況だ」と素直に思うことができました。
そうすると次は、「自分はどうなりたいのか」「この状況も自分の責任(選択)で変えられる」と考えるようになります。
状況に対して、愚痴を言い続けることもできるし、楽しむこともできるといった具体的な選択肢が浮かんできました。
その時からぼくは、それまで「不安」を詰めて塞いでいた心の穴を、「希望」で塞ぐようになった気がします。
それは同時に、「未来が分からない」「先が見えない」という人生の暗闇を進むために、手元を照らすランプのような灯りと、遠くに光る灯台のような灯りを持つことなんだと繋がりました。
ものすごい比喩的な表現ではありますが、あなたがもし、何かしらの不安や恐怖に押しつぶされそうになっているのであれば、その2つの「灯り」を持つことで、心にポッカリ空いた穴を、希望で塞ぐことができることができるはずです。
ぼくが大切にしている灯り
今回は、オーストラリアで生活していた頃のことを忘れないために、つらつらまとめて書いてみました。
改めて思い返しても「あの時は大変だったな」と思います。笑
「でもすごく良い経験になった」という思いもあります。
人生をどう考るかは、人それぞれいろいろあると思います。
今回の話は、その中で「こういう考え方もあるよ」という考え方の1つの選択肢として思って頂けたら嬉しいです。
ぼくたちの人生は、生まれてから大人になってからもずっと、荒れ狂う大海原を必死に泳いでるようなものではないでしょうか。
周りを見渡しても見えるのは大空と海原だけ。
たまに流れてくる丸太や発泡スチロールにつかまって休憩を繰り返しながら毎日必死に泳いでいます。
でも、毎日毎日必死に泳ぐぼくらは、いったいどこに向かっているのでしょうか?
残念なことに、生まれてから大人になるまで、「泳ぎ方」を一生懸命教えてくれるコーチや先生はいっぱい現れますが、「どこに向かって泳げばいいのか」という目標地点や、「そもそもなぜ泳いでいるのか」という目的を教えてくれる人はすごく少ないように思います。
お金の稼ぎ方、人間関係の築き方、健康法、これら全部、「どうやって泳ぐのか」と同じ「方法論」です。
方法論ももちろん重要なのですが、その土台として必要なのが、どこに向かいたいのかという「目標」だったり、なぜ泳いでいるのかという「目的」だったりします。
いくら上手に泳げても、大海原でがむしゃらな方向に泳いでいてはいつか力尽きてしまいます。
また、みんなが同じ方向に向かっているいるからという理由で、何十年もかけて1つの方向に泳いだあげく、着いた島が自分が本当に目指したかった島とは違うということもあるかもしれません。
暗闇の中で目指す光がなければ、どこに向かえばいいのかわからないという不安を抱えながら進むことにもなります。
人生の目的(なぜ生きるのか)というのは、最終的に人に決めてもらうものではなく、自分で決めた方がいいものだと思います。そして幸運なことに、日本で生まれて日本人として生きているあなたにはその自由があると思います。
ぼくの場合、今現在、人生の目的としていることは「自分らしく暮らしながら、人の役に立つことして貢献する」です。
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人の役に立つことでも、自分らしく暮らせなかったらNG、
自分らしく暮らせても、人の役に立たなかったらNG。
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とてもシンプルで分かりやすい目的だと個人的には満足しています。
より具体的な例を1つあげるとすれば、ぼくは10年近く保育士経験を通して、「子どもとその親に喜ばれる存在になりたい」と思いながら今の自分にできることを取り組んでいます。
子どもたちと一緒に人生の目的を考える大人でありたいのです。
子どもたちには「自分が目指したい方向」をなるべく早い段階から考え始めて欲しいと思っています。
そして、ぼくはできるだけその手助けをする人になりたいです。
子育て中の親御さんとその子どもたちの笑顔が溢れている社会、それがぼくの目指す光です。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
先が見えない暗闇の中、あなたはどんなランプを手に持ち、どんな光を目指しますか?