90末~00年代中国ヲタク事情おつまみ①
自分にだけ書けるものとはなんなのか、と考えた末にこれを書いてみようという気になった。大学でも中国サブカルチャー研究を専攻としてるので、覚書程度に書いてたら、もしかしたらいつか研究に使えるかも、という下心(?)も込めて。
なんで自分にはこれが書けると思ったのかというと、まぁぶっちゃけ当事者だからとしか。80年代末も末の年に生まれて90年代に育ち00年代はどっぷりヲタク文化に浸ってたので。とはいえ実際に中国に帰ったのは90年代後半なので体験したヲタク文化もその頃からです。
それにどっぷりといっても経済その他の制限があるわけで、だから専門家ぶるのもなぁと思い、タイトルに「おつまみ」がついたわけです。
要するにご大層なタイトル(前半)に反して、客観的な陳述ではなく、主観的な思い出語りにすぎません。信頼できる史実資料があると思ってクリックしたサブカル研究同業者のひと(いるなら)ごめん。
まぁ一言でまとめると、80年代末に生まれ、90~00年代に育ったいち中国ヲタクの、ごくごく個人的な思い出話に過ぎないわけだ。
さてどこから始めようか。中国のアニメ業界における万氏兄弟の偉業とか、上海美術電影場のあれこれとか、マンガ業界では『画書大王』やその他雑誌のどうこうとか、研究や報道がわんさかあるわけだし今更ド素人が私見を述べる必要もないだろう。
とりあえず90年代後半の当時小学生の我々がどうやって日本のマンガやアニメなどに触れていたという話しからしよう。まぁアニメはぶっちゃけほとんどテレビだった。中国語に吹き替えた正式放送だった。確か以前調べた結果だと最初に中国で放送された日本アニメの一つに『鉄腕アトム』があったはずだが、まだテレビがモノクロの時代で私らの世代にとってはちょっとお目にかかる機会もなかった。同世代で言えばアニメは『聖闘士星矢』や『魔神英雄伝ワタル』などが広く全国でヘビロテされたが、私個人だと残念ながら帰国時期によりニアミスだった。私の場合はその後に同様にヘビロテされた『ビートエックス』『魔動王グランゾート』『スラムダンク』『ポケットモンスター(無印)』『デジモンアドベンチャー』『美少女戦士セーラームーン』及び『R』、そして特撮は『恐竜戦隊コセイドン』だった。
そうだ、今回はヘビロテの話しをしよう(今更)。
どこかの美少女グループのお歌の話しじゃない。アニメ時々特撮の話しである。
原因については推測でしかなく、せっかく版権または放送権(ここら辺の権利関係もいち視聴者として実はよくわかっていない)を買ったのだから、放送できるうちに思いっきり放送しようというテレビ局の勿体無い精神的な何かではないかと思っているのだが、とにかく短期間中に同じアニメがいくつかの局でエンドレスに流れた。なので割と当時の子供たちの共通記憶として当時の放送作品が刻み込まれていたりする。
当時、中国でアニメは「アニメ番組」なる枠で放送されていた。中央電視局の『動画城』だったり、教育電視局の『動漫天地』だったり、若いお兄さんお姉さんがCMを務める番組が毎日あって、そこで国産だったり海外(日本含)産だったりするアニメが毎日一話か二話が放送されるという形が基本なのだが、最終話が放送されたら翌日また一話から始まる。一日二話流れる番組で奇数話の作品の場合、同じ日の番組枠で最終話が流れてCMの後に第一話が流れる。とにかくリピート放送する。始まる日もちまちまなので、同じ日の17:00にA局で全54話の第50話が流れて、17:30にB局が同作の放送を始めて第1話から始まり、18:00ではC局の放送が24話まで進んでいるとかザラだった。
当時の日本アニメは皆ご存知の通り(日本のオリジナルの放送周期では)一年モノとか数年モノが多くて52話以上とか100話超えとかが一般的だった。前文で挙げた私らの世代がリアタイしてたタイトルも全部50話以上だった。この長さとヘビロテ式放送が合わさって何が起こったのかというと、まぁエンドレスだった。
50話だろうが100話200話だろうが、物語の決定的な始まりの第1話も結末の最終話もそれぞれ一話しかない。序章とか最終章とかそんな感じの「序盤」「終盤」の雰囲気が漂う期間ならもうちょっと長いかもだが、それでも決定的な「起点」「終点」を示すキーポイントはそれぞれ第1話と最終話という一話にしか含まれないのだ。その他は全て冒険の最中のお話。第1話も最終話も滅多にお目にかかれない。鉄兵とエックスはいつの間にか中央の基地エリアを目指してていつまでも鋼太郎兄ちゃんの元にたどり着かないし、大地とラビとガスはいつ揃ったのかわからないしいつまでもラビルーナを旅してて装いも第一法衣と第二法衣を行ったり来たりしてたし、湘北のメンバーが投げたバスケットボールはいつまでも空中浮遊してて思い出がフラッシュバックするし、サトシがずっとずっと旅するのはまぁ普通だとして、太一たち選ばれし子供たちとパートナーデジモンはチームが別れたり合流したりしてとにかくずっとデジタルワールドを歩き回ってるし、うさぎちゃんとその仲間たちは毎日月に代わってお仕置きしてるし、人間大砲はとりあえず毎日発射されてた。
アニメに始まりと終わりの概念があること自体は知識として知っていても、お目にかかる機会はほとんどなかった。VCDなるものが普及して、「作品」単位でアニメを購入して自分のペースで見れるようになるまでは。
そうだ、次回はVCDの話しをしよう。
では。