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DAY54)無意識にぶつかり助け合う

先日の結婚記念日の投稿を振り返って「どうして“違い”を楽しむのだろう」と思っていると、幼児教育の父といわれている倉橋惣三の言葉に出会った。

「意識なく素で、相互的にぶつかり合い、助け合うことで、相互的に真の交わる。そこで初めて真の社会生活が楽しまれる」

倉橋惣三「教育講話」1926
水津幸恵「保育の場における子どもの対人葛藤:人間理解の共感的まなざしの中で」2020、P29

これは、子どものぶつかりに対して綴られているものだが、夫婦生活にも通づると思った。基本的に喧嘩は避けたい。しかし、喧嘩を「争う」と捉えたら嫌なものだが、「競い」、つまり「比較」として捉えた時、夫婦にとってとても大事な営みになる。

上記の倉橋の言葉と結婚生活を照らし合わせると、やはり結婚においてぶつかり合いと助け合いは重要で、しかもそれが個人の利益のための行動ではなく、夫婦の和を大切にしたい無意識的なものであれば、それは真の夫婦的営みであり、そこで初めて夫婦生活が楽しめると言えるのではないだろうか。

結婚して、仲良しで、でも旅に出てぶつかり合いが増え、交際しているときの関係と違ったことに違和感と不思議な思いでいたが、それは真の夫婦への歩みだったのかもしれない。これは幸せなことだ。語り、ぶつかり、助け合える存在がいるって幸せであり、尊いことだ。いつか壊れてしまうかもしれないことも承知しながら、今を無意識的に楽しみ、大切にしていきたいな。

去年の家族写真@結婚10周年

最後にサンフランシスコの宿で出会った50代くらいの紳士に言われた言葉がとても印象に残っている。

「夫婦は背中を合わせている」

@サンフランシスコ
@サンフランシスコ
@サンフランシスコ

つまり、付き合っている時はお互い面と向かって向き合い、似ていることや同じことに共感し喜びを感じる。しかし、結婚をすることで互いの生活が共同になり、守るべき存在になる。だから、夫婦で背中合わせになり、お互い持っている180°の視野を合わせて、360°で社会を見て歩むのだと。だからぶつかり合いは、争いでなく、夫婦を営む行動なのだと。とってもしっくりきた。

支え合いも、ぶつかり合いも、笑顔も、汗も涙も、どれも大切にしよう。


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