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「精神と自由」が奪われていく時代に。
弓削達さんをお訪ねしたのは、1989年昭和天皇の死去に伴う「自粛」の嵐が吹き荒れている最中だった。当時、文部省の「服喪」通達に対して大学としての「自治」の姿勢を示した7つの大学のうち、当時、明治学院大学の学長であった森井眞さんとフェリス女学院大学の学長であった弓削達さんが、それぞれ右翼による生命を脅かされるほどの攻撃を受けていた。
私が主宰する出版社オーロラ自由アトリエで、お2人の対談を企画し、それぞれに快く承諾をいただき、作家・山口泉さんに司会をお願いしてこの企画が実現した。
このインタビューは、その1年後、大阪・よどがわ市民私生活協同組合の機関誌『プロシューム』に掲載されたもの。私はライターとしてこの機関誌の仕事を時々いただいていた。
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弓削達さんは、学長時代に「平和思想史」の授業をやっていて、その受講生の1人が広島の「原爆の子どもの像」のモデル、佐々木禎子さんに関する絵本を作りたいというので相談に乗ってやってほしいとの電話をいただき、それが絵本『さだ子と千羽づる』(オーロラ自由アトリエ)となった。
弓削さんは、大学から立て看板が消えたことを「寂しくなった」と言って、学生たちがもっと社会や政治のことに関わることを望んでいた。
森井眞さんも、亡くなるまで「反戦」を訴えて発言をなさってきた。森井さんには、東京・目黒区で開催した市民学習会で講演をお願いしたことがある。その打ち合わせのために近くの蕎麦屋で食事をしたとき、彼は蕎麦がきを注文したので、私の中で「蕎麦がき」は、自動的に森井眞さんを思い出すようになっている。
弓削達さんは、2006年、82歳で亡くなった。森井眞さんも、2023年8月に103歳で亡くなった。あらためてご冥福を祈りたい。
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