70の手習。
2022年のコメント
この時から対して上達もせず、相変わらず難しいと感じている。経糸を均一に機械に張るのが難しい。思ったような色には仕上がらないというのもある。まあぼちぼち、やっていきます。
宮古上布は現在、年間生産反数が約20反、80人ほどが携わっているようです。宮古上布の原料は、苧麻(ちょま)で、本州では会津地方が唯一の生産地で、小千谷縮や越後上布が織られてきました。
昔は宮古空港に苧麻が展示されていましたけど、いまはどうでしょうか?
タイトルの写真は、宮古上布の名刺入れ。昔お土産として、いただきました。
2021年6月11日
手織り機を買った。
昔からやってみたかった手織り。これまで何度も買おうかと思ったこともあったし、家人に卓上手織り機をプレゼントされたこともあったが、なかなか実際に手がけることができなかった。
沖縄にはいくつかの地域に、伝統織物がある。沖縄市の知花織もなかなか美しい。後継者養成のための制度もあるけれど、確か年齢制限があったような気がする。
宮古島の宮古上布 https://ja.wikipedia.org/wiki/宮古上布 は見事な繊細な麻織物で琉球王朝時代には、あの悪名高い人頭税として物納に使われたというもの。現在では後継者がなかなかいなくて、その育成にも力を入れているらしい。新しい布がないので、古い着物などを解いて小物を作り、土産物として販売されていると聞いた。
勉強したり習得したりしなければならないことも、他にたくさんあるので、時間のかかる織物まではちょっと無理かもとの思いもあった。ところが、昨年来、新型ウイルスの感染が拡大し、私のような高齢者は重症化から死に至る可能性もあるというので、人との接触を避けることになり、ほとんど籠っている。
鍼灸師として学ばなければならないことは、どめどなくあるけれども、時には息抜きもしたい。私は、編み物・縫い物などが結構ストレス解消になる。そこで思い切って、手織り機を買ってしまった。まあその前に、以前から憧れていた職業用ミシンも買ってしまったのだけど。
卓上ではなくて、本物の手織り機。足踏みで縦糸(たていと)を上下に分けて、シャトルで緯糸(よこいと)を飛ばす「バッタントントン」という、鶴の恩返しに出てくる、あれだ。
織物はほとんどの場合、伝統的に織り方の方則が決まっていて、その習得も含めてそれぞれ後継者の育成などがなされている。ところが織り手が好きなように織ればいいという「さをり織」というのがあることを知ったのは、だいぶ以前のこと。
「さをり織」は、城みさをという人がはじめたもので、独自に織り機を開発して販売している。大阪ではじめたものだが今では全国、海外にも、愛好者がいて、織物教室などのワークショップも各地にある。
その理念はなかなかよいもので、織り手の自由な発想を求めている。
織り機といえば「鶴の恩返し」では「バッタントントン」と織られていくイメージがあるけれども。それは、全過程の最終段階で、実はそれ以前の準備の方がはるかにたいへんだし、難しい。
はじめて織り機を手にして、すでに2回、途中で作業を放棄した。「バッタントントン」は緯糸を飛ばしながら織っていくときの音。でもその前に縦糸を織り機にセットしなければはじまらない。縦糸が上下に分かれるように機械にセットするのが難しく、途中で放棄した。
機械から外すと絡まった糸が……。でもご安心を。私はこんがらがった糸を解くのが好きなのです。学校や職場で、絡まったネックレスなどを「あなた好きだったよね。これ解ける?」と持って来られたこともあったくらい。織物に向いているのかな。
織物というのは、緯糸を等間隔に上下に分かれるように機械にセットされた縦糸の間を潜らせていくわけだけど、縦糸が均一のテンションをもって機械にセットされないと、織り上がった布は波打ってしまう。はじめて織ってみたものはそんな感じ。したがって、はじめて織った布からは、いいとこ取りでちっさいものを作った。
も一つ難しいなと思うのは、糸の配色。縦糸に使う色と緯糸に使う色の関係が、どんなふうに仕上がるのかは、やってみないと分からない。何度も繰り返していううちに、大体のイメージはできていくのだろうけれども……。