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2021年 ベスト・アルバム トップ15

年間ベスト・アルバム。

毎年、年の瀬になると書こうか迷うのだけれど、記事にできるほど新譜の聴き込みができていなかったりして、結局今まで書いたことがなかった。
今年も相変わらず旧譜ばかり聴いていたのだが、自分のLast.fmのライブラリを見ると、思っていたより新譜を聴いていたことに気付く(少なくとも50枚以上は聴いていた)。尚且つ心に残る作品に数多く出逢うことができたので、自分が作品のどういった点を好きになったのか忘れないよう言語化しておくためにも、今年は書いてみることにした。

「何回聴き通したか」「どれだけ思い入れを持っているか」「この先も聴き続けていくか」というのを基準に15作品選び、ランキング形式にしています。
上述したように、作品のどういった点を好きになったのかという観点で、各作品にコメントを入れています。最初は1作品につき300文字程度で収めようと思っていたのですが、あれもこれもと書きたいことを書いていくうちに、凄いボリュームに…。長くなってしまいましたが、何かの参考になれば幸いです。


15. Eyehategod: A History of Nomadic Behavior

アメリカのスラッジ・メタルバンド、Eyehategod(アイヘイトゴッド)による6作目のオリジナル・アルバム。

アイヘイトゴッドは、ラモーンズやカンニバル・コープスのように「変わらないからこその素晴らしさ」を持ち続けているところが好きだ。ブルー・チアーとメルヴィンズを経由して全身に苛立ちとファズを染み込ませた重苦しいギターと、悪天候の中で牛を引きずっているかのような強烈な唸りボーカルが混ざり合い泥沼化したサウンドは初期から一貫している。
本作も例に漏れず、どれも「アイヘイトゴッドお馴染みの曲」としか言いようの無い内容だが、聴き手を飽きさせずフレッシュな印象を与えてくれるのは『Fake What's Yours』や『Three Black Eyes』『Every Thing, Every Day』などキャッチーな楽曲が強力なフックとなっているのが大きいだろう。いぶし銀の職人技が仕込まれた快作となっている。
骨太なバンドサウンドを余すことなく体感できるロスレス音源での聴取を推奨(できればヘッドホンで)。

14. Maxine Funke: Seance

ニュージーランドの女性シンガー・ソングライター、Maxine Funke(マキシン・フンケ)による4作目のオリジナル・アルバム。

アコースティック・ギターの弾き語りを軸とした作品。私は弾き語りアルバムといえばニック・ドレイクの『ピンク・ムーン』が金字塔だと思っていて、あのアルバムの空気感に近い作品を常に探し求めているのだが、意外とありそうで無かったりする。それっぽいものでも、情念が露骨に伝わってきたり、ハイトーンで歌い上げたり、カオティックな方向に行き過ぎたり。しかし、本作はまさしく探し求めていた『ピンク・ムーン』的なうたものアルバムだと思う。

歌はシビル・ベイヤーのように存在感を持った囁き声、アコースティック・ギターは静寂と余白を意識したアレンジ。盛り上げも下げもしない落ち着いた楽曲は聴いていてとても居心地が良い。スロッビング・グリッスルと小野リサの間の子のような『Moody Relish』など弾き語りに留まらない実験的な楽曲も、カオティックな方向に行きすぎないため聴きやすく、全編においてBGMとしても楽しめる。全7曲・収録時間25分という潔さも良い。

朝昼晩いつ聴いても合うが、どちらかというと夜に聴くとしっくり来るかもしれない。晩ごはんのときとか。誰かと会話してるときに流しても決して邪魔をしない、むしろ心地よい空気を作ってくれる本作は、今後も至る場面で重宝していくこととなるだろう。

13. 毛玉: 地下で待つ

日本のバンド、毛玉による4作目のオリジナル・アルバム。

岸真由子(鍵盤&コーラス)、深田篤史(ギター)という二人の新メンバーを迎えてからは初となるアルバム。前作『まちのあかり』は、2018年にバンドの「核」であったギタリスト・上野翔の活動休止を経て生み出したということもあってか、混乱した中でもなんとかバンドの「あかり」を灯し続けようという必死な思いが伝わってくる内容だった。

本作はそういった厳しい状況をなんとかくぐり抜け、新メンバーも毛玉に上手く浸透したタイミングで制作されたのだろう、余裕を感じさせる作品だ。その余裕はバンドにポジティブな変化をもたらしたように思う。

個人的な見解だが、毛玉は「この楽曲を、自分たちがどういうサウンドにしたいか」という視点から、「この"うた"は、どういったサウンドを求めているのか」という視点に変化をしたのではないだろうか。前作までの密度の濃い(それでいて最大の魅力だった)アレンジは影を潜め、黒澤の弾き語りを軸としたシンプルなサウンドは、うた・メロディの魅力を最大限活かしている。

新メンバー・深田のギターの貢献が大きいだろう。彼のロビー・ロバートソンやデイヴィッド・T・ウォーカーのような「強めの自己主張は決してしないがいるといないとじゃ大違い」な激シブなギターこそが、うたに寄り添ったバンドサウンドを生む大きなキッカケとなったのではないだろうか。

もう一人の新メンバー、岸のボーカルをフューチャーした『RPG』『寒い夜のこと』は、『ランプ幻想』の頃のLampを思わせる包み込まれるような世界観がすごく良い。黒澤以外のリード・ボーカルでも紛れもなく「毛玉の楽曲」として昇華されている点も魅力的だ。

秋口〜冬に聴きたくなる本作のイメージにピッタリと当てはまるジャケット・デザインも含め、現時点での毛玉の最高傑作だと思う。オススメ。

12. Kings of Convenience: Peace or Love

ノルウェーのアコースティック・デュオ、Kings of Convenience(キングス・オブ・コンビニエンス)による4作目のオリジナル・アルバム。

BGMになり得るレコードというのは重宝され、長く付き合えるものが多いが、本作はまさにそういった作品。そっと語りかけるソフトな歌声と、丹念に作り込まれた2本のアコースティック・ギターのアンサンブルは、いつ、誰と、どんな状況で聴いても心地よい雰囲気作りに貢献してくれる。

私は自宅・外出時とあらゆるシチュエーションで本作を聴いてみたが、青空がしっかり見える晴れた朝に、コーヒーを飲みながらそこまで大きくない音量で聴くのが今のところ一番しっくり来ている。もちろんじっくり腰を据えて聴いても楽しめる音楽だ。今後もふと思い出したときに聴きたくなる作品となるだろう。

11. Damon & Naomi with Kurihara: A Sky Record

アメリカのフォーク・デュオ、Damon & Naomi(デーモン&ナオミ)による11作目のオリジナル・アルバム。

キングス・オブ・コンビニエンス『Peace or Love』が部屋で聴くことでその魅力を大いに発揮できる"インドア系レコード"なら、本作はその対極に位置する"アウトドア系レコード"。例えばこのジャケットの写真のような晴れた日に、何の変哲もない街をドライブしたり、ぶらぶら散歩したりしながら聴けば、本作の旨味をより体感できるはず(もちろん部屋で聴いても間違いなく楽しめる内容)。

『Peace or Love』と音の方向性は近いのに本作がより外交的なのは、栗原ミチオのギターがあるからだろう。彼のギターは一見穏やかに聴こえるが、時にWhite HeavenやBorisで見せるハード・サイケデリックなサウンドが滲み出る瞬間があって、そこにデーモンとナオミがしっかりと見極め呼応することで、楽曲をアクティブな方向へと導いている。とは言ってもどの楽曲も決してラウドではなく、終始程よく動きのある穏やかな仕上がりとなっているので、本作もあらゆる場面で聴いたり、流したくなる作品だ。

より音に広がりを見せるハイレゾ版での聴取をオススメする。

10. adieu: adieu 2

日本の歌手、adieuによる2作目のミニアルバム。

楽曲提供者は君島大空、カネコアヤノ、小袋成彬など錚々たる顔ぶれ。もちろんネームバリューだけでなく、どの楽曲も非常に完成度の高い仕上がりとなっている。特に君島大空の作詞・作曲による『春の羅針』はサビに向けて穏やかな広がりを見せるメロディと、コクトー・ツインズなど4AD系の華美さを感じさせるアレンジが極上。個人的に君島大空の作品自体はそこまでしっくり来ていなかったのだけれど、この曲を聴いて彼のソングライターとしての素晴らしさに気付くことができたので、今一度向き合っていきたいと思う。

うたものはどんなに曲が良くてもうたに一番の魅力がなければ「良い曲」になるのは難しいと個人的に思っているのだが、本作はその点をどの楽曲でもクリアできている。まるで草野マサムネと山本精一の中間に位置するかのようなadieuの「フラット唱法」は胸をキュウっとさせる「切なさ」に溢れていて、その「切なさ」こそが彼女のうたの魅力だと思う。作曲者たちもそこを最大限活かしているからこそ、どの楽曲も名曲に仕上がっているのではないだろうか。

この先何度も何度も、本作に宿る「切なさ」に浸りたくなるはずだ。

9. ずっと真夜中でいいのに。: ぐされ

日本のバンド、ずっと真夜中でいいのに。(以下、ずとまよ)による2作目のオリジナル・アルバム。

ずとまよは他にはない独自の世界観を構築していて、それは主にミュージックビデオやジャケットで描かれる「アニメーション」や「キャラクター」で表現される。これらはずとまよの音楽をより楽しむうえで必要不可欠な存在であり、楽曲とは切っても切り離せない関係だ。それは恐らく、ACAね(ずとまよの作詞・作曲・ボーカル担当)が、自分が描く世界でのみ現れるキャラクターたちのための「架空のサウンドトラック」をテーマに曲を作っているからではないかと思う。キャラクターたちがどういう場面に出くわし、どういった感情を抱いているのかを、ACAねは「うたもの」という形で表現する。場面に合わせて曲を作るため、ディスコ、ヒップホップ、フュージョン、カントリー…などなど、アレンジのバリエーションは多彩だ。それがアルバムとして纏まった形になると、ACAねの描く世界を少しだけ肉眼で見れたような気分になる。

本作の内容を一言で表すなら、「2125年、廃墟と化したヴィレッジ・ヴァンガードに棲みつくヤンキーが相対性理論とキャプテン・ビーフハートに影響を受け音楽を作り始め、最終的にYUIのような歌唱とディスコのノリを重視して生み出したポップソング集」といったところだろうか。「日常」ではどう考えても体験できない「非日常」の世界を、音楽を通じて「日常的」に楽しめるのが、本作の魅力だ。

8. 槇原敬之: 宜候

日本のシンガー・ソングライター、槇原敬之による23作目のオリジナル・アルバム。

彼がこうしてまた新しい作品を世に出すと発表したとき、いちファンとして喜びつつもどういった内容になるのか不安な気持ちを抱いていたのは否めない。
しかし蓋を開けて見れば、それはとても軽快で心地よい楽曲が並ぶポップソング集だった。どの曲も、すごくポジティブな意味で「普通に良い曲」だ。今までのマッキーのアルバムなら、わかりやすく突飛なサウンド、曲調、内容の曲を1曲は入れているところだが、本作はそういった飛び道具は一切使っていない。どの曲も、極シンプルなサウンドで統一されている。だからこそ、うたのメロディの旨味を余すこと無く味わえるし、シンプルなサウンドというのはつまり、選びに選び抜かれた「良き音」しか鳴って無いということ。おまけに録音の音質もすごく良いときてる。なので、上述した通り聴いててとにかく心地よい(ハイレゾで聴くと特に浸れる)。作り込みまくるマッキーの作風からしてみれば、「普通」なことは実に新鮮である。

もちろん「普通」だからといって、曲に面白みが無いわけではなく、聴きどころは盛り沢山だ。例えば、YMOチルドレンなマッキーらしい80's テクノポップ風ナンバー『特別な夜』や、珍しく作詞を自分以外の人間が手掛けた、須藤晃(尾崎豊や玉置浩二を手掛けた音楽プロデューサーであり、同じく音楽プロデューサー・Tomi Yoの父)作詞の『わさび』、隅から隅までピアノ・ジャズ・ボーカル曲『なんかおりますの』などなど、随所に本作でしか聴けない「槇原敬之ならではの挑戦」が仕込まれている。ちなみに、『わさび』の作詞は須藤晃だが、『虹色の未来』はその息子・Tomi Yoがアレンジャーとして参加している。凄腕音楽プロデューサー父子がひとつのアルバムに揃って参加しているのは、本作ぐらいなものではないだろうか。

アルバム全体を通して、再び音楽と向き合えたマッキーの「嬉しさ」「楽しさ」が伝わってくる。それは、サウンド・歌詞・メロディの面でポジティブに作用し、新鮮な「ポップス」へと直結している。彼のオリジナル・アルバム23作中、最も好きな一枚になりそうだ。

7. Cocco: クチナシ

日本のシンガー・ソングライター、Coccoによる11作目のオリジナル・アルバム。

『きらきら』以来、久しぶりの傑作ではないだろうか。
私は音楽を聴き始めたときによく聴いていたのがCoccoだったということもあり今でも強い思い入れを持っているものの、作品を重ねる毎に色濃くなる沖縄の要素にどうも馴染めず(『きらきら』まではとても効果的に作用していると思うが)、『エメラルド』以降のアルバムはほとんど聴いていない状態だった。

風向きが変わったのは前作『スターシャンク』。『ザンサイアン』までメインのプロデューサー/アレンジャーであり、Coccoの楽曲において非常に重要な役割を果たしていた根岸孝旨が、サウンド・プロデューサーとして本格的にカムバックしたのだ。これをキッカケに、私は再びCoccoの作品を聴くようになった。『スターシャンク』は「やっぱりCoccoの楽曲は根岸のアレンジがしっくりくるなぁ」ということを再認識させてくれる作品ではあったものの、アルバム全体の印象となると少し弱い…と感じていた。しかし本作はどうだろう。1曲1曲の人懐っこさ、アレンジの作り込み具合、曲順、その全てにおいて『スターシャンク』を凌駕しているように思う。もっと言えば、最高傑作『ラプンツェル』に並ぶ作品ではないだろうか。そう思う理由は主に以下の2点となる。

1点目は、「私にとって長年ボトルネックだった『沖縄』の要素が、本作では非常にポジティブな働きかけをしているから」である。沖縄の要素がアルバムの流れの中、「隠し味」として違和感なく溶け込んでいることで、本作を何度も聴き通したくなる想いへ導いていくのだ。Coccoが長年試行錯誤してきた「ロック+沖縄音楽」の方向性がようやく洗練したポップ・ミュージックに結実し、もはや「ボトルネック」ではなくCoccoの新たな「武器」だとさえ思っている。

2点目は、「ヘヴィ・ロック路線に回帰したから」である。もちろん『エメラルド』〜『アダンバレエ』でもヘヴィ・ロックな一面は多少は見せていたが、やはり私は根岸が思う「ヘヴィさ」が好きなのだと再認識した。根岸はガース・リチャードソンやスティーヴ・アルビニなどが持つオルタナティブ/ヘヴィ・ロック方面のディレクションを、JPOPというフィルターを通し昇華できる唯一無二の存在だと思っていて、本作でもその職人技が存分に発揮されている。Coccoの卓越したソングライティングセンスと、アラニス・モリセットやドロレス・オリオーダン(クランベリーズ)のような哀しくも美しいボーカルに、根岸が手掛けるラウドかつリズム隊がボトムを支えるバンド・サウンドが組み合わされば、たちまちヘヴィで強力な楽曲が誕生するのだ(そういった面は『サングローズ』までの初期4作で如実に現れている)。しかしながら、そのような根岸のプロデュース能力は、Coccoが生み出す楽曲そのものに魅力が宿っていなければ活かし切ることは難しいのだが(活かしきれず、やや弱い楽曲が揃ってしまったのが前作『スターシャンク』だと思う)、本作の楽曲はどれもここ数作の楽曲の中でも抜群にメロディがキャッチーかつ説得力を持っているため、アレンジもサウンドも相乗効果で活き活きしている。根岸がメインのプロデューサーから離れて以降のCoccoの楽曲はヘヴィな面を見せることは少なくなっていたので、今こうして最高の形で「回帰」してくれるとは。一時は離れていたけれど、長年ファンをやってきた身としてはとても嬉しい。

それにしても、本作を「JPOP」のみでカテゴライズするのはちょっと勿体無い気がする。今までCoccoを通ったことのないヘヴィ・ロック好きにももっと注目されて欲しい作品である。

6. Donut Real Elephant: Wannabe

日本のロックバンド、Donut Real Elephantによる1stアルバム。

今年のマイ・ベスト・オブ・ギター・ロック大賞。『Circulator』あたりのGRAPEVINEや初期のtoddleを彷彿とさせる音進行が印象的なギターと的確に呼応するリズム隊、そして実直さの中にどこか繊細さが見え隠れするボーカルが揃えば、最高の内容にならないわけがない。楽曲ごとのアレンジはどれもシンプルなバンドサウンドで統一されているが、それにより珠玉のメロディが活かされているので何度聴いても飽きることがない。「自分はやっぱりギターロックが大好きなんだな」と、音楽を好きになり始めた頃の忘れちゃいけない気持ちを思い出させてくれる逸品。

5. GRAPEVINE: 新しい果実

日本のバンド、GRAPEVINEによる17作目のオリジナル・アルバム。

GRAPEVINE(以下、バイン)、2021年は本当にたくさん聴いた。
そのキッカケは、4月25日の日比谷野外音楽堂で開催されたワンマンライブ。バインの野音公演といえば、前回2015年に開催された際、チケットも取れ観れる予定だったのに急用が入り行けなかったという悔しい思い出がある。その後も機会は何度もあったのだが、不測の事態が発生し行けなかったり、チケットが取れなかったりで、結局彼らのライブを今まで一度も観れていなかった。「もしかしたらGRAPEVINEのライブは一生観れないのかもしれない」そう思っていた矢先、4月25日の野音公演のチケットが当選したのである。とは言え、私はバインをそこまで聴き込んでいるわけではなかった。好きな曲はあったしカラオケでもよく歌っていたけれど、アルバム1枚1枚とじっくり向き合って理解を深める領域には入ったことがなかった。なので、野音公演のチケットが取れたとき、(初めてライブに行けるというのもあって)この機会に、気合いを入れてリリース順に聴き込もう!と決め、実行に移したのである(その時ツイッターで各作品について感想をつぶやいていった結果、何十件にも渡る紐付けツイートが出来上がってしまった)。野音公演まで1ヶ月以上、毎日毎日バインのアルバムを聴き込んでいたのがもはや懐かしい。Spotifyによれば今年だけで9,585分も聴き続けていたそうだ。

毎日聴き続けた結果、「ギター・ロック」という軸はブレずに、作品を重ねるごとに方向性を柔軟に変化することができる、実に奥が深いバンドだということを認識できた。「バンドメンバー全員が曲を書く」「(脱退はあったが)結成当時からメンバーチェンジは一回もしていない」「根岸孝旨と長田進がプロデューサーとして参加していた」などなど、私のツボになる要素も満載。野音公演当日は、このバンドに対してかなり強い思い入れを持って参加することができた。ライブは当然ながら、最高だった。あまりに素晴らしかったので、ライブ後も私は継続してバインを聴き続けることとなる。
そんなわけで、私はバインしか頭にない「モード」で、本作『新しい果実』と向き合うことができた。

とにかく「シブいアルバム」だと思う。例えば『豚の皿』や『FLY』などのような勢い重視のロック・ナンバーは無い。『阿』や『リヴァイアサン』など本作の中では比較的アッパーな曲も、勢いを抑え、落ち着いた状態で展開させた印象を受ける。勢いが無い分丁寧な作り込みがなされ、サウンドのひとつひとつが非常に洗練されている。『ねずみ浄土』や『josh』などシンセの音がとにかくキャッチーだ。恐らく相当な時間を掛けて音選びをしたのだと思われる。そういった面に、私は彼らなりの「AOR」を感じた。大人のロック・アルバムだ。しかしそのシブさ、大人っぽさに古臭いかんじは一切なく、むしろフレッシュな印象を受けるのがすごく良い。ネオ・ソウル風味な『ねずみ浄土』、ヨット・ロックな『目覚ましはいつも鳴りやまない』などのスタイリッシュなナンバーは若いリスナーにも受けそうだ。10代〜20代前半の方々が本作を聴いてどんな印象を受けるのかが気になるところ。

GRAPEVINEは2022年でデビュー25周年。キャリアの長い彼らだからこそ作ることができた本作は、全体的に落ち着いた曲調が多めなのでBGMで聴くもよし。選びに選び抜かれたサウンドは聴けば聴くほど新しい発見があるのでじっくり聴き込むもよし(ハイレゾで聴くとよりその魅力を体感できる)。それでいて、彼らの根っこにある「ギター・ロック」の成分も、『Gifted』や『さみだれ』『リヴァイアサン』などで健在だ。かつての『光について』や『Our Song』などのようなオーソドックスなうたものは無いけれど、今の彼らでしか作ることのできないGRAPEVINEの新しい一面を、本作をもって生み出すことができたのではないだろうか。

4. Richard Dawson & Circle: Henki

イギリスのシンガー・ソングライター、Richard Dawson(リチャード・ド―ソン)と、フィンランドの闇鍋ロックバンド、Circle(サークル)によるコラボレーション・アルバム。

本作がどのような内容かと言うと、bandcampのページに記された解説文から拝借すれば「『植物』をテーマにしたヒプノ・フォーク・メタル」(収録曲の曲名が全て植物の名称になっている)。リチャード・ドーソンはフォーク、サークルはフィンランドのメタルバンドとしてカテゴライズされるため「フォーク・メタル」と称したのだろうが、私は本作からメタル成分をあまり感じていない。どちらかと言えばロック方面の要素を貪欲に取り込んだ音楽という印象を受けた。言語化するなら「『Goo』期のソニック・ユースにグレイフル・デッドのジャム・セッション要素を取り入れたバンドサウンドと、ロバート・ワイヤットやマルコム・ムーニーに影響を受けたフリーキーなボーカルを組み合わせたロック・アルバム」の方がしっくり来る。

本作を聴いて思い浮かぶ音楽は、ロバート・ワイアット、CMX(『Dinosaurus Stereophonicus』期)、ソニック・ユース、グリズリー・ベア、クラウド・ナッシングス、ウィルコ、カン、ノイ!、アレア、羅針盤、割礼、グレイトフル・デッド、ニール・ヤング&クレイジー・ホース…辺りだ。いずれも、私が大好きな音楽ばかり。つまり本作、完全に私の「ツボ」なのである。私はストライクゾーンが広い方なので「ツボ」な音楽はたくさんあるのだが、ここまでダイレクトなものはなかなか、無い。私が本作を聴いて思い浮かんだ音楽が好きな方は、本作も好きになるかも知れない。

様々なロックの要素を感じながら、彼らながらの個性もしっかり持ち合わせているのも本作の強み。何より特筆すべきは、リチャード・ドーソンのボーカルだろう。曲の展開によって变化する歌声のバリエーションが実に豊かである。ロバート・ワイアットのような繊細さを持つときもあれば、マルコム・ムーニーのような狂気が見え隠れする瞬間もあるし、オペラ歌手のように非常に高い音程を歌い上げる場面もある(これ、私も実際に歌ってみたが本当に高い音程で、まともに歌うのは不可能だった)。聴く者を惹きつける個性と、それを後押しするテクニックをバランス良く両立するリチャード・ドーソンの歌こそが、本作の「核」となっている。

そしてもちろん、サークルも非常に重要な存在だ。様々なロックの要素を貪欲に取り込みながらも「ポップス」として纏まっているのは、サークルの編曲が貢献しているのだろうと読んでいる。私はリチャード・ド―ソンのことを本作を聴くまで全く知らなかったのでソロ・アルバムを数作聴いてみたのだが、戸張大輔を連想させるフリーキー・フォークだった。彼が作るカオティックな音楽を、サークルの確かなアレンジ力と音楽への深い造詣で「整理」していなければ、本作がここまで完成度の高い内容にはならなかったのかもしれない。

シンガー・ソングライターとロックバンドのコラボレーション・アルバムといえば、ボブ・ディラン&ザ・バンドの『プラネット・ウェイヴズ』や、ニール・ヤング&パール・ジャムの『ミラー・ボール』が真っ先に思い浮かぶ。いずれも名作だが、本作もこれら二作と遜色ないくらい奇跡的に相性が良く、両者の特性を極限まで活かした作品だと思う。本作の存在を知ってから毎日毎日聴いているが、飽きる気配はないどころかどんどん好きなる。あまりにも気に入ったので海外のショップでアナログ盤(限定版グリーン・ヴァイナル!)を注文してしまったほどだ。

リチャード・ド―ソンとサークルのそれぞれの作品も聴き込めば本作への理解をより深められると思うので、これを機にちゃんとリリース順に聴いていこうと思う。サークルはかねてより存在自体は知っていたし興味もあったのだが、気が遠くなるほどの作品数に腰が重くなっていたので、本作が良いキッカケになった。2022年も忙しくなりそうだ。

3. Official髭男dism: Editorial

日本のバンド、Official髭男dismによる3作目のオリジナル・アルバム。

私にとってオールタイム・ベストな作品はどれも、収録曲全てが名曲なアルバムばかりだ。コンセプトや歌詞、アルバム全体としての流れなども当然重視するけれど、一番大事なのは、やっぱり1曲1曲がどれだけ自分にとって最高な曲なのかってとこ。そういう最高の曲だけが集まったアルバムに、生涯に1枚でも多く出逢うことができるならこの上ない幸せだし、それこそが私が音楽を聴く最大の目的なんだと思う。

official髭男dism『Editorial』は、まさにそのような「次々と名曲が飛び出してくるアルバム」だ。そもそも、『I LOVE...』『パラボラ』『Laughter』『HELLO』『Universe』『Cry Baby』などの続々とリリースされる強力な新曲たちを聴いている時点で、アルバムが発売される前から「ヒゲダンの次のアルバムは名曲づくしになるだろうな」とかなり期待していたのだが、そんな私の期待も軽々超えてしまう、素晴らしい内容だ。

前作『Traveler』もとんでもない傑作だと思っていた。ヒゲダンは、私が最も敬愛するMr.Childrenのように「アルバムの中で様々なタイプの顔を見せることができるバンド」で、EDM、ヘヴィ・ロック、AOR、サザン・ロック、カントリー、ディスコ、ソウル…楽曲によって極端にアレンジの方向性を変化させていくのが特徴だ。『Traveler』の多彩なアプローチを聴いて、「ようやくMr.Childrenの『後継者』が現れてくれた」と私は歓喜し、ヒゲダンのファンとなった。

『Editorial』は、『Traveler』で見せた多彩さを継承しつつも、『Traveler』には無かった「深み」が色濃く現れた作品だと思う。『Traveler』で驚異的に作・編曲能力をスキルアップさせた彼らが、1曲1曲のアレンジの方向性、サウンドの質感をこれまで以上に熟考し、最適な形になるまで試行錯誤を繰り返したのが『Editorial』なのだろう。今改めて『Traveler』を聴くと、アレンジにどこか付け焼き刃な印象を受けてしまうのが、十分素晴らしい作品だと認識しているだけに、恐ろしいことだ。

全曲シングル級の名曲しか入っていないが、どれも「一発でハートを掴むキャッチーさ」の中に「わかりにくさ」を隠し味として含んでいるところも、本作の深みに直結しているのだろう。例えば、『アポトーシス』は本作の中でも最大のキラーチューンであるにも関わらず、アレンジや構成はかなり複雑だ。私は初めてこの曲を聴いた時、トニーニョ・オルタの1stアルバムを思い出した。ブラジル音楽の持つ「無数の光が点いては消えるかんじ」を『アポトーシス』に感じたのだ。それは美しいながらも掴みどころがなく、だからこそ、掴もうと何度も試みてしまう。そういった「わかりにくさ」ゆえの中毒性が、『アポトーシス』を筆頭に、他の曲にも宿っているんだと思う。

『Traveler』での飛躍は、彼らにとって2021年時点での最高傑作を生み出した。私は本作を25回ほど聴き通したが、当然ながら未だ飽きる気配はない。また1枚、最高の曲しか入っていないアルバムに、しかもリアルタイムで出会えたことを、大変嬉しく思う。

2. Cannibal Corpse: Violence Unimagined

アメリカのデスメタルバンド、Cannibal Corpse(カンニバル・コープス)による15作目のオリジナル・アルバム。
2021年、自分にとって最大のトピックは、デスメタルの洗礼を受けたことだろう。ものすごいハマりこんで、相当聴いている。おかげでSpotifyの「今年のお気に入りジャンル」では、デスメタルが2位にランクインした。

それもこれも本作を聴いたのが始まりだ。カンニバル・コープスは以前から知ってはいたけど聴いたことはほとんど無かった。メタル好きな友人から借りた『Vile』を数年前に1回聴き流した程度である。そもそもデスメタル自体、ほとんどちゃんと聴いたことがなかった。

どういう経緯で本作を聴いたのかはあまり覚えていないのだが、多分ツイッターで見かけた「今週リリース予定の新譜一覧」に本作が入っていて、「あぁ、カンニバル・コープスか、『Vile』のね」と懐かしく思い、何気なく聴いてみたんだと思う。

直感で気に入る予感がしたのか、それとも何も考えていなかったのかは不明だが、あのときに何気なく聴いて本当に良かった。この素晴らしいアルバムは今後も事ある毎に聴きたくなると思うし、何よりも「デスメタル」という、自分が今までほとんどノータッチだったジャンルを好きになるキッカケとなった作品なのだから。

本作の楽曲はどれも「覚えやすいメロディ(リフ含め)」「ノリやすいリズム」「退屈させない展開」の三拍子が揃っているため、デスメタルに疎い私でも気軽に楽しむことができた。本作を聴いてカンニバル・コープスの虜になった私は全オリジナル・アルバムも一通り聴いたが、本作は最も聴きやすく、入門しやすいアルバムなのではないだろうか。「(良い意味で)同じような曲ばかり」なのが彼らの特徴だと思うが、1曲1曲がどれも異なる、それでいてフックのあるアプローチを施しているため、最初から最後まで飽きずに聴き通すことができるのだ。

それについてはプロデューサー兼ギタリストであるエリック・ルータンの貢献が大きいのではないかと思われる。『Kill』『Evisceration Plague』『Torture』『Red Before Black』そして本作と、彼がプロデュースを手掛けたカンニバル・コープスのアルバムはどれも楽曲の俗悪さはそのままに、聴きやすさを押し出したキャッチーな作品ばかり。エリックは本作ではギタリストとして正式に加入し、『Condemnation Contagion』『Ritual Annihilation』『Overtorture』の作詞・作曲まで手掛けている。彼のアクションがバンドにポジティブな影響を与えたことは、本作が傑作になるに至った大きな要素になっているはずだ。

今までほとんどデスメタルを聴いたことがなかった私が、本作を聴いてからというもの、積極的にこのジャンルを掘るようになったのが何とも不思議でならない。2021年はカンニバル・コープスの他にもCarcass、Opeth、Cerebral Rot、Mastodon、Kruelty、Meshuggah、Morbid Angel、Ghastly、Demilich、Gorguts、Death、Deicide、Malevolent Creation、Obituary等も聴いたが、今のところ一番のお気に入りはやはりカンニバル・コープス。しかしながら、私はまだまだデスメタル及びメタルの知識が少なすぎるので、2022年以降も優先的にキャッチアップしていきたいジャンルである。本作のおかげで、「デスメタル」という新たな嗜好を開拓できたのが嬉しい限りだ。

1. aiko: どうしたって伝えられないから

日本のシンガー・ソングライター、aikoによる14作目のオリジナル・アルバム。

やっぱりaikoは凄いんだ。
そうとしか言いようのない傑作である。

自分が最も敬愛する音楽家No.1を決めるとすれば、バンドならMr.ChildrenかCMXのいずれかになるのだが、ソロならダントツでこの方、aikoだろう。本格的に彼女の音楽を聴くようになり、ファンクラブに入って、気付けば8年。『君の隣』以降、シングルやアルバムは必ずフラゲするようになり、ツアーがあれば必ずライブを観に行き、新しい曲が出るたびに一喜一憂して、aikoジャンキーの友人らとあーでもないこーでもないと語り合って…。長年、自分の日常に無くてはならない存在であり続けているものは数少ないが、その中のひとつに、aikoの音楽がある。

aikoの何が好きって、そりゃもう「全て」だ。彼女が書く曲や歌詞は当然のこと、歌声、見た目、服装、仕草、彼女が描くイラストなんかも……といった具合に、私はaikoにちょっと、というかかなり特別な思い入れを持っている。それだけに、彼女のニュー・アルバムとなると毎回毎回、必要以上に絶大な期待を寄せてしまうのだが、ここ2作(『May Dream』と『湿った夏の始まり』)は、その期待を超えたものは出せていないな…という印象を受けていた。

(aikoに関しては見境がないので当てにならないが)個人的に1作目『小さな丸い好日』〜11作目『泡のような愛だった』までは傑作(Pitchforkの点数で例えるなら9.0以上の作品)しか生み出していないと思っている。なので自分の中の基準値やら期待値がかなり高く設定されているので、新しい曲に対しては期待外れになってしまう可能性がどうしても高い。しかし、そうでなくても、極力俯瞰して向き合ってみても、やはり『May Dream』『湿った夏の始まり』は他のアルバムと比べると弱い…というか、自分のツボにハマらない作品だったのだ。今後aikoが良い曲を出してくれるか、心配になったほどだ。

しかし、そんな余計な心配事は、本作『どうしたって伝えられないから』を聴いていとも容易く払拭されたと同時に、なぜ私が『May Dream』『湿った夏の始まり』の2作にハマれなかったのかを理解することができた。

aikoの楽曲の印象を大きく左右するものは、「アレンジ」だと思っている。aikoが生み出すメロディや歌詞は、どの楽曲も極上な個性と人懐っこさを兼ね備えているが、アレンジでどう活かされるかによって、好みが大きく分かれることとなる。

『May Dream』『湿った夏の始まり』の2作でメインのアレンジャーを務めたのは、OSTER project。『あたしの向こう』や『ストロー』など、アッパーなアレンジを得意とする彼女の「JROCK」的ノリ重視のアレンジにはどうも馴染むことができなかった。後述するが、それがアルバム中の1、2曲であればむしろアクセントとなり効果的なのだが、アルバムの大部分を占めるとなると聴き通すのがなかなかしんどくなってしまう。そういった理由で、私は『May Dream』『湿った夏の始まり』にハマれなかったのだと思う。

そもそも、私がaikoを好きになった大きな理由は「島田昌典のアレンジに60年代〜70年代のブリティッシュ・ロックやアメリカ西海岸のサザン・ロックやAOR的要素を強く感じたから」なので、そういった意味でも、島田昌典がメインのアレンジャーとして離れていた『May Dream』『湿った夏の始まり』時期の楽曲は好みとはちょっと外れてしまうのだった。

そんな私が本作を傑作だと思ったのは、Tomi Yo、OSTER project、島田昌典という3人のアレンジャーが「バランス良く」参加しているからだろう。それぞれの異なる特性が絶妙なバランスで活かされ、古き良き味、新しい味、珍味が揃い、過去最高にバラエティ豊かな形で纏まり、飽きずに何度も聴ける作品になっているのである。私が2021年リリースのアルバムで60回以上聴き通したのは、本作のみだ。

本作に参加している3人のアレンジャーについて、解説していきたいと思う。

Tomi Yoは、2020年リリースのシングル『青空』から参加。あいみょん、平井堅、槇原敬之の楽曲でも参加している今をときめく売れっ子だ。彼が取り入れる70年代後半のフュージョンを彷彿とさせるシンセサイザーや、スタイリッシュな鍵盤のアレンジ等は今までのaikoの楽曲に「ありそうでなかった」新しいテイストを加える役目を果たしている。本作では『ばいばーーい』『メロンソーダ』『青空』『磁石』などアルバムの「顔」となるキラーチューンの他、脇役にするにはあまりにも名曲過ぎる『片想い』『一人暮らし』などを手掛けている。

OSTER projectは、2014年リリースのシングル『あたしの向こう』から参加。VOCALOIDを用いた楽曲をメインに制作し、aikoの楽曲では主に「JROCK」的なアップテンポなナンバーを数多く手掛ける。『あたしの向こう』から『湿った夏の始まり』までは島田昌典に代わり、メインのアレンジャーとして起用されていた。本作では、『シャワーとコンセント』と『ハニーメモリー』の2曲を手掛けている。前述した通り、アルバムの大部分の曲をOSTER projectが手掛けているとちょっとしんどくなってしまうのだが、2曲のみとなるとむしろアルバムの流れを作る重要なアクセントとなっているので、本作では非常にバランスがとれていると思う。

島田昌典は、インディーズ時代〜『泡のような愛だった』までメインのアレンジャーとして参加。この方がいなければaikoの数々の名曲は誕生していないだろう、と言っても過言ではない。『泡のような愛だった』を最後に長らく不参加だったが、『湿った夏の始まり』で久しぶりに参加。本作では『愛で僕は』『しらふの夢』『No.7』『Last』『いつもいる』を手掛けている。マイケル・フランクス的ウーリッツァーの音色が良すぎる『愛で僕は』や、カーペンターズ『Rainy Days and Mondays』のようなくぐもったピアノが印象的な『しらふの夢』が特に私のツボを突きまくる。

以上の通り、本作を傑作にしたのは3人のアレンジャーの貢献が大きいのは間違いないが、結局のところ(Coccoの欄でも書いたが)良い素材がなければどんなに調理の腕が良くても美味しい料理にするには限界があるわけで、あくまでaikoが作る原曲がこれまで以上に心を震わせるものだったからこそ、こうして名曲ばかりが揃うアルバムになったのだろう。恨み節、私小説、ファンへの気持ち、世の中に対しての想い…これまで以上に様々なシチュエーションを連想させる。そんな楽曲が揃う本作は、この先何年もリスナーの日常に寄り添い、聴く度に「どうしたって伝えられない」気持ちにさせてくれるだろう。
なぜなら、『秋 そばにいるよ』『暁のラブレター』『秘密』に並ぶ、aikoの最高傑作なのだから。

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