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ゆきりんの震災への想い。
お疲れ様です♪
昨日は、久しぶりのお休みでした。
一瞬で終わってしまった…
疲れていたのだろう…
また今日から頑張らなければ!
今日は、みなさんも忘れてはいけない日ですね。
10年前の今日を。
私も忘れていません。
あの恐怖と不安を。
あの時私は、東京のど真ん中大手町で働いていました。
飲食業で働いており、その日は金曜日だったため
夜の宴会の仕込みをしていました。
ランチが終わり、夜の準備です。
その時は突然きました。
最初はただの地震だと思って気にしな
かったのですが、揺れがどんどん大きくなり
立っていられなくなりました。
アルバイトさんと一緒にキッチンから出て
テーブルの下に隠れました。
揺れが収まり、状況を確認しなければと
周りの店舗の人やビルの防災センターの人達と
話し合いぎ始まりました。
TVを付けるととんでもない事が起きていると
すぐ分かりました。
電話が繋がらず、外には人が溢れ出していました。
アルバイトさんは、歩いて帰れる距離だったので
お水を持たせ帰宅させました。
1時間ほど経ちTVを見ると、東北が津波に
のみ込まれ家や車、木や船が流されている
映像が流れていました。
生放送の時は、もちろん人が流されて消えていく
映像も出ていました。
観ているみんなが、呆然と立ち尽くしてました。
誰も何も言わず、みんな自分の店舗に戻りました。
本社と連絡が取れたのは、そのすぐあとです。
やっと電話が繋がりました。
とにかく一度、本社に戻る事!
対策本部を立て指示を出すとの事でした。
大通りは車と人で溢れており、大手町は
帰宅困難者で大変なことになっていました。
余震も続き、不安が限界まできました。
家族と全く連絡が取れず、もっと震災の時の
連絡方法や待ち合わせ場所など話し合っておけば
よかったと後悔しました。
家族と連絡が取れたのは、多分4時間ぐらい経って
からだと思います。
私の家族は幸い全員無事で、兄夫婦と親は合流
出来ているとの事でした。
本当に安心して涙が出ました。
私達の会社は、帰宅困難者乗り為にお店を
開ける事を決めました。
朝までお店を解放して、歩いて帰りました。
大手町から目黒まで歩きました。
だいたい、3時間ぐらいです。
バスが走っていましたが、歩いた方が早がったです。
道路は、ほとんど動かない状態でした。
家に到着して家族全員と再会しました。
少し仮眠をとり、本社に戻って今後と話し合いが
始まりました。
ここから半年ぐらいは
計画停電でとても大変でした。
10年は、あっという間です。
でも、あの日のことは忘れません。
忘れてはいけません。
1万人以上の人が犠牲になり
今も、行方不明者が数千人います。
今日という日を大切に
生きていきたいと思います。
ゆきりんより。