富士へ ⑤女神
富士山麓ドライブ
最後に富士山麓に行ったのは十年以上も前だった。オウムの後継団体アレフをやめてから、教団施設があった場所を二、三回訪れただろうか。人穴の総本部道場跡地には盲導犬の施設ができている。上九一色村にあった「第一上九」と呼ばれた施設跡地は公園になって、そこには「慰霊碑」とだけ刻まれた小さな碑がある。見るものはそれくらいで、他のサティアン棟があった場所にはなにもない。オウムでの体験をひと通り書いて、わたしなりに区切りをつけてからは、富士へ行きたいと思うこともなくなった。
わたしにとって富士山とその周辺は、オウム真理教の総本部があった場所という以外には、ゴルフ場や遊園地、ホテルや別荘がたくさんあって、登山やキャンプも楽しめる観光レジャーエリアという印象だった。それが最近になって、江戸時代に興隆した「富士講」という宗教の成り立ちを調べていくうちに、富士山は日本の「聖なる山」であり、古代から脈々と流れる宗教性・霊性の場だったことがわかって、もっと理解を深めたいと思うようになった。
「久しぶりに、富士をまわってくるかな」
2013年、富士山はユネスコの世界文化遺産に「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」として登録された。そのため山梨県と静岡県には、富士山のさまざまな情報を発信する施設がいくつかつくられている。わたしは富士吉田市の「ふじさんミュージアム」や、富士宮市の「静岡県富士山世界遺産センター」に立ち寄りながら、富士山麓をぐるっとドライブすることにした。
富士山世界遺産センター
JR富士宮駅の近くにある「静岡県富士山世界遺産センター」は、逆さ富士をデザインした斬新な建築だった。周囲の水盤に建物が映し出されたシンメトリーな風景に、観光客が足を止めてカメラを向けている。建物に入ると、らせん状のスロープを登りながら富士登山をバーチャル体験していって、5階まで上がったところで、ガラス張りのホールからリアルな富士山の眺望が開ける――体験型というのだろうか、よく考えられた設計だった。
「聖なる山」という展示エリアを見ていると、こんな一文があった。
富士山の祭神はコノハナサクヤヒメだと思い込んでいたわたしは、思わず近くに立っていた職員に聞いた。
「富士山の神はコノハナサクヤヒメだと思っていたのですが、ここにかぐや姫だと書いてありますけど、そうなんですか?」
「ええ…」
「コノハナサクヤヒメじゃないんですか?」
「ちょ、ちょっとお待ちください。聞いてきます」
「いや、いいです、いいです。自分で調べてみます。ありがとう」
かぐや姫が富士の神?
世界遺産センターから約200メートル、歩いて3、4分のところに、全国1300余りある浅間神社の総本宮である「富士山本宮浅間大社」がある。もちろん主祭神は「木花之佐久夜毘売命(別称:浅間大神)」だ。
ガイドブックなどには、コノハナサクヤヒメは火の中で出産した女神であることから、活火山である富士山の祭神になったと説明されている。しかし、インターネットで検索してみると、確かにかぐや姫が富士山の祭神だったことがあったようだ。富士市には「富士山かぐや姫ミュージアム」という郷土資料館があって、ホームページにはこう書かれている。
富士山の祭神が、コノハナサクヤヒメになったのはいつなのか、なぜかぐや姫は衰退したのか。富士山の宗教性を考えるとき、わたしには重要なことのように思えるのだが、友人に話しても「うーん、どっちでもいいんじゃない…」という気のない返事だった。
「いや、いや、シヴァ神を信仰していたら、いつの間にかヴィシュヌ神に変わっていたら、どういうこと? と思うよね」
「でも、女神が変わっても、富士山を信仰していることに変わりないから、深い意味はないんじゃない…」
「そ、そうかな。神様が変わるんだよ。なぜ変わったかわからないと、わたしなら気持ち悪いけどね…」
疑問があると、納得できるまで調べないと気が済まないのがわたしの悪い癖だ。それからしばらく、コノハナサクヤヒメとかぐや姫が私の頭から離れなくなった。
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