夢は教える
先日、とても考えさせられる夢を見た。
夢といっても、普通の夢とは感じが違う。この現実と比べても、その空間は硬質で濃密でよりリアルだと感じられる。そんな夢だ。
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夕暮れどき、わたしは一軒のアパートの前にいる。
隣にはAさんがいる。
Aさんは「引っ越す」と言う。家の前に何か不思議な形のものがあるので、「これは何するの?」と聞くと「知らないんですか?」と。
それはコロナ禍で考案された「足洗い」らしい。
足洗いの少し高い位置には蛇口があった。その下の平たい丸い石を指さして、Aさんは「靴を脱いで裸足になってここに両足をのせてください」と言う。石の表面には足形が彫られていて、そこに足を置くようだった。
温かい水が流れてきて、Aさんがしゃがんで私の足を石鹸で洗ってくれる。
平たい石の上に足をのせたときの感触と、流れる温水の心地良さが印象的だった。
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目覚めると、すぐにイエス・キリストが弟子たちの足を洗った逸話が浮かんだ。そして、足をのせた石が「仏足石」のようだったこと、「足を洗う」という言葉には「好ましくない行為をやめる」という意味もあるな・・・と思った。
Aさんは、わたしの人生で唯一絶交したかつての友人だった。オウム真理教の後継団体アレフにいた頃だからずいぶん昔の話だし、あれ以来Aさんを思い出すことはほとんどなかった。
裏切られたと思って縁を切った人が、わたしの足を洗う――。
わたしにとって深い意味のある夢のように思えた。
すぐに聖書の逸話「弟子の足を洗うイエス 」を検索した。聖書の話の一つとして知ってはいたが、自分に引き寄せて読んだのは初めてかもしれない。
地下鉄サリン事件の直後、教団に残っていた弟子たちはなにが起こったのか詳細がわからないまま、なんとか教団と修行生活を守ろうとした。しかし、時が経つとともに教団内部では不信と批判が横行するようになり、特に幹部の間で対立が深まっていった。
結局のところ、わたしたちは「互いに足を洗い合う」ことができず教団は分裂してしまった。Aさんとのことも、そんななかで起こったことだった。
わたしの過ちを忘れないように、この夢を記しておこう。