カルトの「現実」
グルは絶対
「グルは絶対」――オウムで弟子がよく口にしていた言葉です。
これはグル(麻原教祖)を絶対の存在と見なして、未熟な自分の見解を捨てて自我(エゴ)を弱めるための修行として言われていました。伝統芸能などを学ぶときにも「師匠が黒と言えば白も黒」ということがあるそうですから、特別おかしなことでもないでしょう。ただ、オウムの場合はこのような宗教的師弟関係によって重大な事件を引き起こしてしまいました。
オウムのグルと弟子の関係について考えるとき、参考になるエピソードを紹介します。故・早川紀代秀さん(当時ティローパ師)の著書のなかにある、「グルの絶対性についての逸話」と題されたブータン王国を訪問したときの出来事です。少し長いので全文を引用するのではなく、要約して紹介します。(強調は引用者)
ブータンでの出来事
『1992年夏、グル麻原は大勢の弟子を連れてブータン王国を訪問しました。このときグル麻原のたっての希望により、チベット密教の大聖者パドマサンバヴァゆかりの寺院を訪れることになりました。寺院は山のふもとから五時間ほど険しい山を登ったところにあり、グル麻原は最初の登りの二時間はラバに乗って、その後ラバも通れない道を寺院まで登って行きました。
寺院でしばらく滞在したあと下山することになりました。帰りはそれぞれのペースで下りていいということになり、足の速い男性の弟子はどんどん山を下って行きました。目の不自由なグル麻原は長女の肩に手を置いて足元の悪い山道をゆっくり下っていました。グル麻原のまわりには、マンジュシュリー正悟師(村井秀夫)、ミラレパ正悟師(新実智光)、アーナンダ師(井上嘉浩)、ジーヴァカ師(遠藤誠一)など数人がいました。寺院を出てから四、五時間経った頃、グル麻原は十メートルほど前を行く私に声をかけました。
「道が違うのではないか?」
「ティローパ、これは道が違うのではないか。来た道と違うぞ。さっき別れ道のところがあったようだが、あっちへ行くのが正解じゃないのか。なんでこんな道を通るんだ」
私が近くを歩いていたブータン人のガイドに道を確認すると、ガイドは「道は間違いない。来た時と同じ道だ」と返事をしたので、同じことを大声でグル麻原に伝えました。
しかし、また少し経つとグル麻原は、今度はかなり怒気を含んだ声で言いました。
「これはやっぱり違うぞ。行きの道はこんなに歩きにくくなかったぞ。これは別の道じゃないのか。なあマンジュシュリー、どう思う?」
マンジュシュリー正悟師は即座に「そうですね。この道は違うように思いますね」と答えました。グル麻原は近くを歩いていた弟子たちに「どう思うか?」と尋ねましたが、みんなは「そういえば違うように思いますね」などと、グル麻原に同意するように答えていました。
そのうちにマンジュシュリー正悟師が、「やっぱりこの道は来たときの道と違いますね。向こうに見えるあの電線は来たときはもっと近くに見えましたよ」と言い出し、他のサマナも「そういえばそうだ」などと同意して、グル麻原は「そうだろう。うんうん」と満足そうにうなずいていました。
私はブータン人のガイドに英語でもう一度確認しました。ブータン人はあきれたように言いました。
「私はこの道は何度も通っている。道は一本しかない。来たときと同じ道だ。あなた達は今日初めて通るだけなのにどうして違う道だと思うのか。どうして私の言うことが信じられないのか」
同意する弟子たち
私の理性はブータン人の言うことがもっともであると告げているのですが、グルが強弁に反対のことを主張しているので頭の中が混乱しつつ、「おかしいですね。ブータン人はこの道で間違いないと言っていますが、おかしいですね」などと言いながら歩いて行くしかありません。グル麻原は後ろから追いついてきた弟子たちにも「お前どう思う」と聞いていましたが、ほとんどの者が「そう言われればこの道は違いますね」などと言っていました。
そのなかでただ一人ウルヴェーラ・カッサパ師(オウムの音楽班責任者)だけははっきりと、「これは来た道と同じ道だと思いますよ」と言っていました。それに対してグル麻原は、「いやこれは違う道だ。わしは身体で覚えているからわかるんだ。こんな段の多い歩きにくい道は通らなかったぞ」と言いました。そのうち歩きにくさに腹を立てたのか、グル麻原は、私に大声で、「ティローパ、なんでこんな道を通るんだ」と怒りだし、後ろから追いついてきたプンナ正悟師(大内利裕)にも同じようなことを聞いていました。プンナ正悟師は曖昧に笑いながら「ええ」とうなずいていました。
そのうち道ばたに大きな穴のあいているところにさしかかり、誰かが「こんな穴なかったですよ」と言いました。グル麻原が、「プンナ、穴は来たときあった穴か」と聞くと、プンナ正悟師は「この穴はなんか見たような気がしますけどね」などと答えていました。そして、前を歩いていた私のところにプンナ正悟師が来て、小声で「この道は来たときと同じ道だ。あの穴は来たときにあったのを覚えている。来るときは尊師はラバに乗っておられたから、歩いてないからわからないのと違うかな」と言いました。
私はそれを聞いて、「そうや、きっとそうや、さすがプンナ正悟師、そのことを尊師に言ってくださいよ」と頼みました。しかし、プンナ正悟師は「いやいや、恐ろしくてそんなこと言えない」と言って先へ歩いて行ってしまいました。
「グルが違うと言えば」
その後もグル麻原は大声で「お前は道が違うことがわからないのか、このバカ者が」とか「グルにこんな道を歩かせていいと思っているのか」などと怒鳴られるので、私は思い切って、「この道を歩いたご記憶がないとおっしゃるのは、来たときはラバに乗っていらしたからではないですか」と大声で言ってみました。するとグル麻原は一瞬「うっ」と考える様子を見せ、その後「いいや違うよ」と言いましたが、その声は以前とはうって変わって弱々しいものになっていました。またこの一言の後は、あまり私を責めるようなことはなくなりました。
そして、ようやくバスが待っているふもとに近づいてきました。グル麻原の到着が遅いので様子を見にマイトレーヤ正大師(上祐史浩)がやってきて、グルのそばまで行き、話をしていましたが、そのうちにまた下へ歩き出し、私を追い越して行きざまに、「ブータン人がなんと言おうと、グルが違うといえば、この道は来た道と違うのだ」と聞こえよがしにつぶやいて行ってしまいました。
私はそれを聞いて、「さすが男でただ一人の正大師、模範解答やな。しかし、怒られている私の身にもなってほしいな」と思いました。
翌日、グル麻原と会ったとき、もう機嫌は直っていましたが、「ティローパ、道はやっぱり二本あるんだよ」と言っていました。ブータン人の誰に聞いても道は一本と言っていましたが、オウムでは、道は二本あったということになっています。』(『私にとってオウムとは何だったのか』から要約)
盲目であること
普通に目が見える私たちは忘れがちですが、盲目の教祖は目の前の現実が見えず、まわりにいる弟子に確認する以外に「現実」を知るすべはありませんでした。
このエピソードでも麻原教祖は弟子に確認しています。私は村井さん(マンジュシュリー正悟師)が教祖に嘘を言ったとは思いません。不思議なことですが、しばらくすると電線の位置も違うように見えているのですから、絶対であると信じているグルの言うことが村井さんにとっては「現実」になってしまうのだと思います。
そして、同じ道だとわかっていても曖昧にした弟子や、「これは同じ道だ」とはっきり言った弟子もいました。興味深いのは、このとき教祖にはっきり言った弟子がウルヴェーラ・カッサパ師一人だったということです。彼は初期の頃から麻原教祖と一緒に宗教的な音楽を作っていた弟子で、村井さんのように論理(教義)ではなく、修行によって感覚を磨いてきた弟子といえるかもしれません。
このとき私もこの場にいました。教祖に同行するときは写真を撮ることだけを考えていて、周囲のことはあまり注意していませんから、道について聞かれたときも「さあ、どうでしょう、わかりません」と答えたように思います。教祖は立ち止まってみんなに確認していたので、「そんなことにいちいちこだわっていないで、先を急げばいいのに…」と思ったことをよく覚えています。
ブータンの山奥の道が一本でも二本でもどちらでもいいような話なのですが、こんなふうに盲目のグルと取り巻く弟子たちによって「オウムの現実」がつくられていった様子は、オウム事件に至る過程を考えるうえで見逃せないことだと思います。
「トラックで突っ込んでやろうか」
もうひとつ、上祐史浩氏の著書にもグルと弟子の関係を考えるうえで興味深いエピソードが書かれています。
ここで注目されるのは、上祐氏が思わず「それはダメですよ!」と叫んだ後の教祖の反応です。
「それを聞いた麻原は、不思議な反応を示した。数秒、呆然とした表情をしたあと、そうだ、そうだ。お前の言うとおりだと嬉しそうに言った」
というところです。これは弟子(上祐氏)に強く否定されたことによって、思わずわれに返ったということではないでしょうか。そして、怒鳴って止めてくれた上祐氏に感謝していると他の高弟に嬉しそうに伝えているのです。上祐氏も「グルが弟子に感謝するというのは異例のことだ」と書いています。
特殊な意識状態
この場面からうかがい知ることができるのは、教祖はわれを失ったような特殊な意識状態に入っていて、弟子がグルの言葉を強く否定したことで、正気に戻れたことを教祖自身が感謝しているということです。これと似たことは早川氏のエピソードにもありました。早川氏が思い切って教祖に「ラバに乗っていたからわからないのではないですか」と指摘したところです。
上祐氏の場合は、思わず「ダメですよ!」と叫んだことによって、「トラックで突っ込んでやろうか」という教祖の怒りはおさまっていますが、ブータンの早川氏の場合は、教祖の勘違いを「馬に乗っていたから」と指摘しても、まわりにいる弟子が肯定したために現実認識は結局修正されませんでした。
このようなエピソードはささいなことかもしれません。しかし、この数年後、どのような「オウムの現実」ができあがっていったのか、私たちはだれよりもよく知っているはずです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?