富士へ⑧柱
前回の記事の最後に「修験道や富士講とオウム真理教に直接のつながりはないものの、修行法や宗教観にはたくさんの共通項があるようだ。そこには、富士山がもつ宗教性が関係しているのかもしれない」と書いた。
では、富士山の宗教性とはどういうものだろう。
『イメージシンボル事典』の「山」の項目には、次のようなことが書かれている。
・天と地が触れあう場所としての世界軸。
・「生命の木」the Tree of Life として。
・天へ登るはしご。
・大宇宙の脊柱。
・啓示の下る場所。
山が天と地が触れあう場所としての世界軸の象徴であるなら、日本で最も高く美しい独立峰である富士山は、日本の中心軸、まさに柱というにふさわしい山だ。現代でも、富士山に登頂する多くの人が山頂でご来光を見ようとするのは、その瞬間、太陽と富士山という二重の意味での「中心」に触れようとしているのかもしれない。
富士山麓には、修験道(山岳宗教)、富士講の他にもさまざまな新宗教が集まっている。宗教学者島田裕巳さんの『日本人はなぜ富士山を求めるのか』によれば、宮沢賢治が傾倒した田中智学の「国柱会」、日蓮正宗の総本山大石寺と密接な関係があった「創価学会」(のちに関係は断絶)、「扶桑教」「法の華三法行」「オウム真理教」などがある。また、オウムが破滅したあと、「白光真宏会」が富士宮市人穴に教団本部を移している。
これらの宗教は共通項があるように思われないが、象徴的に見ると少し似たイメージが浮かんでくる。それは「柱」だ。
富士講の流れをくむ「扶桑教」には、開祖・角行が「角材の上に千日間爪立ちした」というエピソードがあり、この角材は柱と見ることができる。国柱会、日蓮正宗、創価学会は、どれも日蓮と『法華経』を強く信仰しているという共通項がある。日蓮といえば「我日本の柱とならむ」(『開目抄』)という強い信仰決意をあらわす言葉がよく知られている。「白光真宏会」は街でよく見かける「世界人類が平和でありますように」と書かれた柱(ピースポール)を、世界中に建てる活動をしている教団だ。
オウム真理教は、尾てい骨に眠るクンダリニーというエネルギーを覚醒させ、背骨に沿って頭頂まで気を上昇させるヨーガ技法が特徴だった。このクンダリニー・ヨーガを達成するとき、実際に気の柱が立つ感覚がある。あるいは、オウム真理教の幹部だった上祐史浩さん(現ひかりの輪代表)は、宗教的意識の変化の中で、重要なシンボルとして「柱」を体験したことを書いている。
もちろん、富士山に関係する宗教団体すべてに「柱」のイメージがあるわけではない。実際「法の華三法行」について、インターネットでざっと調べたがそんなイメージは見つからなかった。
富士山を「柱」というイメージで見るとき、天と地をつなぐ、あるいは異次元世界につながる通路であるといえるだろう。実際、富士講では、富士山頂は兜率天に通じているとされている。兜率天とは、仏教の世界観で未来仏である弥勒菩薩(マイトレーヤ)が説法をしている天界である。江戸時代に爆発的な広がりを見せた富士講信者にとって、富士山は弥勒菩薩の浄土に通じる道だったのだ。
富士山という山――特に山頂付近が白く冠雪した富士山は、人の心に汚れなき高い世界を思い起こさせるのだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?