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トム・ヴァーレイン 千羽の青い鳥

今度はトム・ヴァーレインか。

テレビジョンといえば、若い頃、お兄さんたちの聞いていたヤバいバンド、というイメージだった。マーキー・ムーンに入っていた”Friction”のイントロのギターリフはみんな練習したんじゃないだろうか。聞いたことがないような画期的ギターリフばかり。U2のエッジがインタビューで「僕がヴァーレインから影響を受けたのは、彼のスタイルというよりも、他の誰もやったことのないことをやったという事実に対してだと思う。」そういうことなんだろうと思う。唯一家にあったこのアルバムのどの曲もリフがかっこいい。どの曲も似ていない。だいたいギタリストというのはスタイルがワンパターンになりがちなのに。

このアルバムのジャケットもそうだが、長身で、ハンサムで、何より髪の毛が直毛でサラサラしてそうでかっこいい。だって彼女がパティ・スミスだぜ。憧れちゃう。

ニューヨークタイムズの記事が面白かったので、少し引用。

・「ヴァーレインは、彼の周りの人々が武器としてギターを振り回している間、ギターを弾くことに固執した」とクリスティン・マッケナ(アメリカの批評家、ジャーナリスト)は1981年にローリングストーンに書いた。

・1974年に雑誌「ロックシーン」でテレビジョンをレビューしたパティ・スミスは、トム・ヴァーレインが「千羽の青い鳥が叫んでいるようにギターを弾く」と書いた。彼女はまた、彼が「ロックンロール史上最も美しい首を持っている」と評した。

パティスミスと。映画のワンシーンみたいだ。

・トム・ヴァーレインは幼少期、デラウェア州の寄宿学校に通い、そこでクラシック音楽を学び、サックスを演奏した。ヤードバーズやローリングストーンズのようなロックバンドや、アルバート・アイラーやジョン・コルトレーンのようなフリージャズミュージシャンにも同様に影響を受けた。その頃、彼は同級生のリチャード・マイヤーズ(後にリチャード・ヘルとして知られる)と一緒に学校を逃げた。「私たちの計画は生活しやすいフロリダに行って、詩人になることだった。」とヘル氏は言う。しかしアラバマ州でキャンプし畑に火をつけて逮捕され、家に帰されたそうだ。

・リチャード・ヘルはすぐにニューヨークに行き、高校を卒業した後、トム・ヴァーレインが合流。彼らは一緒に詩を書いて出版した。本名はトーマス・ミラーだったが、19世紀のフランスの詩人ポール・ヴェルレーヌに敬意を表して、トム・ヴェルレーヌ(英語読みでヴァーレイン)と改名。

リチャード・ヘル(左)と。トムの髪の毛が長い。

・1972年、ニューヨーク・ドールズに触発され、彼らはネオン・ボーイズというバンドを始めた。トム・ヴァーレインは自分のためにエレクトリックフェンダー・ジャズマスターを購入し、リチャード・ヘルのために50ドルのベースを調達。彼らの友達のビリー・フィッカがドラムに参加した。

・1973年、彼らはギタリストのリチャード・ロイドを追加しバンド名をテレビジョンと改名。彼らはテレビという媒体に嫌悪感があり、その代替案を提示するという目論見で名前を選んだ。トム・ヴァーレインはまた自分のイニシャルT.V.との符号も気に入っていた。

若い頃のリチャード・ヘルとの話などはドラマみたいだ。

使用ギターは、

Fender Jazzmaster Electric Guitar
Fender Jaguar
Fender Stratocaster Electric Guitar
Danelectro 59 DC Electric Guitar
Gibson Les Paul Goldtop
Ampeg Dan Armstrong Plexi Electric Guitar

こちらがFender Jaguar
こちらがJazzmaster


Danelectro'64 or '65

このダンエレクトロは、師匠の店の在庫品です。近々お店のラインアップに加える予定なので、興味ある方はチェックしてください!

最後にパティ・スミスのインスタ。泣けます。R.I.P.


追補
elekingの野田努さんの追悼文によれば、トム・ヴァーレインはディストーションを使わずにあの音を出していた、と。良い話を聞いた。ちなみに野田さんとは同郷で、冒頭の「お兄さんたち」の筆頭である。心のこもったすばらしい追悼文。

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