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自分の突き抜ける「らしさ」をようやっと
自分らしさってなんだろう。
自分の強みってなんだろう。
1番になれるものってなんだろう。
誰もがきっと一度は通る自己問答を、もう何年も繰り返してきたような気がします。
やっと、見えてきた。
ってもう言ってもいいかな。もう言ってもいいよね。
私は自分のことがあまり好きではなくて、自分で自分の強みを見つけることは至難の業で。
自分よりすごい人なんていくらでもいるし、自分が突き抜けられるものって何だろうと思っても答えはいっこうに見つけられなくて。
とっても恵まれて生きてきたし、もうこれ以上の幸せはいらないって思う人生なんです。
スポーツ以外は割と何でも上手くできてきたと思います。
でも、だからこそなのか、1番がなかった。
とくに1番を求めていたわけではないのだけれど、やはり人間、羨望の眼差しはあるもので。
友人を見れば、ヴァイオリンで全国コンテスト5位の成績をおさめている子、ボルダリングで世界大会3位入賞している子と、本当に自慢の才能に溢れた子がたくさんいて。
素敵だな、「あなたといえばこれ!」があるのいいなって思ってました。
能力スキル的な意味でも、人柄的な意味でも、あなたのイメージこれだ!って。
それを誕生日や節目のタイミングでプレゼントにしてもらえるような、そういう「らしさ」がないような気がして。
もちろん、「らしさ」って、人を縛り付けてしまう縄になってしまうかもしれない。
他人から「らしさ」をもし押し付けられたら、苦しいものになる。
でも、自分で認識するらしさはきっと必要で、自分の大切な個性で。
ずーっと探してたんですおそらく。
そうして「癒し」にやっと辿り着けた。
やっとなのか、もうなのか。
言語化すればするほど、「癒し」が自分らしさなんだって、気づくようになりました。
一度、教授に私は司書さんとか保母さんが似合うよねって言われたことがあって。
そのときは内心、いやバリキャリなれるし、とか思ってました笑
私に仕事をバリバリする側面があるのは事実ではあると思いますきっと。でも本質ではなかったんです。
教授やっぱり見抜いてたんだなあ笑
どれだけ理不尽なことを言われても、今でもとっても尊敬している方です。
教授の話は一旦おいておくにしろ、私は人に「落ち着く」「優しい」という印象をどうやら与えるらしくて。
なんかちょっと恥ずかしいような気もしてなかなか納得できなかったけど、でも100人に言われ続けたらもう本物だなって思えて。昨日も大切な友人2人に電話で言われました笑
一緒にいると落ち着く、話すと癒される、と言っていただけることが多かったしとっても嬉しかったんです。
そう言われるのが嫌じゃなかったのも、多分きっとそれが私の性質だったからで。
自分の好きにも目をやると、それこそ癒しでした。
お料理が好きなのは、みんなの美味しい!という笑顔を見られるからだし、温泉が好きなのも、和が好きなのも、ほっこりゆったり息をつく時間が好きだから。
日常の何気ない温かな時間が大好きで大切にしています。
読書やオーケストラが好きなのも多分きっとどこかで繋がっている。
ここまできたら、「癒し」が自分らしさとしか言いようがないですよね。
言っていいですよね。
もしかしたら、好きでも得意とはいえないかも、、、ってなるかもしれないけれど、得意は作れるから。
これが自分だって言ってたら、今は自信がなくてもいつかは本当になっている。
らしさを意識して、「前向きに生きる人に癒しと輝きを届ける」を自己理念にしたわけではないんです。
でも、癒しがらしさなんだって昨日気づけました。
私の突き抜ける部分なんだって。
ここに気づけた私はきっと1センチ進んでる。