純ジャパが早稲田国教に合格して学部上位10%になれた理由。
昨日は成人の日。
晴れ姿の子たちを寒空のもと見つける日。
自分ももう20歳かと、改めて実感するとともに、もう、その時期かと。
成人の日が終わると迎えるのが全国共通テスト。
受験シーズンがはじまります。
もう、2年前になってしまったのですね。
2023年の冬、私は受験生でした。
第一志望は早稲田大学国際教養学部。
いわずとしれた、国際系学部のトップクラスです。
数多くの留学生や帰国子女の受け入れ先ともなっているこの学部は、求める英語力が高く、純ジャパ(海外経験をしたことがない日本人)には高いハードルが突きつけられます。
地方出身、国公立高校の普通科に通い、旅行も含め海外経験はゼロ。
1度も日本から外へ出たことがなく、家族も誰一人として英語が話せない、そんな正真正銘の純ジャパだった私。
普通に考えれば、帰国子女の子たちや、留学経験のある子たち、インターナショナルスクールや国際科のある高校へ通っていた子たちに、試験で勝つことは、至難の業です。
いまでも、どうして早稲田国教に合格することができたのだろうと夢をみているような気分になることがあります。
それに、大学1年生の前期と後期どちらも、学部上位10%の成績優秀者に選出していただきました(2年生の前期は学業以外に専念しすぎて成績がすこし落ちましたが💦笑)
留学生が30%、帰国子女が40%を占める学部で、授業や課題もすべて英語の学部でですよ???
自分で言ってしまうのは傲慢かもしれないですが、これくらいは自慢させてくださいね笑
純ジャパなのに、荒波にもまれながら優秀な成績残してるの、すごくないですか???笑
純ジャパの私が早稲田国教に合格して成績上位10%に入れた理由。
振り返ってみると、次の3つだったんじゃないかなって。
1、あたりまえを徹底すること
ご飯をきちんと食べる
夜にちゃんと寝る
勉強場所や塾の自習室を綺麗に保つ
授業はきちんと聞く
疑問はすぐに解消する
時間を守る
支えてくれている親や先生へ「有難う」を伝える
とかとか。
身近にあたりまえなことってたくさんあって、そこを疎かにしてしまった瞬間にうまくいかなくなる感覚がやっぱりあるんです。
食事や睡眠など生活習慣は受験だからといって変えずに、普段のリズムを維持していました。
朝7時に起きて朝ご飯を食べて学校へ行って、お昼ご飯を食べて、16時に学校が終わると塾へ行って、20時にはお家へ帰って家族と夜ご飯を食べ、24時には就寝する。
このリズムは崩れることがありませんでした。
勉強場所や普段過ごす場所を綺麗にするもそうです。
汚ければ、集中力が散漫するはよく言われることだとは思うのですけれど、それだけにとどまらなくて。
私は、自宅で勉強が一切できなかったので(笑)、学校の図書室や塾の自習室で勉強していたのですが、そこはみんなが使う公共の場です。
そこに消しかすを残して帰る、鉛筆の跡を残して帰る、自分の持ち物を置いていく、とか一切しないようにしていました。
それに、もし床が汚れていたら掃き掃除を定期的にしていました。
人としてあたりまえのことです。
でも、これができている人は意外と多くありません。
授業を聞くことも大切。
ついつい内職しちゃいますよね。つまらないなあっていう授業とかだったらなおさらね。
でも、授業って意外と大切です。授業でなんのきなしに聞いてたことが意外と試験に出たり、授業を聞くことが復習になったり、授業で息抜きしたり。
目の前にいる先生に対して、敬意を持つというその小さな当たり前も、大切で。
こうしたほんとに細かくて日常に溶け込んでいるあたりまえを徹底するって、想像以上にパワーがあります。
受験という面だけではなくて、社会で活躍されている方はこのあたりまえが徹底できている方なんだと、ふと意識をし始めると気づくと思います。
大谷選手とかとっても素敵な例ですよね。
このあたりまえの徹底って、こころのゆとりを生むことであり、陰徳を積んでいるということだと思います。
あたりまえって、無意識のうちに体に刷り込まれているので、守っていないときっておそらくどこか罪悪感があって。
あ、今日もご飯食べられなかった、とか、勉強してて時間守れなかった、とか。
だいたい守れていないときって、なにかに焦っていたり切羽詰まっていたりするときで。もしくはだらけてしまっているとき。
でも逆に、今日は生活リズムいい感じ!とか、掃除できた!感謝伝えられた!っていう感覚ってポジティブな循環を生みだします。
それが無意識にできていたから、受験のときしんどくならなかったような気がします。
2、将来像と学ぶ理由を言語化すること
私は、これができていた自負があります。
いまは変わってしまったけれど、元々国際協力に携わりたくて、UNICEFとかUNHCRとか国連職員をめざしていました。
だから、英語で議論や交渉できる力を養いたかった。
解決したい社会課題は複雑で、単一の分野を学んでいれば解決できるというわけではなく、学際的な知識・視点を習得したかったんです。
それで授業が英語でかつリベラルアーツの今の学部を第一志望に決めました。
これが、私が受験をしていた理由なので、勉強の仕方も将来像に合わせに行きました。もちろん、学部が求める人物像とも照らし合わせたうえでですが、その人物像と将来像がほぼ重なっていたので、学びやすかったなと改めて感じます。
たとえば、英語力を高めるなら、単語の勉強や英文読解に時間をかけるかもしれませんよね。
でも、高い教養、学際的な視点を養いたかった私は、新聞と本を読む時間をたくさんつくりました。
日本語に時間を使ったんです。
もっというと、日本語で知識と思考力をつけることに時間を使いました。
毎朝学校で新聞を4紙読み比べして、本も1週間に2,3冊のペースで読んでいました。
もちろん、英語の時間は人一倍とっています。
でも、純ジャパとして、普通なら英語の勉強に充てるはずの時間を、私は惜しむことなく新聞の読み比べと読書に充てました。
普通の受験生じゃないですよね笑
でも結果、読書で得た教養が、英文を読むときや英作文をするときに役に立ちました。文章内容や背景が理解できる、引き出しが増えることで結果問題が解きやすくなりました。大学生になった今も、あの時の自分によく感謝しています。
将来像と学部をめざす理由が明確で、必要な能力も見当がついていました。
だから学ぶうえで目的がぶれなかったんです。
すべて、自分でこれはこういう意味があるんだと納得したうえで学んでいたので、飽きることも力尽きることもありませんでした。
ただただ楽しかったんです。
そりゃ強いですよね笑
持つ将来像はぜんぜん具体的でなくてきっと大丈夫です。
お金持ちなりたいとかでもいい。お医者さんになりたいとかでもいいと思います。
きっと何か理由があって、その大学学部やほかの夢をめざしているはずです。
それを、いつ聞かれても私はこういう将来がいいから、受験するんですと言えるようにしておけば、学びが楽しくなるんじゃないかなあって。
「勉強しなきゃ」「これしなきゃ」ってつらくなってしまいませんか。
私はお勉強があまり好きではありませんでした。
でも学ぶことは大好きでした。
「これをしたら、きっと自分はこの状態になれるから、やりたい✨」
と思えることを、思える方法で。
信念のように貫いていたから楽しかったんだなあと振り返って感じます。
3、自分と自分の努力を信じること
私今でもこれめちゃくちゃ苦手なんです。
つい最近も反省して、自分で自分に〇をつけること、意識しようって思いました。
でも受験のとき、意外とできていたんじゃないかなって思って。
めざしている峠を見れば、まだまだ道のりは遠くてたどり着かないような気がします。
もしくは、ずっと頂上付近でぐるぐるしていることもあるかもしれません。
でも、たどってきた道を振り返れば、自分が歩いた距離、努力と成長を実感できると思うんです。
個人的な話になるんですけれど、私は学業は得意な方で、定期テストの平均点はつねに90点以上でした。
共通テスト模試も早々と90点台にのりました。
たしか高校2年生で英語と世界史は90点以上があたりまえの状態になりました。
でもこれってつまりどういうことかというと、高校3年生の1年間、共通テストだけで見ると、大きな伸びを実感できないんですよね。
100点を取るか、99点になるかの微調整だけになって、「伸びた!」感覚が一切なくなるんです。
これ点数取れる方、もともとの偏差値が高い方って、共感できる悩みじゃないでしょうか。
めざしているところは高いから、そこにめざして勉強する。
でも模試など数値化される機会で伸びがほとんど見受けられない。
ほんとは素晴らしくいい点数なはずなのに、「100点取れなかった、、、」って自分に✖をつけちゃうんです。
正直、わたしはこの壁がありました。
共通テストにおいて、つねに100点を取るか取らないかの戦いで、100点を取るしか自己肯定感があがらなかったんです。
でも、そういうときは過去を振り返りました。
高校入学前に受けた入塾テスト(共通テスト模試)は英語60点しか取れてなかったじゃん。
80分で解ききれてなかったじゃん自分。
でもさ、いま余裕で40分で解き終わってるじゃん。たまに100点取れるようになってるじゃんって。
英語のライティングも、300 words書くのに2時間以上かけていたのに、いま30分で書きあげられるようになってきてるじゃん。
と自分がたどった道を振り返りました。
机の上に積みあがったテキスト、プリントの量。
これまでに解いた過去問の量。
模試の成績表。
ペンだこのできた手。
鉛筆でまっくろになった手の側面。
座り続けて、立った時にうううとなる腰や肩。
自分の努力を示してくれるものは、周りにたくさん溢れていました。
努力の軌跡は消えることのないもので。
自分はこれだけやり切ったんだって、きちんと自分の努力を信じてあげられたから、本番、すがすがしく問題を解けたような気がしています。
1人、にやにやしながら問題を解いていたのは内緒です笑
そして、合格する自分を信じていました。
その姿をきちんと想像していました。
合格祈願の絵馬に「合格します」と。
神頼みではなくて宣言をして言い切ることで、自分を信じていました。
それと「早稲田大学国際教養学部に合格しました!ありがとうございます!」と大きく書いたメモと早稲田の写真を自室の勉強机の上に飾っていました。
合格する自分を信じられるように、想像できるように、していました。
だから、きっと合格しました。
神様は見てくれていました。
以上3つが、きっと重要な要素だったんじゃないかなと思います。
今の自分が、逆にできていないんじゃないかっていうものもあって、書きながらはっとさせられていたんですけれど笑。
でも大学受験だけでなくて、人生においても通じる大切なことだなと、今改めて確信を持てるからこそ、きっとほんとに重要な要素だったんだと思います。
でもこの3つを守りなさいとか、そういう意味のnoteでは決してなくて。
今回の記事はある意味自分自身への手紙です。
そして、自分自身に💮をつけるための記録です。
そのうえで、純ジャパで、圧倒的な不利な状況でも、花を咲かせた人がいるんだと、その事実が誰かにとっての勇気になっていたらとてもうれしいです。
もし、いま早稲田国際教養をめざしていて同じような境遇の子がいたら。
もし、自分の苦手やできないことを見てしまって自信を無くしている子がいたら。
もし、不安とプレッシャーに押しつぶされそうな子がいたら。
もし、何かをあきらめてしまいそうな人がいたら。
このnoteがどうか届いていてほしい。
純ジャパでも早稲田国際教養学部で成績優秀者に選ばれてる人がいます。
あきらかに不利な状況で、第一志望校の合格をつかみとった人がいます。
きっと、あなたも大丈夫です。
ここに先輩がいるので。
あなたも、きっと次の世代にとっての先輩になります。
諦めなくてもいいはずです。
ほんとにめざしているものがあるのなら、全力でぶつかって、全力で楽しんでほしいです。
どうしても、エールを送りたくて。
だれかの勇気になりたくて。
受験、楽しかった!!と。
どうかその笑顔がたくさん咲きますように。