20代でニューヨークに移り住み、学生をしながら雑誌社のお仕事をして生計を立てる。ニューヨークでの学生生活を終えて東京へ。 結婚、離婚、転職のジェットコースターライフと迷いの年月を過ごし、百貨店の研究所に就職。仕事の楽しさに目覚めて一生ここにいたい!と、ようやく落ち着ける場所を見つけたかと思いきや、あえなく解散。涙涙涙。 必死の就職活動を経て転職した会社では国内、海外の出張の日々で、病気になるわ、役員になるわで大忙し。 目一杯働くも人間不信、自分不信、先が見えなくなって退
当初ダラムサラへは鉄道で移動をする予定で、チケットも購入済みでしたが、サファリの宿泊先の支配人とお喋りしていて、なぜ飛行機で行かないのかを聞かれ、そこで初めてダラムサラに飛行機が飛んでることを知り、聞けばものすごく時間短縮になる。ものすごく。 鉄道を利用すると、到着駅からダラムサラの中心地まではバスで結構な時間がかかることや、バスの本数が少なく、その日にダラムサラに行けないかもしれない、とのこと。支配人は飛行機で行った方が良い、と断言。宿泊先が未定であることも話すと、支配人
ランタンボール国立公園のサファリ当日。早朝のロビーでコーヒー飲みながら待っていると来ました。迎えに来たのは6人乗りのオープンジープ。ドライバーさんの他にガイドさんもいます。 迎えに来てくれたガイドさんがホテルスタッフから渡されたコーヒーを手に取り出発です。 インドの予定を立てる時、サファリに行くことが目的なので、行けるの当たり前と思っていたけど、現地に到着してホテルの人に滞在中の予定を聞かれ、サファリに行くことを伝えると、予約はしているのか?との質問。「?」そうですよね。
インドのサファリ。私が行ったのはラジャスターン地方にあるランタンボール国立公園。行き方はいくつかあるようですが、私はデリーのホテルから車で移動。デリーから国立公園のあるサワイマドプールまで約8時間の旅。 これが良かったですね。変わっていく景色を堪能できて、長い時間も道中飽きることがなく楽しめた。 朝早い出発だったので、ホテルが朝食を用意して持たせてくれました。バナナ、サンドイッチ、ヨーグルトといくつかのペストリー。ドライバーさんの分まであるのでたっぷりとあります。めちゃく
そんなわけで3本立てで行くことを決めたインド。ワクワクルンルンしながら決めたけれど、決めてからが結構大変だった。 まずは情報収集から。初めて購入しました「地球の歩き方・インド」。 全く未知な土地、知らない土地を地図と情報だけをもとに進めるのは、ほんとイマジネーションでしかないね、を実感。例えばアメリカ。結構な渡航歴と、わずかながらも住んでいたことがあるせいで、アメリカ国内の初めての場所へ行く場合、なんとなく想像がつく。不安がない。勝手が分かる、というか。行ったことのない国
15年間務めた会社を辞めて、頭に浮かんだのは、のんびりしたい、解放したい、大地に身を晒したい、自然の中にいたい!野生の動物が見たい!サファリだ!!と思い浮かぶのはアフリカ。漠然とアフリカ。広くないか?アフリカにひとりで行く?いやー無理でしょ。想像がつかない。行くの大変なのかなあ?あんな広大な所にひとりで?やっぱり想像がつかない。 ネットでサファリを検索したらインドが上位にヒットした。インド?インドにサファリあるの?インドにサファリのイメージないですけど。私のインドのイメージ
海外出張というのは年間を通してだいたい同じ国、同じ場所へ行くことがほとんどと思うけど、たまにイレギュラーで、初めて行きます、そこの国。というのもありますね。 仕事なので目的地から目的地の移動で終始して、1日は結構クールに終わる。あたり前だけど観光することもないよね。けれどドイツのバーデンバーデンは、すっかり仕事を忘れてしまった所なのです。ワクワクして気分は観光客でしたね。 バーデンバーデンへは、フランクフルトから鉄道に乗り、名古屋と東京間ぐらいね、と思ったから、乗車時間は
キャサリンがテキサス州に帰った後に入居してきたルームメイトは、アメリカで生まれ育った韓国人姉妹。二人とも学生で、ニュージャージー州だったかな?に実家があったので、いつもそのアパートに居るわけでなくて、いたりいなかったりと気ままな出入り。 たまにモデルをしていたケイは、いつも笑顔でポジティブ全開の健康的な女性。妹のジーエーは姉のケイとは真逆のタイプで、無口で気難しく、一緒にご飯を食べに外へ出よう、といっても家がいい、というような子だったな。外向的な姉に、内向的な妹。アパートに
ルームシェアした70歳代のキャサリンはアルコール依存症でした。 ニューヨーク大学の学生掲示板で見つけた彼女のアパートは、家賃が当時(1980年代後半)の日本円で8万円。当然半分の家賃だと思っているから15万円ぐらいのアパートならそこそこ広いだろうと想像して決めたけれど、面接にそのアパートへ行ったら、まあ古い。足を踏み入れたら狭い、暗い、あまり綺麗じゃない。入ってすぐにキッチンがあり(狭い)、その先に12畳ほどのリビング(兼彼女のベッドルーム!)そして6畳もない狭い部屋が私の
入寮してすぐに買いに走ったのは寝具類。学生証を提示すれば安く買えると聞いた店で、ひと通り揃え、支払い時に学生証を提示すると、だいたいいつも店員が「ほー」と、感嘆の声を上げ、まるで水戸黄門の紋所。コロンビア大学の学生証がパンチあることを時々感じることがありましたね。生活に必要なものは学生証のおかげで安く購入することができましたよ。 クラス分けの試験があることも知らず、また着席しているのにこれがクラス分けの試験だとわからない私。(説明会だと思っていた)当然結果は低いクラス。上の
わずか2年間の生活にいつもあったのがアートとナイトライフ。大学の寮を出てから住んでいたダウンタウンは街ごとアートのような趣で、アートが溢れていたよね。アパートやビルの壁にはペインティング。歩道にもペインティングを見ることができたし、様々なものがデフォルメされたりコラージュされたりして目にするもの全てがアーティ。生活の中に自然とアートがあった。 当時ソーホーはアートギャラリーが多くて、展示内容もよく変わるから飽きることがなかったし、空間を利用したユニークで難解なアートも多くて
ニューヨークでは大学の寮に入ることにしていたので、友人宅に1週間ほどお世話になり、入居手続きのためコロンビア大学へ。結構なアップタウンに位置するので、当時(1980年代)はコロンビア大学を境にしてそれより上へは行かないほうがよろしいと、言われてましたね。 手続きをするために友人が紹介をしてくれた、英語が話せる日本人の方に連れ添っていただいたのですが、私が寮に入ることになっている、とはなっていなかったのでびっくり仰天。 呆然としました。どうしよう、と思って。でも、いやいや、
ニューヨークに着いた日のことは一生忘れることはないです。今でもその時の情景は頭の中。 初めての海外で、迎えに来るはずの友人は、空港で4時間近く待ったけれど来ない。その友人宅に宿泊する予定だからホテルの予約をしていない。「どうしよう。とりあえずニューヨーク、マンハッタンに行かねば」と思い、タクシーに乗るも英語は全く話せない。理解できない。もちろん相手の言ってることなど100%分からない。持参した英会話の本を取り出して、必死でホテルの予約ページを探して、話せないからページを指差
友人がカメラマンのアシスタントになるために、ひょいとニューヨークへ行った。私はそれまで外国に行くことや外国のことなど考えたこともなかったのに、友人が行った先がニューヨークというだけで、ニューヨークをものすごく身近に感じると同時に「そんな簡単に行けるんだ、じゃあ私も行きたい」と思うのでした。 「行きたい」と思ったけれど、何をしに行くの? 考えて語学留学をすることに。 当時は雑誌社で仕事をしていたせいで、なんかしらん交友関係が広く、いろいろと周りに聞いてみると、コロンビア大