託すという欺瞞
個体差はあるものの、人間である限りはいつかは死ぬ。納得感の有無に関わらず、避けられない事実として。
リテール営業は人の死と向かい合わされることとセットです。こと日本においてはご高齢の方が資産を多く抱えていますから、金融資産運用であっても不動産ビジネスであっても、生命保険はまさにそれ自体がビジネスのキモになるわけですが、相続を無視しては大きな話が進んでいきません。
故に、まずは資産承継の筋道を立て、そうすると余裕資金がある程度わかりますから、それを元にどの程度リスクを負って運用するか?あるいは潜在負債たる相続税を調節することにリソースを割くか?など、組み立てをしていくわけです。
資産承継は、託す側の意思はもちろんですが、受け継ぐ側の意思を尊重せずに上手くいくことはありません。親子で考え方が違う時に「親は親、自分は自分」と割り切れる人ならば良いですが、割り切れなかった時に、呪いのように相続人を縛り付けてしまうこともしばしばあります。
・・・お話したいのはそういうことではなくて。
資産承継の話はまた今度お話しするとして。
金融関係、とりわけ銀行員の異動は多く、また役職定年による退職も早い為、出会いと別れが頻繁に起こります。
(※異動に関しては金融庁との約束に基づくものですが、最近は撤廃というか緩和されて長くなっています。)
私も異動・退職される先輩や同僚から、こんなことを言われたものです。
「これからはお前の時代だ!!後は頼んだぞ」
「この銀行変えてください!!」
「この店に革命起こして下さい!!」
「君はさ。偉くなってよ…」
お世話になった先輩や同僚から、後を託された。また辞められなくなっちまったな…頑張らないと…恩に報いる為に!
というのが教科書的な内面的反応だと思いますが、申し訳ないのですけど、私は全くそういうことを思いませんでした。
(最後の「偉くなってよ」だけ性質が違いますので、それだけは心にしみました)
勿論、教科書的に「任せてください!」と言って握手したり抱き合ったりはしますよ。
ただ、また託されちまった…とツイートすることは無く、そういうツイートに共感も無い、というだけの話です。かといって、そのように受け止められる方も、それで良いと思います。
私は、そう言われるとものすごく違和感を感じて、疑問符が頭の中の結構な割合を占めるのです。
問題意識を持っていたなら、なぜ解決に取り組まなかったのですか???
自分はリスクを冒さなかったのに、他人にはリスクを冒せと言う、その心は???
興を醒ましてしまいまして、真に申し訳ございません。
ですが。ですがですよ。単純に疑問が湧きませんか?何故そんなことを言うのか。何故自分でやろうとしなかったのか。あなた方の希望する通りの変革を起こそうとした時に、何故あなたは動かなかったのか。
キャリアの最後になると良心が目覚めて何か言おうという気になるんでしょうか?
周りを抑えつけていたことに罪悪感を感じるのでしょうか?
良い人な感じで終わりたいのでしょうか?
私に言わせてもらえば「今さらやめてくれよ」です。ほぼ全てのケースで、こちらが現状の問題意識を感じて良くなるように働きかけたところ、無反応だった人ばかりが、最後にそういう託す感じになります。
こういう感じですよね。
「あの時協力できなかったけど、応援してるんだよ」
いや、その時協力してくれよ。
気持ちは理解できます。だが、最後は気持ちよく「ありがとう」だけでOKです。
逆に、立派な人、真剣に良くなろうと取り組んだ人が「後は頼んだ」などと言ったことは、記憶の限りほとんどありません。自分はリスクを冒して改革に取り組んたが、部下にまでリスクを冒させるつもりはない。
私が尊敬して止まない先輩・同僚が何人かいるのですが、全員が全員そういうスタンスでした。
だからこそ、ここで終わらせてはいけない、自分が続かなければならない、そういう気持ちになったものです。
託す方も受け継ぐ方も、自分に酔いたいところかと思います。それは止めはしません。
止めはしませんが、思ってもいないのに、ファッションで託すっぽいことをすると、場合によっては受け手が真に受けて不幸になります。
良いと思ったことがあるならば、ですよ。
今あなたがリスクを取って、今やりましょうよ。
その方が残される人は皆ハッピーですよ。
「止まない雨は無い」より先に、その傘をくれよ。
・・・ちょっと違うか(ノ∀`)アチャー
一緒に雨止めようぜ。