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これまで書き続けた23万字の日記を本にしたい

こんばんは。アウフタクトのさいとうです。

今日は、本づくりの話を。


思い立って昔の日記を読み返していました。以前使っていたnoteのアカウントでちまちまとUPしていたものです。

noteではもうその記事は見えないようにしています。なんか、嫌になってさ。笑

でも、自分が書く日記は自分でおもしろいなと思っていたので、noteにUPしていた日記をwordファイルに転記しておいたんです。約一年半ほど前に。

wordファイルは全444ページ、2020年9月11日~2023年5月14日の不定期。大学4年から→社会人1,2年目→転職後の日々の話。毎日は書けてない。日付なども含めて全233,455字。こんなに書いてたんですね。びっくり。

この23万字たちを厳選して本をつくろうかなと思っています。一年かけて、来年冬に販売できるように一冊の本にする。23万字と向き合うのは一苦労ですね。どうやって本をつくるのかすらもまだわからないからもしかしたら1年でできないかもしれない。うん。


こんな日記を書いていました。

2020年12月30日 09:01
『また明日。』

この言葉が最近好きです。

友人から、「また明日って言えるのって嬉しいよね」と言われ、心があたたかくなりました。
大学4年もあと少しで終わり、来年4月からそれぞれの生活が始まる。

「また明日」と言える日も日に日に少なくなっていく。

寂しいな。

「また明日」という言葉にはまた明日会えるという楽しみと安心感があります。

今日と明日の繋がりを感じ、点として今日を生きているのではなく、線として自分の人生を生きている感覚になります。

それではまた明日。

また明日と言えなくなるその日まで。

2020年12月22日 06:25
『努力はなくならない。』

今年の大雪ぶりには驚きました。

雪をかいてもかいても降り積もる雪。せっかくどけたばかりなのに、また降ってきた、とがっくりと肩を落としてしまう。

一緒に雪をかいていた人から、
「すこしでもかいておくか、おかないかで、だいぶ違うよ。1㎝でも2㎝でも、どけておくと後で楽だよ。」と言われた。

私の中では、せっかく雪をどけたのにまた積もったら意味がないと思っていた。しかし、その人はすこしでも雪をどけておけば、また積もったとしても、楽になるになるという考えだった。

努力は消えないのだと。

努力は見えない積み重ねになるのだと、そう思った。

2021年9月12日 20:55
『秋散歩。』

雨上がり、水たまりが残る道を散歩した。
いつも歩いている道の、1本裏の道を通ってみた。

初めて出会った看板、草木、人。

私が初めて歩いた道には、また、そこに住んでいる人々の「いつも」があった。

散歩をしていて思ったのは、私が生きている世界は、
点でも線でもなく、面なんだなぁって。歩いても歩いても道が続いていて、
面の上に私たちが生きてるんだなぁとふと思った。

心がいっぱいいっぱいになっていると、私の目の前の「点」だけが世界だと思ってしまうけれど、

本当は、そうではなくて、点の視点を持ちつつも、私たちは面の上に生きている。

そんな気づきがあった。

そよ風、雨に濡れた草木の香り、鳥の鳴き声、自分の足音。

定期的に自然を感じる時間をつくることって大事ですね。


雨上がりの、秋散歩。


もっと休みたいね。



人はなぜ日記を書くのだろう、文字を残すのだろうと不思議に思い、紀貫之の「土佐日記」を最近読んでいます。

今も昔も「日記」というものが残る理由を少し知れるのではと思い。なんとなく。


こつこつ、ちまちま編集していこう。

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