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魅力は伝えられない
こんばんは。アウフタクトのさいとうです。
今日は「魅力」という言葉について。
私は2022年から高校魅力化コーディネーターという肩書で仕事をしています。今は新潟県の端っこ、糸魚川市に住んでいます。
そんな暮らしをしていると、よく耳にするのが「魅力」という言葉。
高校の魅力を伝える!
糸魚川の魅力を市外の人にも!
魅力ある町に!
など。正直、この「魅力」という言葉が苦手です。過去も今もたぶんこれからも。
大阪から糸魚川へ移住して一年が過ぎた頃、ふと「魅力って伝えられないな」と思うようになったんです。
なぜかというと、魅力だと捉えるのは情報の受け手の解釈であり、発信者が直接的に魅力を伝えられはしないという考えが私にはあるからです。
例えば、「自然豊かな街なんです」と言う事が魅力の発信になってるかというと、そうではありません。
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「自然豊かな街」と聞いて魅力的だなと思う人もいれば、そう思わない人もいる。自然の多さより交通網が発達してるとか、買い物の利便性などを優先し、それを魅力だと思う人だっている。
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発信者が、「自然豊かな街」と発信していることそのものが、魅力を伝えられていることになっていると勘違いしていないか?ということが私の疑問であり、そのような事例が身の回りに多いように感じています。
事実に装飾せず、シンプルに伝えたらいいのに。と、全国各地の移住促進関連の広報周りを見ていてぼんやりと感じています。
発信者は事実を丁寧に継続的に伝えることに重心に置きながら、「誰に向けて」「どうやって伝えるのか」という戦略を立てることで、魅力的に思ってくれる人が増えてくるのだと思います。発信者が魅力を伝えたつもりになって、受け手に責任を取らせ、結果を求めるような広報は広報ではない。
冒頭にある「魅力は伝えられない」という表現は、決してネガティブな意味ではありません。
魅力に思うかはその人の解釈。私たち発信者は人の解釈までは操作することはできません。「魅力そのものは伝えられない」という立場に立っていることを自覚し、事実を丁寧に伝えること。その事実に惹かれる人はどんな人なのか、どんな人に惹かれてほしいのかを発信者がとことん分析し、計画を立てて戦略的に広報を継続する。ひたすらに、終わりのない仮説と検証を繰り返す。
この繰り返しの毎日に面白さを感じる人が広報する立場に向いていると私は思います。インスタを育てる事も、ホームページをリニューアルすることも、長く長く仮説を立て続け、手をかけていく。
本当にその街のことを知ってほしい、興味を持ってほしいのであれば、私はそう考えます。
魅力は伝えられない。
「魅力発信」という言葉が使われなくなったら良いなと思うほどです。
写真:さいとうのぞみ