自分の芯を持つこと
おはようございます。
私は結構、人に流されやすいところがあります。
普通の時なら、自分の意思と意見を持って動くことができますが、隣人がとても困っているなど、窮地に立たされている時、どうにかして力になれないかと考えている間に、自分の体調をも崩しやすくしてしまうのです。
その末、自分の許容外のことをしてしまって後から後悔したりしてしまいます。
隣人が窮地に立たされている時、どうにかして力になれないか考えるのはいいと思いますが、その時、自分自身が揺れてしまうのはどうかと思うのです。
先日、こんなことがありました。
その時のことをnoteにも書いていますが、一つだけ書かなかったことがありました。
長期に渡る同棲の末、彼氏に出て行かれてしまった女友達、ショックで仕事も手につかなくなり、家賃を滞納し、1月末までに家賃の支払いがなければ、強制退去になるということでした。
彼女は私に必要な家賃10万を出してくれないかと言ってきました。詳細をお話すると、彼女は最初から10万と言わず、最初は5万と言ってきたのでした。
私にはちょうど5万の蓄えがありましたので、そのお金を出してしまったのでした。彼女は2月5日には返すからと言っていました。私は、その言葉に不安感を持ちました。なぜ、お金のない彼女がそんなことを言うのか疑問に思い、私は、なぜその日に返すことができるのか訊いてみました。
彼女の話を要約すると、「彼女の友人が困っているときに5万を貸した。2月5日に返ってくることになっている」ということでした。
よほど信頼があついのか分かりませんが、彼女は友人の事を信頼していなければ、なかなかそんなことは言えないと思うのですが。。。
私は、2月5日に返ってくるかどうかは分からないけど、その期日を過ぎたら、彼女は罪悪感を抱き、少しでも早く返せるように行動するのではないか―私は、こんな先入観を抱いてしまっていました。
しかし、2月4日になっても彼女の方から、私の口座番号を訊いてきたりというような事がなかっので、私の方から口座番号を「いつでもいいから」という言葉を添えて伝えたのでした。
問題はこの「いつでもいい」の捉え方です。
私は「期日より1週間くらいは遅れてもいい」そんな意味合いでした。しかし彼女は「本当にいつでもいい」と捉えていたようなのです。
彼女の言っていた日がきました。
彼女の口から、お金を返す話は何も出てきませんでした。私の中に一抹の不安がよぎります。「もしかしたら返ってこないんじゃないか…」
先程、蓄えという表現を使いましたが、これがないと今月の電気代などを滞納してしまいます。
3月になってから、私は彼女に言いました。「2万5000でいいから戻してほしい」彼女は、私のこの言葉をきっかけに動き始めたのでした。
話は戻りますが、10万の家賃を出して欲しくて、彼女は始めから10万と言わず、最初に5万、1日も経たないうちに出した私に対して、すかさずもう5万を要求され、そのお金を出すということは、私の生活が本当に困窮してしまうので、出しませんでしたが、彼女は、それにとても腹を立てているように私は感じ、時は1/26くらいでしたが、月が明けるまで、連絡をしないという選択を取ったのでした。その理由は、私のメンタルが相当やられてしまっていたからでした。
価値観の違い
5万を要求され、1日も経たずして出した私に対して、期日を1ヶ月近く過ぎてから、その半分を要求して2週間近くかかった彼女。私の苛立ちは相当なものになってしまっていました。
1月末に私が彼女から浴びせられた言葉も、私の精神を相当すり減らしましたが、時間のかかっている彼女に私が催促をした言葉たちも、彼女の心をすり減らしてしまったようでした。
「いつでもいい」の捉え方から、お金に関する価値観の違いが、人間関係をも悪化させてしまうものだと身をもってこの体験を通して感じたのでした。