アメリカでの妊娠中と産後プラスアルファ その1

前に記事で振り返りのコツなどを書いたので、妊娠中と産後の振り返りをします。

1人目は17年も前で2人目は12年前なので、今の行政とかから受けられるサポ-トを知るには、時代が違い過ぎていて、あまり役に立たないと思うにですが、妊娠鬱のことや海外での出産の不安とかの気持ちの部分では多分世界共通だと思うので、ここで、こういうこともありますよって書いてみます。

うつとか自⭕️願望とか出てきて、重くなると思います。
そういう内容が苦手な方は、どうぞここで読むのを止めてください。

まずは1人目の妊娠と出産の体験。

その頃はカリフォルニア州に住んでいました。仕事やっと2年目でした。その上まだ婚約中。全く予期してない妊娠でした。婚約者(今の夫)は大学3年目に編入して、今度こそ卒業するって頑張り始めた時と同時です。 

その時通っていたカウンセラーさんは大学でわたしが履修したクラスを教えてらっしゃった方で、打ち解けやすい方でした。(かなり人見知りです) 
そのカウンセラーさんにどうしようって相談したのを覚えてます。なんか嬉しいのとヤバいっていう焦りと嫌ぁなモヤモヤした気持ちで、なんか混乱してました。色々と考えて、妊娠を続ける選択をしました。婚約者とも話した時は、彼には中絶という選択は全くなかったです。

この選択もそうですが、妊娠中も産後も、かなり必ず、私の母の妊娠の話が思い出されて、それにかなり影響されました。この妊娠がわかった時点では、もう母の7回忌も終わって、グリ-フはかなり落ち着いてきてたと思っていたので、驚きです。世代を超えてこんなに影響されたとは全く思いませんでした。

妊娠中は体の調子はまあまあ順調でした。食べれるものと食べたいものがちょっと限られていました。吐くとかのつわりの症状はなかったのですが、最初の3ー4ヶ月は食欲がありませんでした。おかげで、3キロくらい減ったのを覚えいます。毎食軽めのものばかり食べてました。夕飯はヨ-グルトとみかんの缶詰をちょっと、っていうメニューがほとんどでした。

精神的、気持ち的には、波がありました。最初の3ヶ月は、仕事どうなっちゃうんだろうっていう不安と、4かいに1かいは流産になってしまうという統計を覚えていたので、嬉しがっちゃいけないっていう押さえつける考えでいっぱいでした。アメリカの妊娠についての本とか読むと、会社に報告するのは安定期を過ぎた12週間から20週目くらいにしましょうって書いてありました。あまり考え過ぎないようにって、仕事に没頭してました。ちょうど2年目で仕事場にも慣れて、基本的なカウンセリングの仕事ばかりではなくて、グル-プとか家族の面接なんかもし始めた頃でした。

3ヶ月過ぎて安定期に入って、やっと食欲が戻ってきました。ハマったものはトムヤムクンス-プ、サルサ、ホットドッグでした。毎週メキシコ料理店とタイ料理店に行ってました。体重も順調にほんのちょっとずつ増えて打ってました。トイレが近くなったのと、お腹が空いたらすぐに何かを食べないと気持ちが悪くなる以外は、全く何もなくて順調でした。

その頃の気分は、時々、ズドーンと落ちることがあったんです。今なら、産後うつの前触れだったんだなってわかるけど、この時はなんなんだろうって思って、でも深く考えてなくて、まあ妊娠ってこんなもんなんだろうってほっといてました。落ちると、もうなんかなんでも良くなっちゃって、涙腺崩壊で、どこでもすぐシクシク泣いてました。何が原因ってのはなくて、ただただスーパーで買い物してた時とか、運転中とか、なんだかもう悲しくて、生きる気力がなくなってた。それは数十分から1ー2日で過ぎ去っていってました。落ちている時以外はまあまあいい気分で過ごしていました。

安定期に入った頃、婚約者と一緒に住み始めて、結婚式を早めようって決めました。出産後3ヶ月目に結婚式をしようって決めて、まあ生まれてから準備すればいいよねって、全く何も決めてませんでした。

今これを読んでくださっている方の中で、妊娠していて結婚準備中か結婚のこと考えている方がいらっしゃるなら、結婚準備は妊娠中期に終わらせるのをお勧めします。妊娠中期ならまだ体力もあるし頭もまだ普通に動きます。それに子供に邪魔されずに時間が使えます。これ大切。

会社に妊娠と結婚のことを報告して、ビザの関係とか(Hー1ビザが終わって、就労ビザしかありませんでした)産休のこととか不安でしたが、ほとんど問題なくクリア。

去年アフレック入ってれば、産休中にもっとお金がもらえたのになーって考えてました。私の会社は10月から11月にかけてが、保険に入れる時期だっだです。妊娠中に加入すると妊娠お見舞金と産休中のお金はアフレックからはもらえないですけど、入院と出産費用はちょっと出るということだったので、いつもの健康保険に追加して、アフレックに入りました。入っててよかったです。子供が生まれてから、2週間ぐらいごとに小児科に行ってたので、そのお金が出て助かりました。

後期は、際限なくお腹か空いて、1日四食ぐらいガッツリ食べてました。おやつもしっかり。会社の引き出しと通勤バッグにいつもお菓子を忍ばしてました。帰りにファストフードのドライブスルーでお子様セットをおやつにしたりしてました。なので、体重は鰻登り。顔や足はぱんぱん。アメリカ人の他の妊婦さんと比べると、もともと体重は少なめだったので、この体重の増加の速さは、先生になんとも言われませんでした。予定の15キロよりもっと増えました。
安産には、妊娠中にしっかりと運動を毎日しましょうって読んで、さーじゃあ散歩でもって予定してたんですが、会社から帰ってくると、ぐったりで、散歩全くせず、グータラな生活でした。そりゃあ、体重増えるよねって。トイレは、本当に近くて参りました。カウンセリングは基本50分ほどなので、患者さんをお迎えに行く前にトイレ済ませておくのですが、35分40分ごろになると、ちょっとトイレ行きたいなってなってきて、赤ちゃんが膀胱を蹴って、なんか大変でした。

気分は恐怖と嬉しさと悲しさと不安が毎日かわるがわる訪れてました。恐怖は夢の中にも出てきて、得体の知れない生き物が、お腹を破って出てきた夢をよくみてました。悲しさは、妊娠のこととかを話せる相手がいなかったのと、母親を恋しく思ってたので、ズドーンと落ちるというよりは、毎日全体的に悲しさが漂ってるという感じでした。不安は妊娠の痛みを乗り越えられるのか?に集中してました。寝られない日もどんどん増えていってました。大き苦なってるお腹が邪魔していい寝る姿勢になれないのもありましたが、悲しさと不安と恐怖でなかなか寝ても起きてしまうって夜が多々ありました。先生や同僚に話したら、妊娠後期あるあるよーって言われて、そおういうもんなんだろうな、って済ませてました。でも嬉しさいっぱいを味わってた時もありました。特に子供が動いたり、足がギューっとお腹を押して足形が見えたりした時は、何も考えられないほど嬉しかったです。婚約者にこういう気持ちなんだと伝えてましたが、真剣にならないで、ラマーズ法の練習しようとか冗談を言ったりして気を紛らわせてくれてました。



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米山 景子
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